2008年05月31日

1065 明日はダービーめでたいな

 下馬評通り、たいへん難しいダービーとなった。過去、ダービー九勝7敗と勝ち越してはいるが、今年ほど難しい年はない。ただ、オッズはつく。その点は楽しみ。
 人気上位馬を見る。前売り一番人気、ディープスカイ。あやしい。僕はこの馬は、1600から2000までの、基本的にマイラーだと思う。2400はどうか。しかも、ろ―テ―ションが、これはきついよ。7戦めでダービーを迎えるなんて、馬にとっちゃ地獄だね。調教がいいとかなんたら新聞には書いているが、そりゃー真面目な馬は練習だってちゃんとやるさ。目に見えない疲労が相当溜まってると思う。馬場が渋るのもマイナスだし、1ゲートというのもきつい。よくて押さえだ。また、青葉賞を勝った8番、アドマイヤコマンド。これも人気になりすぎ。前回はコース取りがはまった。上積みはないな。これも押さえ。
 考えた挙句、僕は、このレース、9番マイネルチャールズ、18番クリスタルウイング、2番サクセスブロッケンの勝負じゃないかと思う。サクセスはダートしか走ってないが、これはもう、ぶっちぎりの強さ。血統から言っても、芝適性十分である。クリスタルは、競馬のセンスが抜群にいい。青葉賞2着は、これはコース取りの運だ。ローテもいいし、この馬のセンスのよさに賭けてみるのもいい。9番マイネルチャールズ、この馬も、1戦多過ぎる。が、一番安定性のある馬だろう。馬場が渋るのも不利ではない。ただ、連対の絶対条件として、馬体を増やさないとダメだ。せめてプラス4キロ以上は欲しい。陣営も、そのへんをかんがみて調教を軽めにしたのだろう。明日は、ペースは平均よりやや速いかもしれないが、それでも馬場状態を考えれば前のほうが有利だと思う。追い込み一辺倒の馬は苦しい。賭け方は、かなり複雑になる。が、前日予想では、一応チャールズを軸とする。たぶん、明日のオッズは、彼が一番人気になってるんじゃないかと僕は思うのだ。
 前日予想結論。馬連本線、9−18(6820円)、2−9(3380円)、タテ目2−18(12160円)。以下フラットに、1−9、4−9、8−9、9−10、9−16、9−17。タテ目もしっかり買う。16−18(19480円)、17−18(17140円)、10−18(10980円)、2−10(5070円)、2−16(13310円)。これだけ買っても、勝てばプラス。ただ明日、マイネルチャールズの体重がプラマイ0、ないしは減だったら、軸から外す。クリスタルウイングから行くしかしょうがないな。半分、宝くじを買うようなダービー。これはこれで面白いぜ。いずれにせよ、明日は大変おめでたい日だ。お祭なので、競馬に関心ない人も、100円くらいは賭けて楽しんで欲しいな。松岡、内田博、横山典、ぐわんばれ!!
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2008年05月30日

