2009年07月05日

1348 名歌はひっそりと咲く

 土曜競馬中継を見ていて、福島は内がさっぱり伸びないのを知って、2ゲート・ケイアイドウソジン、大丈夫かなと思ったがやっぱりダメだった。この馬は先行馬だが、吉田豊は外を狙って後ろの方から競馬を進めた。やむを得ない。勝ったのはストロングガルーダ。対抗馬として考えていた馬だ。福島は、対抗馬ばっかり来やがる。呪いだろう。しかし、攻めの競馬は面白い。買い目は多いが、いつもより競馬資金は少なくてすむ。これも競馬の楽しさだ。厳選レース20戦目は、函館記念に久々にチャレンジする。宝クジ競馬と言われるほど、毎年荒れているレースだ。予想することを楽しみましょう。

 僕は、「塔」「短歌人」に所属して、毎月20首出詠している。さすがに、出詠するのがしんどい月もある。歌ができないとき、どうしたら歌ができるか。二つ方法がある。一つは、街をぶらぶらさまようこと。もう一つは、短歌を読むことである。特に、結社誌を何となく読んでいたら、突然歌がひらめくことがよくある。歌友なんぞたくさんいても、歌はできんだろう。作歌というのは孤独な作業だ。誰が助けてくれるわけでもない。しかし、結社誌の歌は、僕を助けてくれるときがある。歌は、読むことが大事だ。結社は、人の歌を読むためと、自分の歌を発表するためであって、それ以上の物ではない。そういう意味では、僕は歌友は一人もいないが、結社誌の歌に救われているのかも知れない。
 名歌というのは、結社誌や歌集の中で、ひっそりとたたずんでいる。啄木の、「はたらけどはたらけど」や、牧水の「白鳥は」など、ぶっきらぼうに歌集に収められている。しかし、これらの名歌は未だに語り継がれているのが、僕はそれが不思議でしょうがない。僕は、あまのじゃくなので、結社誌や総合誌にでかでかと載っている歌を信用しない。あんまり、選者という物を信用していないのだ。新人賞の例を見ても、何をか言わんやである。その他大勢の中にこそ、いい歌はひっそりと書かれているはずだ。僕はそういう歌をピックアップして行きたい。それが、読む者の楽しみという物だ。みんなが褒める歌を褒めたってしょうがない。

      今日の3首

冷房に吹きさらされた味噌汁を両手で包む一人の昼に 谷村はるか

砂浜で夕日に向かって駆けてゆく理由が欲しくて部活に入る 西之原正明

東京のつばめは昇る昇る昇るそこまで昇らねば苦しいか 谷村はるか
ニックネーム 茶トラのみんく at 23:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年07月04日

1347 ケイアイドウソジン


 競馬の上半期が終わった。18戦8勝10敗。的中率、4割4分4厘。回収率153・2%。的中率の高さ、しかも万馬券こみで回収率がちょっと低いなあ。理由がある。日経賞、産経大阪杯、桜花賞、皐月賞、天皇賞春、と五タコを食らったからだ。特に皐月賞は、アンライバルド=ロジユニヴァースの馬連450円にがぼっと賭けてしまった。もう、こういうバカな賭けかたは二度としない。安田記念三連複を取ったのは大きい。なんせそれまで、安田記念に勝ったことがなかったからな俺。逆の意味で、競馬にも絶対はないのだ。
 今週日曜日のメイン、福島はラジオNIKKEI賞、初参戦したい。俺は、福島競馬はボロボロ、買ったことがない。小回りコースの予想は難しいこともあるが、ひょっとして俺が長州人なので、白虎隊の呪いがかかっているのかもしれない。しかし、このメインは面白い。例年ハードな芝状態になる。だから、ボロボロ人気馬が負けて大荒れになるんだろう。僕は2番、ケイアイドウソジンから勝負に出たい。たぶん、8番か9番人気くらいだろう。抽選で入ったら面白いな、と思ったら見事入った。荒れ馬場の福島1800はぴったし。しかも、二ゲートとは絶好枠。ペースは早くなると思うが、この馬にとっては願ったり叶ったりだろう。パドックで、変な状態で出て来ない限りは、こいつから行ってみたい。それにしても、有力馬だったアドマイヤメジャーが見事抽選で外れた。陣営は悔しいだろうなあ。それだけに、このケイアイに賭ける俺の思いは熱い。53キロ。吉田豊にはがんばっていただきたい。ヒモはもう、総流し状態だが、いろいろ考えて賭けましょう。明日の予想は書きません。久しぶりに責めの競馬で福島に賭けたい。たぶん、白虎隊の呪いで粉々に玉砕するだろうが。ここで勝てば私は馬券者として本格化したという証であろう。
ニックネーム 茶トラのみんく at 01:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年07月03日

