以前は、赤丸
チェックは、数時間で終わったのだが、出詠数が増え、さすがにそうは行かなくなった。六人の選者の選歌欄を二日にわけてチェックし、赤丸をつけた歌のなかから、ここに載せる歌をチョイスするのにもう一日、要するに最低三日はかかるということだ。「塔」は、今後どれだけ会員数を伸ばしていくのだろう。ただ、何人増えようと意地でも全部読むぞ。なぜなら、この名歌選は
アクセス数四ケタ代を常に保持している。最低でも1000アクセスはあるのだ。これは、読者による支持の現われだと僕は判断している。アクセスが落ちればやめる。まあ、現在のペースが落ちて900を切るようになったらやめる。数は正直だ。数が落ちるというのは、支持されていないということだと僕は判断する。
今月の赤丸歌。吉川欄作品1、146首。澤辺欄、101首。池本欄、144首。花山欄、93首。栗木欄、126首。真中欄若葉集、144首。計754首。
「塔」3月号、陽の当たらない名歌選
黄葉の散りて小暗し
帽子ぬぐ兵士のように暮れゆく窓は 山下 泉
弁理士の合格通知みせる順わたし、夏子、小丸とそれだけ 柴 純子
夕暮れに似たる気配に歩のゆるむ古墳の影に入りたるらし 千田智子
『風にそよぐ葦』を朝あさ
新聞に読みし日遥か雲流れゆく
大田千枝
人あらざるエレベーターに残る香は若き女ならむと階下るなり 松島良幸
山としてわたしを覆うおとこなれおおお、おおおと夜風立つとき なみの亜子
反りぎみの指がすばやく上下して女言葉は手話にもあるらし 乙部真実
娘(こ)といえど三人(みたり)子の母、妻にして耐えるもあらむ首筋(うなじ)の細き 児島良一
このゆびに止まれと空を指さして私の中になだれくる青 塚本理加
ががんぼは身の不始末を詫びにきたあの夏の痩せた叔父さんのやう 久保茂樹
祖父の名は愛蔵≠ニいへり
墓石に刻まれてあることのみに知る 西内絹枝
契約がとれたと明かすおとなしい息子のメールを二度三度読む 今岡悦子
昼さがりの歌会の最中ひそやかに吾が噛み殺すみっつの欠伸 吉村久子
からっぽの牛乳パックを切りひらくなおったよっていったじゃないか 原 ゆきこ
ゴーグルに世界ぴゅんぴゅん映し出す
スキーのうまい
子どもは嫌い 相原かろ
一つありし共同の湯に人気なく刺青の男が湯加減みており 伊地知順一
回を追う毎にアニメのアン・シャーリー十五の身体らしくふくらむ 太田 愛
百姓の生涯なりき吾が父は蚕紙の端切れに歌を記(しる)せり 大久保 明
自信なき人は頷きつつ喋る会議のさなかに気づきたること 井上良子
脱いである服が魚に見える部屋ここで眠ればすぐ舟が来る 金田光世
眠りつつ川を渡っていると知る武蔵野線の馴染んだ揺れに 沼尾莉生
月かげにススキ手折れば匂い立ち村の母子の惨よみがえる 高橋万里子
竹の花咲く怪談を読みくれし祖母ながく長く間をとりつつ 山下裕美
山に慣れし足にて歩む谷の道妹は唄うたっていたのかも 金森靖子
京都駅のずうっと奥と人の詠む山陰線にわたくしが住む 白根佐知江
ぼそぼそと何か言いつつ遊びいるこの一人子はさわぐことなし 須藤冨美子
鍋の字に人偏ついているような部長は飲むと左翼に戻る 関野裕之
痔瘻とは痔といかほどに異なるか熱弁浴びるほどに聞かさる 八鍬友広
ひとたびは煙草と別れし南壬子さん周子善知鳥と煙に和(なご)む 善知鳥夢宅
さよならはさみしい言葉番組の終りにアナウンサーが言っただけでも 真隈素子
以上、絞りに絞った厳選三十首。歌には
ドラマ性がなくてはいけない。映画のワンカットのような見事な秀歌たちである。
てっちゃん様なる人物と、その歌を通してちょっとした論争したが、僕はゾーっとした。ろくに三十一音のリズムをととのえることさえできず、人の歌を読むときも句切れの場所が理解できないようなのが、一丁まえに自分はすぐれた歌人であるかのように思い込んでいるということがだ。私も、短歌について大きなことは言えないが、それ以上の馬鹿がぞろぞろいるということだ。何十人何百人何千人のてっちゃん様がいるということだ。僕は思う。短歌が滅びるとしたら、それは詠み手が少なくなるということではない。読み手がいなくなるということだ。これは、初心者のことばかりを言っているのではない。一丁前に歌人づらをしている連中にしても、他人の歌を読むという段になって、どれだけの力があると言えるだろうか。一例をあげれば「短歌研究新人賞」の選評会議を読めばわかるではないか。まるで読めていないような選者が何人もいる。短歌の危機とは、読み手が不足しているというそのことを指すのだと僕は思う。永田和宏主催が、歌は読むことが大事と日頃から発言している気持ちが僕にはよくわかる。再度言おう、詠み手はもういい。よき読み手が台頭してくることこそが焦眉の急として求められているのだ。これについてはまた書こうと思う。