1064 人の役に立つ生き方?〜笑わせるな!〜

 詳細は言わんが、「自分みたいな役立たずは死んだほうがいいんじゃないのか」と泣く女の話(それも人が寝てるときに電話をかけてきてくどくどくどくどと)を聞いてどたまに来た。きついことを言って電話をぶち切ったので明日死ぬかもしらんが俺は知らん。新聞で精神科医などは、「死にたいという人がいたら、反論や忠告をせずにとことん話を聞いてあげなさい」とのたもうておるが、こちとらそんな暇人ではないのだ。
 だいたい、「自分みたいな役立たずだから云々」とはどういう思考回路だ。人(この場合、具体的個人ではなく日本的「世間」をさす)の役に立つか立たないかというのは、概念のありかたと、ものの見方の角度に過ぎない。日本人というのは、「世間」や「周囲」が自我よりもっと上位の「神」であって、もやーっとしたなんかよくわからん「集団」の中で自分がどうか、というところにアイデンティティを置きすぎである。要するに、「自分」がないのである。僕は、真のエゴイストこそが、結果的に見て社会に有益な存在であると考える。真のエゴイストは、自分が大事だから、復讐を招いたり恨みを買うような真似はしないし、そして、他人の思想や生活や個人的なことに興味を持たない。エゴイストだからだ。安部公房の有名な芝居「友達」ではないが、「あなたのためを思ってしているのよ」というくらいメガトン級に迷惑で気色の悪い存在はない。世間はこの迷惑に満ち溢れている。自己流にマイペースに生きること、これが真の「人のためになる」生き方なのである。人のために役立つうんぬんは、まず自我が確立されてから言うことであって、そうでない限り、ただ単に、共同幻想に組み込まれてそれを疑問に持たないというだけの話だ。役に立ったかどうかなんぞ結果論であって、張り切って人や社会や所属集団のお役に立とうなんて奴は結局迷惑な存在になることが多い。自我の確立してないやつのお節介ほど迷惑なものはない。
 どうしても人の役に立ちたいというのなら公営ギャンブルをやれ。馬を買い船を買い自転車を買いバイクを買え。国庫は潤い、関係者は喜び、配当を得た人も喜ぶ。煙草を吸え。酒を飲め。税金となって社会に還元されるであろう。酒も煙草もギャンブルもやらん、こんな奴からは、「真面目税」「健康税」として、収入の半分を徴収してしまえ。こちとら、体をぼろぼろにしながらせっせと間接税を払っているのだ。とにかくなー、人の役に立ちたいなんぞとほざく奴らは、まず自我を確立してから言え。
 人間にはそもそも、バカだろうがアホだろうがスケベだろうがニートだろうがなんだろうが生存権というものがあるのである。それに、役に立たない人間なんてのは存在しないと俺は思っている。冒頭の某女性に、「甘ったれるなバカ氏にたいならとっとと氏ね」と言って電話をぶち切ったが、これを「逆説的な励まし」と思わないように。俺は言った通りの意味で言ったのである。
 てな訳で、日本ダービーが近づいている。俺はまた、たっぷり掛け金を賭けて人の役に立とうと思う。諸君、ダービーの時くらい金を賭けろよな。100円でもいいから、そのくらいの心の余裕を持て。と私は思うのである。
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2008年05月28日