1346 6月月間ランキング〜突然の電話〜

 ブログ開設1616日目。総アクセス数1258565。総訪問者数、209723人。

      6月月間ランキングベスト10

 1位 13日「『塔』6月号『陽の当たらない名歌選1』」1789
 2位 16日「“らむ”〜笹井宏之、谷村はるか〜」1569
 3位 11日「名歌選秀歌選〜『塔』『短歌人』〜」1425
 4位  1日「冒される」1398
 5位 22日「きっかけ〜死骸〜」1348
 6位  9日「百姓ジャパン」1210
 7位  7日「国際化という名の欺瞞〜ああ、ダイワスカーレット〜」1202
 8位 24日「ささやかな愉しみ」1194
 9位  3日「5月月間ランキング〜姫帝〜」1183
10位 17日「新かなと旧かな」1146

 6月のアクセス数は29253、訪問者数は、3605人でした。

 昨日、穂村弘をネタにしたら、アクセス数がすごくてびっくらこいた。穂村をネタにすると、ほめようがけなそうがアクセス数が増えるので驚いている。よきにつけあしきにつけ、彼は歌壇で注目されている歌人なのだろう。
 それにつけても、枡野浩一くんを、歌壇がまったくもって無視しているのである。
 なぜだ!サブカル短歌のアイドル枡野くんを!わかりやすい短歌の指導者、エッセイストの枡野くんを!
 枡野くんのことを書けばアクセス数が増えるかと思ったら、書いてみてがっくり来た。たった300台のアクセス数に愕然とした。もう彼のことは、よほどのことがない限り書かない。
 この男は、歌壇にとって、何者でもないのだ。
 笹公人とは大違いである。笹を取り上げるとアクセス数はぐんと伸びる。笹も枡野も、ネットを舞台にしているが、笹は真摯な歌人であり枡野はスキマ商売狙いの業界人であり、その差はこのアクセス数が歴然と物語っている。
 ところで、このブログは、いったいどんな人たちが読んでいるのであろうか。多分、歌人が6割を占めるであろう。俺がつくづくと思うのは、歌人というのは、いったいどういう性格をしているのだろうということだ。個人メールで、真摯な反論が来るのは、歌以外でのことが多いのだ。歌人を挑発しているのに、歌人からの真摯な反応はまったくない。俺は歌人の知り合いもいないし、欲しいとも思わないが、俺なりに想像した歌人の性格というのを述べてみたい。
 まず彼らは、プライベートで会ったときには、歌壇や歌人の悪口の言い放題である。俺は歌会とか歌壇の集まりとか全然行かないが、実はそうであることを知っている。しかして、顔を合わせると寄るとさわるとホメ合いとご機嫌取りと、偉いさんへのよいしょに終始する。「あの野郎許せねえ歌やめちまえ」とか言ってるご当人の歌集批評会に行くと、その罵倒された当人が招待されてにこにこ笑って座っていて、罵倒した歌人とすてきな笑顔を交わしつつ「最近はことのほかご活躍で」なんぞと会話をしとる始末である。双方共に、歌壇での出世を狙っておるのであろうが、歌壇での出世っていったい何なんだ!?賞を取る?選者になる?俺にはどうでもいいことだ。どうでもいいと思う歌人がもっともっと増えてほしい。
 僕は「先生」という言葉が嫌いだが、尊敬する歌人に対しては、思わず「先生」と口走ってしまうのだ。河野裕子氏から電話がかかってきてびっくらこいたが、僕はその途端直立不動で「かかかかかか河野先生どうされたんですか」と、帝国陸軍の下級兵士になってしまったのである。あげくのはてに「河野先生おおおおおおおおおお、お体はどうですか」などとくだらん質問をしてしまって慙愧の念で夜も眠れないくらいである。なんでもうちょっと気のきいたことを言って短歌談義などできなかったのか。僕は、女流歌人には対しては、映画女優へのそれに近い憧れを持っている。栗木京子氏にしてもそうだ。いったい俺は今日は何を書きたかったがわけがわからんのでここでやめる。それにしても、河野氏からの突然の電話は、心臓が止まるくらいびっくらこいた。
ニックネーム 茶トラのみんく at 01:10| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2009年07月01日