1063 訃報欄と退会欄〜病犬(やまいぬ)〜

 「塔」が、最近訃報欄を設けるようになった。亡くなった会員のことを報告するわけであり、悲しいことだが、これは大事なことである。何年も、真面目に休みなく出詠している人には、必ず声なき読者が何人かはいるはずだ。そういう人たちに対する礼儀として物故会員についての情報はきちんと載せるべきである。突然出詠が途切れた人のことを、気にし続けて落ち着かない読者というのが、必ず何%かはいるのだから。僕が、「塔」に入会して間もないころ、田中雅子氏の出詠が一ヶ月途切れたことがあった。その前の月の掲載歌が入院の歌だったので、失礼を省みず編集部に問い合わせたことをおぼえている。それだけ、読者というのは、好きな歌人の欠詠が気になるものなのだ。
 したがって、結社誌というものが、読者のためのものでもある以上、欠詠者の消息として、訃報だけでなく退会者の名も明記して告知すべきだと思う。理由などはどうでもいい。その人の歌を待っている読者が余計な心配をしないためにも、ちゃんと書いてほしい。たとえば僕は、ここのところ柴夏子さんの歌が「塔」に全然載らないので、なんらかの理由で休詠しているのだと勝手に思っていた。そうやってやきもきさせることは、真面目な読者であるわたくしに対して失礼な仕儀である。しかし、社会的には常識なこんなこと(会社報なんかでは退社者、物故者を書くのは当たり前のことである)が、やりづらい閉鎖性があったりするのかな、歌壇って? なんせあれだ、誰がどこの結社に入ろうが抜けようが二股かけようが火をつけようが(いや火はつけたらいかんが)勝手なのに、「んまあ先生(地方のカルチャー講師などやっとると)、結社おやめになったんですって、どおしてえ?」などと、恥ずかしげもなく質問したり忠告したり、あまつさえネットで取り上げられたことを非難したりするような手合いがイナカにはおるそうなので。もっともそれにへたれて、「近所で噂になるから」と、注目されること自体を忌避するような歌人のほうにも問題はあるが。文学をやっておるのだ、イナカに住んでりゃ白眼視されるのは当たり前ではないか。短歌がそんな高踏な文学かボケ。あなたもわたしも所詮は病犬(やまいぬ)の仲間、短歌を始めた時点でお天道様の下を堂々と歩けないと知れ。
 僕自身、今まで柴夏子氏が退会したのではなく、単に欠詠していただけだと思いこまされていたことに腹を立てている。また、なんで夏子さんがやめたら、お母さんの純子さんの歌まで消えるのだ。「そらあ娘が結社やめたら母親だっていられないっしょ」というのが、世間の常識ならば、そんな常識は滑稽である。娘が結社をやめたって、母親が平気な顔で居座ってたって、なーんの問題もねーではねーか。僕はむしろ、肉親や夫婦が同じ結社に所属しがちだということ、このことのほうを異常であり気持ちが悪いと思う。たとえば俺は、妻が「塔」か「短歌人」に入りたいと言ったら、「鬱陶しいからやめてくれ」と泣いて止めるだろう。そっちの感覚のほうが、俺にとって常識だ。俺は妻には、「未来」に入って「彗星集」に入れと勧めている。なぜなら、「未来」をタダで毎月読みたいからだ。未来は、けっこういい歌人がかなりいる。妻は泣いていやだと拒むが。俺の考えおかしいか?なんで、家族同士で同じ結社におったり、一緒に抜けたりせなあかんのだ。まるで、田んぼでカエルが集団交尾してるのを見るような気色のわるさである。
 俺はもっと、歌壇の、システマティックな矛盾を衝いた表現を読みたい。それに異議を唱えているのは現在のところ俺のこのブログだけだ。これも異常なことである。たとえば、小島なおが、お母さんがいるからって「コスモス」に入らざるを得ないある種の強制力が存在し、それを当然と思うような心性がそもそもおかしいのである。小島なおが「塔」や、あるいはそのへんの誰も知らんような結社あるいは「コスモス」と敵対するような結社に入ると小島ゆかりの立場がわるくなるのか?だとしてもそれは歌壇の旧弊さの罪であってなおタソの罪でないこと、近代人にとっては当たり前であろう。違うと言うなら言ってみろ。言えないなら、俺が正しいということである。
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2008年05月26日

1062 「塔」五月号「陽の当たらない名歌選」〜短歌における肉体感覚〜

 赤丸歌、花山欄192首。三井欄173首。黒住欄若葉集105首。計470首。5月号、赤丸歌総数、1044首。

      「塔」5月号、「陽の当たらない名歌選」その2

不忍の枯れ蓮の間(あい)通るとき確かめたきことひとつ聞きたり 黒沢弘子

のこぎりで八つに分けて処分されしダブルベッドはちちははのもの 尾崎知子

軍袴ズボンの前の垂れ紐征く父に蝶むすびけむ母かがまりて 畠中隼人

胎便を出さむといきむ子の尻を動物ならば舐めてやるらむ 青木朋子

出稼ぎに組合作りし父の業四十年経て碑に刻まれぬ 数又みはる

諦めてしまうにはもっと力が要るわたしはそれを今溜めている 加藤都志惠

うたうように鳴る虎落笛 死ぬことも死なないことも恐ろしくなる 加藤都志惠

アメリカングラフィティ」のポスターを眺めて一日バーボンなめる 北野安太

敵の敵は味方であると言ひたげなのつぺりとした顔の会ひけり 遠田有里子

右見ても左見ても嘘ばかりじっと手を見る行為すら嘘 西之原正明

太った親の間に座る太った子 上げし視線を文庫にもどす 筑井悦子

嫁がせる気も失せゆきし子には子の思いあるべし三椏の花 西本照代

ざわめきの地下街に立ちまなこつむる托鉢僧の耳朶に穴あと 村瀬美代子

皮切りと呼ばるる作業解剖で黙祷ののちはじめしことは 加藤ちひろ

頭髪の気になる齢となりし子が髪かき揚げる仕草夫に似る 川上とよ

食卓のトマトが鬼の心臓に見ゆると君に言ひてさびしき 苅谷君代

毛筆のほそくやわらかい一本の線を引きいるような居眠り 北辻千展

突っ込みを入れて不安を隠しいる友だったチェロと同じ背丈の 白水麻衣

日の暮れをゆく人となりふらふらと〈悶絶の旨さ〉の鰻屋に入る 杉本潤子

瓜苗を接ぎいて農夫寡黙なりかたわらの歌誌時どきのぞく 松岡 伸

恋に生き恋に死なむとするわれに秀処より伸ぶる尿の管はや 横山美子

ふた親は趣味をもつから安心と息子の言いしとか 立場逆転す 吉村久子

これ以上疲れたら死んじゃうよ息子の声に背をさする夜 今井由美子

われめざし襖をつたいて歩く子はそのまま裏へといってしまえり 宇梶晶子

いつまでも男の乳房はふくらまず蕾のままで四季をめぐりぬ 瀬川しん

ダンボール川面に浮かべ母猫を弔い子猫と眠りし日あり 多 昭彦

無愛想な媼の家の玄関でWELCOMEとうボード揺れおり 中山悦子

音立てて換気扇から流れ込む北風聞きつつシチューを煮込む 龍田裕子

銭湯の番台婆は鼻眼鏡うとうととして晦日ふけゆく 能登 鳶

初夏(はつなつ)の雨の香りに酔いながら君と舗道にうずくまってた 山上秋恵


不忍の枯れ蓮の間(あい)通るとき確かめたきことひとつ聞きたり 黒沢弘子

 実に映像的な歌で、心惹かれた。不忍の池にボートがあるかどうか知らないが、おそらくそうなのだろう。夕暮れ、あの辺りを散策したことがあるが、まあ実にもってあの池の蓮というのは、お釈迦さまのおさまりかえった天国とはほど遠い、ぐしゃぐしゃに蓮の葉(浮かんでるタイプではなく、コロポックルが隠れてそうなやつ)が密生していて、ありていに言って気色が悪いったらない。虫の卵とか密生したものが嫌いなタイプなら悲鳴を上げて逃げ出しそうな光景である。それでなくても悪意に満ちたジャングルの闇を連想させて不気味だしな。その蓮の間をボートで過ぎるとき、作者は「確かめたいこと」を聞いたと言う。その刹那を詠った作者のセンスが抜群にいい。絵的にリアルなのだ。「確かめたいこと」は読者の想像に任せよう。掲載されたほかの4首もすばらしい。この人は、歌を詠むセンスがいい。

のこぎりで八つに分けて処分されしダブルベッドはちちははのもの 尾崎知子

 この作品の視点はすばらしい。普通、こういうことに、凡百の歌人は目をつけないのではないか。作者の母は亡くなったそうだ。その上での歌だ。上句の具体性と、下句の叙情性がうまくマッチングしている。ダブルベッド。直截な表現だが、そこはかつて自分が存在を始めたはずの場所でもあるのだ。上句の、「のこぎりで八つに分けて処分され」という表現に、作者が母を失った痛みを感じる。強烈な一首だ。

突っ込みを入れて不安を隠しいる友だったチェロと同じ背丈の 白水麻衣

 これは、結句がすばらしい。チェロと同じ背丈の。相当なチビである。そのチビがボケでなく突っ込み役であるというところにイメージがわく。なんか、読んでいて痛々しい。背の低い人というのは、ほぼ例外なく攻撃的である。直接聞くことはできないが、その劣等感や不安感は相当なものだろうと思う。その背の低さを、チェロという不思議な神秘性を持った楽器に例えたところが素晴らしい。これも視点のすばらしい歌だ。

胎便を出さむといきむ子の尻を動物ならば舐めてやるらむ 青木朋子

 もろに母性的な歌で、正直、僕の守備範囲ではないが、これも肉体感覚にあふれた凄い歌だ。作者は、猫か犬でも飼っているのだろうか。原初的な動物の生殖行為を直截に描いて、あるようでない短歌である。ちょっと驚いた。