1345 草食のふりをした肉食〜穂村弘の欺瞞〜

 「短歌人」7月号、7月時評「『耐用期限』が隠蔽するもの、その他」内山晶太を読む。はっきり言ってあきれ返った。穂村弘が、稲葉京子の歌

いとしめば人形作りが魂を入れざりし春のひなを買い込ぬ 稲葉京子

 に対する内山氏の発言をふまえ、「現在問題になっている短歌のリアル(中略)それは短歌というジャンル内で長年流通してきた表現スタイルの、耐用期限についての問題なのだ。」と書き、内山氏によれば、このスタイルがカタルシスを生み出せなくなったとき、つまり若い世代の日本人が「ぴんとこない」と思ったときが危機だ、という意味のことを述べているそうだ。穂村はなんとアホなことを言っとるのかと思った。
 そもそも穂村が何を言いたいのか理解するのが困難なのだが、想像するに、「こ難しい」「文学的な」「短歌のお約束を踏まえた」「共通認識に基づいた」表現は、若者にはすでにぴんと来ない物、あまつさえ通用しない物であって「耐用期限」が終わっており、「リアル」を描き出せない、ということではなかろうかと。
 内山氏の文中にも込められている(と思う)が、そもそも文学的リアルと、体験を通じてしか味わえないリアルとは全然違う。引用された歌に関して言えば、人形という存在の持つ陰影に心が反応しないとしたら、それは表現の耐用期限が過ぎてるからではなく、単に鑑賞者がバカなだけである。穂村は、「素朴な感性」と「無教養」を故意に混同している。またしても引用歌について言うなら、人形のはかない魅力がリアルでなくなったなどとんでもないことだ。嘘だと思ったら紀伊国屋本店に行ってみるがいい、人形の写真集が山ほど置いてある。
 穂村は、けっこう昔に成された座談会でも、「『桜』という言葉が共通の連想を引き起こすということがすでに無効である」みたいなことを言ってたが、なぜかこの男は異常にそういうことにこだわる。ある単語が興趣を呼び起こすという世界のお約束をやっきになって解体しようとしているがごとくだ。自称「世界音痴」だそうであるが、音痴だったら音痴でない人の前では謙虚になるべきではないのか。これでは、自分にはいい曲だと思えないからこれこれの音楽はダメだ、みんなもそうでしょう、と言ってるようなものだ。
 簡単に言うと、低いレベルの鑑賞者や言葉を知らない層に合わせろと言っているとしか思えない。
 いくら百円ショップの皿が売れるからと言って陶芸家が百円ショップの皿を作るか? 耐用期限うんぬんと言うなら、源氏物語やギリシャ悲劇は無用の長物か?
 僕は、こういう歌をこの日記にアップしたことがある。

終点に眠れる客の肩をpon!はつか微笑む黒人青年 黒田英雄

 個人メールで、某歌人から、「はつか」という言葉は現代では通じないのでやめたほうがいいというコメントをいただいた。それまである程度評価していたこいつのことを、俺はバカだと断定した。いい言葉というのは残すべきである。「らむ」という助動詞に俺が感動したように、「はつか」というのもいい言葉だ。俺は、わからないが直感的にいいと思った古語は調べている。そして、その言葉を使用しようと思っている。その継続によって、美しい言葉というのは残っていくものではないか。それが詩人や歌人の義務だろう。言っておくが、俺は古文の素養のない、要するに天然バカである。その俺ですら、美しい言葉には心を打たれるのだ。なんで俺が三尺下がって影も踏めないような高学歴の穂村が、「耐用期限」なんてバカなことを言うのか。バカな読み手に媚びることはない。短歌を詠み始めるきっかけは色々あろうが、マジに短歌をやろうと思えば、色んな歌人の歌を読むというのは当たり前のことだ。それができない奴は早晩、歌から離れて行くだろう。
 僕は、啄木の歌から入っていただきたい。何故なら、彼の古語は、現代人が読んで分かり易いからだ。これ以上易しくしなければわからんと言うのなら、もう一生バカのままでいるがよろしい。バカな私が言っているから間違いないのだ。