 以下、今日の名歌選には、すべてにコメントをつけたいほどいい歌が揃った。だが、しんどいのでやめる。あとの読解は読者に任せる。「塔」は、どのページを開いても、必ず名歌が潜んでいる。読者諸氏には、それを掘り起こしていただきたい。何度も言うが、私をレギュラー選者にすべきだ。もうすでに、「塔」の優秀な歌人を私は見出している。柴夏子、どこ行った!?ひょっとして、俺がホメたから消えたのか!?
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1061 残酷な少女ポピー狂い咲き〜来年への教訓〜

 オークスの結果を、先ほどビデオで確認し、風呂に浸かって、今この日記を書いている。不思議なことに、私の仕事先の人間は、いつも誰かしらやってるのにこのオークスに限って誰もやってなかった(笑)。不吉な予感がした。レース展開は、まったく私の予想通り。レッドアゲート内田博は最高の騎乗。私は、「ああ勝った!」と思っていたが直線で失速、なんでやねん!!無理に考えれば、彼女はもう疲れてたのかなあ。去年の十二月一日から、中、長距離を6戦走っている。疲労がピークに来ていたのかもしれない(先に気づけよ)。トールポピーは、残酷な少女だ。桜花賞でみんなの期待を見事裏切り、オークスでまさに狂い咲いた。二着のエフティマイア、彼女はプラス12キロ、減った馬体を増やしていた。しっかり紐でおさえたが、肝心のレッドが、ああ、これじゃあなあ。人気上位馬、ソーマジック、リトルアマポーラ、共に沈没。彼女らも、放牧なしの使いづめだった。エフティマイアも放牧はないが、彼女は中・短距離だ。このへんの差だろう。
 来年に向けての教訓。使いづめの馬は要注意。勝つのは、放牧期間のある馬だ。って、あとから言うな!
 さて諸君、来週は待ちに待った日本ダービーである。おめでたい日だ。勝とうが負けようが諸君、参加しようではないか。しかし、これはむづかしいぜ〜。難易度Aだよ。NHKマイルCで勝ったあの馬が人気になるだろうが、わからんダービーであることには間違いない。まあ、それでも競馬は面白いということである。負けても負けても競馬。競馬ができるだけ幸せな人生と思ったほうがいい。←負け惜しみ
ニックネーム 茶トラのみんく at 00:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2008年05月24日

1060 5月の雨にメノウは輝く〜オークス急遽参戦!〜

 今日は、名歌選2をじっくりやろうと思っていたが予定変更、オークス予想だ。このレースは回避の予定だったが、電車の網棚に置いてあったスポーツ新聞の馬柱をつい見てしまった。諸君、競馬モノというのは、いったん馬柱を見て予想を始めたが最後、買うと決めるのである。ああ、ずーっとオークスの記事を読まないように用心していたのに。吉と出るか凶と出るか。多分凶だろう(笑)。
 雨だ。重馬場で喜ぶ馬がいるだろう。まず12番ソーマジック。確かにこの馬は、重がいやではないだろうが、ピンと来ない。彼女は、過去、平均以上のペースのレースばかりを経験している。明日はスローペース必至。引っかかる恐れあり。それと、馬体重が490キロというグラマーなのも気になる。オークスというのは、長距離なだけに、だいたい450キロ前後のスレンダーな娘(こ)が来るのが定石である。よって、連下に落とす。18番、リトルアマポーラ。この馬は有力だとは思うが、大外ってのがどうもなあ。府中は今、外よりもやや内目沿いが有利だ。ただ、この馬は有力。軸はずばり、4番、レッドアゲートだろう。まさに、オークスのみを狙ってきたローテーションである。また、この馬は小柄だが、マンハッタンカフェ×セカンドチャンスという血統から考えて、スタミナタイプである。それほど切れる脚がないだけに、明日の渋った馬場は彼女にとって好都合と見る。また、第4ゲートというのは最高である。今週から仮柵使用で馬場の悪いインコースが排除される。彼女の通る道こそがまさに、ビクトリーロードとなるはずである。たぶん、五、六番手を確保して、一番いいコースをとってくるだろう。地方競馬出身の内田博のG1初勝利も夢ではない。僕は彼が好きだ。頑張ってほしい。
 相手はもう、絞りきれんよ。穴として面白いのは、2番ハートオブクイーン、9番ライムキャンディ、16番エアパスカル。条件つきだが、馬体増が条件の13番スペルバインド。逆に馬体減が条件の14番カレイジャスミン。この2頭は、重馬場では侮れない。要は、明日は紐荒れの可能性十分である。また、マイナス10キロで桜花賞一番人気を裏切った15番トールポピーの狂い咲きもありえる。重馬場でアウトなのは3枠二頭、ムードインディゴとエフティーマイアだろう。
 前日予想結論。本線馬連、4−18。以下フラットに、3−4、4−7、4−10、4−12、4−13、4−14、4−15。穴、2−4、4−9、4−16。計11点。こんなに買っても当たればプラスになる。ただ当日はパドックで何点か切りたいね。
 レッドアゲ―トの不可解な馬体重増減があれば、このレースは回避する。このレースは彼女のためにある。ただ、馬場は悪いままでいいが、雨は止んでほしい。
 レッドアゲート連対確率、55・7%。
ニックネーム 茶トラのみんく at 22:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2008年05月23日