かなしきは/かの白玉のごとくなる腕に残せし/キスの痕かな 石川啄木

 この歌は読んだままだろう。どのように歌を変えるというのだ。なあ、枡×浩×くん?啄木の歌を、直感的に鑑賞できない奴は、そもそも短歌なんぞに入って来るべきではない。
 美しい古語は残すべきである。それが短歌の使命でもあるのだ。実際、俺ごときが古語旧かなで歌を作っておるのだ。恥ずかしい限りであるが、この恥ずかしさに耐えるのも詩人の義務である。よって、「耐用年数」なぞという発現はお笑い草なのである。それは、俺みたいなバカを否定する、傲慢な発言なのだ。
 穂村弘は、元来が鑑賞眼があり、「桜」なら「桜」に対する共通認識など身にしみているはずのインテリである。その彼が、ひとつの言葉に対するエモーションなどすでに共有できないと主張し続けるのは、本音ではなく商売だとしか思えない。もしも、本気でなく、バカな読者に媚びるために言っているのだとしたら、穂村弘は歌壇から去り、いちエッセイストとして生きていくのがよろしかろう。
ニックネーム 茶トラのみんく at 22:59| Comment(7) | TrackBack(0) | 日記

2009年06月30日

1344 その人は昔

      その人は昔  黒田英雄

転んでも唯では起きない女だと和歌山産のひとは豪語す

天神様の段を降(くだ)れば教会の頌歌の聴こゆ若きらの歌声(こゑ)

刑事より民事の方が恐いよと桜咲き初(そ)む月末(つきすゑ)の午

しやがみ込み春の小川を眺めつつくしやみしてゐる少女もあらむ

美人とはメタルフレームの似合ふひとそんな気がした春のまひるま

飲み明かし四肢なげて見し朝やけのたれのほてりや紅きまちなみ

春や春わわしき季ぞひたすらに惑へと東風の挑発やまず

チャプリンも我も生まれし三月の風に手繰られひよこひよこ歩く

セクスとは段取りであるオフエンスとデイフエンスありてプロレスのやう

白玉の腹の痕にぞ沁みわたるべからざれども汲むひとり酒

吾を守りし名画座の闇それすらも燕(マチェック)の闇にはえ届かざりき

春光の海の彼方に消えしままその人は昔内藤洋子はや

霧けむる百人浜の幻に鬣ひかる白馬のルンナ

東京がダイヤモンドと輝(て)りし頃兎跳びを信じて跳ねてた

大阪でも名古屋でもない東京で生きむと思(も)へば故郷断つべし

紅きセータ購ひお父(とう)に殴られし少女は今宵も干鱈を焙る

姥捨を肯ふわれの割れし歯は一瞬疼きてすぐに鎮もる

喜劇俳優(わざをぎ)の善き人ばかりで格(スケール)なし寛美渥美の愛嬌は毒

 ※結社誌掲載時のものを何首か推敲してあります
ニックネーム 茶トラのみんく at 22:54| Comment(0) | TrackBack(3) | 日記

2009年06月28日

1343 ディープスカイに大阪は似合わない

 宝塚記念三連複8−9−11、720円的中。とは言え、押さえ馬券でがっくりである。サクラメガワンダー、ディープスカイの馬単本線8−11の1770円を僕は狙っていたのだ。ああ、またこの馬に邪魔された。ドリームジャーニーだ。この馬には、ほんとに高額馬券の邪魔ばっかりされる。相性の悪い馬だ。ドリジャニは、秋のGT戦線にも出て来るだろうな。相性のよくない馬というのは確かにいる。スペシャルウイークがそうだった。ほんとに分かりづらい馬だった。逆に相性がよかったのは、面長の(当たり前だ)、有体に言って、お世辞にも美人とは言えなかったアイリッシュダンスだ。GTホースではないが、特別戦GV戦では必ず来てくれて、配当をプレゼントしてくれたのをおぼえている。なのに彼女の産駒が出て来ないよう。あるいはあまりにも美人でなさすぎて(←婉曲な表現)さすがの百戦錬磨の種馬もどうしようもなかったか!?かわいそうだがそれくらい××な馬だったのである。が、僕は今でも彼女のことを忘れていない。そして、なんといってもダイタクリーヴァと、アグネスデジタル。この2頭は、京都MCで僕に万馬券を与えてくれたワンツーフィニッシュの馬たちだが、他のレースでも勝たせていただいた。アグネスデジタルは、天皇賞・秋でも人気なかったもんなー。大金を突っ込んで大勝ちしました。ダイタクは、河内のクソ騎乗のためについにGTホースの冠を取ることができなかった。俺は、平成13年河内の京都MCにおけるダイタクの騎乗を一生許さない。この馬には先行力があった。出遅れたと言うがそんなことはない。あの、蝶々も追い抜くような超スローペースならすぐにある程度読んで前に行かせるべきであった。それをちんたらちんたら後方2番手あたりから行きやがって。ダイタクは、上がりがトップ三三秒前半で来たはずだが9着。当たり前である。俺は一生河内のこの騎乗ミスを忘れんけんね。それまで俺は、京都MCを6連勝していたのだ。それだけに尚更だ。
 閑話休題。
 ところで、アイリッシュ、ダイタク、デジタルの産駒は全然出て来ないけど、今、どうしてるんだろうか。結局、競馬者にとっての名馬というのは、栄光に包まれた馬ではなく、わたくしに札束を「はい」とくわえて来てくれた馬だというのが正直なところだろう。その意味では、愛知杯で初めて僕に万馬券をくれたホマレオーカン、ヤマニンフォックス(僕は君たちの名を忘れない)、も僕にとっては名馬中の名馬なのである。
 ディープスカイの敗因は、あの大阪の夏の暑さに負けたのだ。画面で見ても、うんざりするぐらい暑そうだった。諸君、大阪の夏というのはハンパなものではない。風がそよとも吹かないのだ。エアコンの室外機の前にいるような、まさにネイティブ関西人じゃなければ耐えられないような暑さなのである。しかも、大阪は緑が少ない。酸素というのは、植物がないと供給されないはずなので、関西人というのは、たぶん酸素がなくても生きていける人々なのであろう。とにかく俺は、大阪にだけは住みたくない。ディープは関西馬だが、そんな感じがしない。あの綺麗な栗毛のタテガミ、阪神より、府中競馬場でこそ映える馬である、ドリジャニに二連敗を期したが、府中ではそんなことはない。秋天では、ウオッカも交えて、もう一度決着をつけていただきたいものだと思う。海外遠征なんぞクソくらえだ。JRAよ、本当に競馬人気を保ちたいなら、国内GT戦で最高のメンバーを集めてやることが肝要である。ディープ、ウオッカ、ドリジャム、この3頭の、最高の体調の上での激突をおれは見たい。海外遠征などやめろ。馬券者にとってなんの意味もない。国際化という空しいお題目は、もうよしにしたらいい。
ニックネーム 茶トラのみんく at 23:10| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記

1342 ディープスカイは穴馬を喚ぶ〜宝塚記念GT〜

 ウオッカが宝塚記念を回避した。無理をしないほうがいい。ライスシャワーの悲劇なんてもうまっぴらごめんだ。よってここは断然の一番人気ディープスカイというのは当たり前。ただ、一強のレースというのは、実に賭け方が難しい。相手を絞り込まなければいけないからだ。ドリームジャーニー。天皇賞春は余計だった。大阪杯から臨めば、かなりの有力馬だったはずだ。ここはあくまで押さえでる。アルナスライン。思い切って切る。阪神内回り芝2200というのは、いかにもこの馬には合わない。彼の粘着力を生かすのは、やはり2400以上のレースだろう。相手にはサクラメガワンダーを抜擢する。決して有利な条件とはいえなかった金鯱賞を圧勝したのは、この馬の本格化を裏付けている。2200という距離も適性だろう。福永が、自信まんまんのコメントを述べているのも、僕には分かる気がする。ディープの相手の本線は、彼だと僕は思う。
 穴で面白いのは、インティライミ。それ以上に期待しているのが7歳馬、アドマイヤフジ。この馬の脚質から、阪神2200はベストであると僕は断言する。調教時計が素晴らしい。よほど調子がいいんだろう。中山記念では軸馬にして負けたが、2000のスピード競馬には合わない。一強のレースは難しい。ディープの相手は、サクラメガワンダー、アドマイヤフジ、インティライミ、そして押さえでドリームジャーニー、この4頭に絞り込みたい。そういえば、ディープスカイって、ジャパンカップ、有馬記念に2着に敗れたが、一着馬は超穴馬だった。彼は、穴馬を呼ぶのかもしれない。
 前日予想結論。裏表で馬単、11=8。三連複、8−9−11、4−8−11、2−8−11。馬単、11=4、11=2。
ニックネーム 茶トラのみんく at 00:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年06月26日

1341 「塔/陽の当たらない名歌選」上半期ベスト30

 恒例の、上半期ベストをアップする。数々の名歌の中から、僕が最も印象に残った歌を取り上げる。じっくり鑑賞していただきたい。なお、上半期下半期ベストは、「短歌人」ではやらない。別に「短歌人」の歌を蔑ろにしているわけではない。「塔」でやることこそに意義があると思うからだ。それと、もう一つの大きな理由。しんどいからである。

      「塔/陽の当たらない名歌選」上半期ベスト30(順不同)

道幅のひろさを風を受けた感覚として覚えておく さようなら 山内頌子

顔洗ふ冷たき指に否応なくわがしやれかうべの眼窩のかたち 石原安藝子

文人のような教師は要らないと学年主任は吐き捨てて言う 坂崎由明

泣くときは立って泣くべしほどほどに泣き疲れたらまた歩くため 岡本幸緒

お母さん産んでくれて有難うといふ気持とはいかなる気持 岩野伸子

撃たるるを知りたる鹿の瞳して父は遠くを見つめてゐたり 堀 和子

「そんなバカな」のひと言遺し昭和十六年十二月九日祖父永眠す 山本貞子

今宵こそ月から鳥が来るような予感を持ちて職場を出でぬ 芦田美香

世に何かなす人の顔昆虫に似るかと思ひダライ・ラマ見る 尾崎知子

植樹さるる木のごと人らは寒ざむとエスカレーター左に並ぶ 室谷香奈恵

義士祭と「祭」がつけば母を見て楽しくないねと言ふ子供あり 尾原 登

会葬の人のまばらな斎場に落ち目の歌手のごとく経読む 貞包雅文

きみの背を渡って吹いてきた風がわが前髪をふいに上げたり 永田 愛

少年はゆっくり歩く塾帰りぼくがあの頃恐れた夜に 五宝久充

お元気でと亡き夫の友いくたりか再び会へぬさよならをする 古賀公子

癒されぬ空間だけど仕方なく今日も実家でメシを食ってる 西之原正明

ひだまりでひざの仔猫をなでながらきかせるしずかで悲惨なはなし 上澄 眠

紐を張る先のあらざる寝室に縊死せしわれの揺れてゐる夢 常盤義昌

交通費さえももらえぬ仕事などやめてしまえと誰も言わない 西之原正明

母のゐる病院に近饂飩屋に熱燗いつぽん父が手酌す 仙田篤子

唇のうつくしい君の笑う声席替えあって背中に聴いてる 生谷俊介

ああおまえ生きていたのか抱き上げる夢のうさぎの赤いまばたき 藤田千鶴

傍にゐて君には見えず噴水の一角に生れし小さな虹が 市 美穂

嚏さえ知的なるひと膝の上(え)の猫びくつくに短く謝して 増田美幸

長き長き介護が終り喪主席に長身の姉が埋れていたり 津野多代

こちら向きに洞を持つ樹の方へ行く樹から樹の声聞こえるようで 永田 愛

声あげて泣く親族に家政婦は見舞も来ぬにと隅でつぶやく 小林登喜惠

外国につながる子どうしがケンカする「おまえ外人」「おまえの方こそ」 刀根美奈子

おそらくは誰かの傷の癒えるとき雪は降るのだかさぶたとして 敷田八千代

臨終の飼ひ主の床幾度も泣き声あげつつ猫は巡れり 岡崎富貴恵
ニックネーム 茶トラのみんく at 23:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

1340 地下鉄に乗って

 僕は歌人のはしくれだから、当然歌集を読む。歌集を読むにふさわしい場所はどこかといつも考えるのだ。自宅で読むのはもちろんだが、落ち着かない。なぜなら、日経を読んだり、ビデオを見たり、トイレ掃除をしたり、妻が裸でうろうろしたりと、なんか気が散るのである。ならば喫茶店はどうか。近くのマックや、十二杜温泉の帰りに喫茶店に寄って読んではみた。悪くはないのだが、どうしても人の話し声というのが耳に入って来るのである。こういう歌を作った。

弾まない隣りの会話聞こえ来る互みの帰省語る男女の 黒田英雄
福岡名古屋を故郷にもつといふ女男(めを)の関係読めず歌集(ほん)読む 同上

 喫茶店もイマイチだ。結論として、歌集を読むのに集中力を高めるいちばんふさわしい場所とは、ずばり、夜の地下鉄である。不思議なことに、地下鉄で歌集を読んでいたら周りはうるさいのだが、全く気にならなく集中力が高まる。これは不思議だ。照明が変わらず、温度が一定で、他人の会話も聞こえにくい。これに加えて適度な震動がある。人間というのは不思議な物で、まったくの静寂の中では眠れず、完全に刺激のない状態では読書も執筆もできず、いい考えも浮かばないそうである。俺は、歌集を読むために大江戸線をぐるぐる回ろうかと思っているくらいである。
 今、俺が熱中している歌集は、以前にも日記で書いたが、笹井宏之「ひとさらい」、谷村はるか「ドームの骨の隙間の空に」。この二冊は、小島なお以来の、若手の第一歌集出版として出色の出来だと僕は断言する。現代歌人協会賞の候補作にならなければ絶対おかしい。この二歌集はエキサイティングな歌集だ。読者を引き込む独特の引力がある。学びたい。
 歌集を読む場所にふさわしいのは夜の地下鉄である。そういえば、俺も、地下鉄に乗っていて、フレーズがわくときがある。夜の地下鉄こそ、短歌を作る源かもしれない。

      今日の4首

「過古」といふ誤字を見かけた一瞬に遠く吹き飛ばされた片々 谷村はるか(以下同)

なぐりつけて泣かせてくれよそうでなきゃ負けたことにも気づかないから

顔を上げろ会ったって誰も気づかないどこにでも居るカラスなんだから

チャチな背中に弱ささらして気づかない男みたいだこの町のビル街
ニックネーム 茶トラのみんく at 01:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年06月23日

1339 ささやかな愉しみ

 人間の生きる究極の目的とは、多分自分の好きなことをして日常を暮らすということだろうと私は思う。好きなこととは、人から見れば大したことではない。私の楽しみも少ないが、ちょっと書いておこう。私は毎日、NYダウ、日経平均、為替、所有するファンドの基準価格、これを見るのが大好きだ。私の手帳には、全てそれが記されてある。経済がよくわかる。そして、このブログのアクセス数と後読みの数、これもしっかり記されている。私は数字が好きだ。数字を並べるやつはしばしばウソをつくが(例・大本営発表)、数字そのものはウソをつかない。私は、自分のブログのアクセス数を見て、一喜一憂する。ブログを公開しているということは、読者数を掴むということだ。われながらこの日記は面白いと思ったときにアクセス数がつかないとがっくり来る。言いたい放題ぬかしつつも、私は常にアクセス数を意識してやっている。読者を飽きさせないためにどうすればいいかということだ。これも、楽しみの一つだ。
 そして残るは、もちろん短歌である。私は短歌を十分に楽しんでいる。短歌を楽しめる理由とは、私に名誉欲というものが一切ないからだ。賞が欲しい?無し。結社で出世したい?無し。本っっ当に、そんな気持ちはさらさらない。謹呈というのが僕は嫌いだ。僕がもしも第一歌集を出せるとすれば、謹呈する相手は「塔」「短歌人」の選者。これは礼儀だろう。そして、僕ごときに歌集を送ってくださった歌人の皆様だ。他の歌人への謹呈は、たとえば浜田康敬、佐々木幸綱、岡井隆ほか、ごくわずか。尊敬して止まない歌人のみである。余った膨大の歌集で、ピラミッドを作って中で昼寝をしようとマジで思っている。ただ一つ、私に欲望というものがあるとすれば、それは、私の歌を読んでくれる読者を一人でも増やすということだ。そして、私の歌集を身銭を切って買ってくれる人を一人でも増やすということだ。それ以外に、歌壇に対する私の欲望はまったくない。
 このブログをやっていて面白いなと思うのは、今現在注目されている歌人と、そうでない歌人がよくわかるからである。私が取り上げて、確実にアクセス数が伸ばせる歌人は、笹公人と加藤治郎だ。この両歌人への注目度が高いことは、このブログのアクセス数がはっきりと証明している。よって、この二人の歌人が注目する歌人というのも、当然今後重視されていくであろうというのは、自明のことなのかもしれない。

      今日の一首

火を放たんとする腕にとりすがりひとは泣きながらわれを諌めき 真中朋久
ニックネーム 茶トラのみんく at 23:03| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記