1059 「山のあなた 徳市の恋」=「按摩と女」=清水宏

 最近、邦画ではリメイクが大はやりだ。黒沢の「椿三十郎」や「隠し砦の三悪人」のリメイクはわかる気がする。ストーリー自体が、バカでもわかるおもしろさだからだ。しかし、「マジかよ!?」と瞠目するようなリメイクも散見される。たとえば、知る人ぞ知る内田吐夢監督の「たそがれ酒場」(昭和30年)をリメイクした「いつかA列車に乗って」や、太平洋戦争中とは思えないほどの馬鹿映画「歌ふ狸御殿」の鈴木清順による再映画化など、新作を実は見ていないが、その意気やよしと僕は思うのである。そして、また、びっくりするようなリメイク映画が明日から公開である。「山のあなた/徳市の恋」である。これは、昭和13年の清水宏監督「按摩と女」のリメイクである。監督の石井克人という人物は僕はまったく知らないが、よくこの作品に目をつけたものだと僕はちょっと感動している。ストーリーは簡単だ。東京から温泉地に来た女に流れものの按摩が恋をし、彼女を板場さがしの泥棒と勘違いするが、二号の身から立ち直ろうとしている女性だとわかって、彼女の幸福を願いつつ、再び逃亡を続ける彼女を見えない目で見送る、という内容である。旧作の、この見送りのラストシーンが素晴らしかった。リメイクの主役(按摩)は草なぎ(字がでねえ)剛。あ、これはナイスキャスティングだと思った。確かに彼の、ジャニーズらしからぬのっぺりした感じは主役の徳市に合っている。あと、相棒の加藤亮と、件の女性を演じるマイコって、これは僕は全然知らん。オリジナルでは、徳市は徳大寺伸、相棒の按摩は日守新一(松竹蒲田の名バイプレイヤー)、そして女はあの名女優、高峰三枝子だ。このキャスティングに、どれだけリメイク版が迫っているか、僕は不安だ。ただ、本日朝日新聞の夕刊で、佐藤忠男が褒めている。この日記の読者でこのリメイク版を見た人で、いいと思った人がいたら感想をください。そしたら俺も見る。
 清水宏は、映像における写実主義というものを提唱し、実行した稀有な映像作家だ。有名な話だが、松竹蒲田の名バイプレーヤー、坂本武が彼の演出のもと映画出演をしたとき、その芝居くさい芝居に、清水は激怒し「馬鹿野郎、お前の手の動きで、後ろの花の風に揺れるシーンが撮れなかったじゃねえか!芝居をすんな!」とわめいたそうだ。清水にとって、役者とは、自然を彩る点景に過ぎないのだ。今、清水作品のDVD化がかなり充実しているが、お勧めは「有りがたうさん」と「簪(かんざし)」。「有りがたうさん」は、なんとあの226事件のまさのその日の公開である。このアイロニーと悲愁とユーモアに満ちた映画に関してはもう散々書いてきたのでもう書かないが、日本の軍部というものがバカの極致を晒してさらなるバカの道を邁進するきっかけとなったこの日の公開というのは、神のブラックユーモアとしか言いようがない。軍部がバカ揃いで検閲する能力もなかったのが幸いである。また、「簪」も、太平洋戦争開戦直前の公開である。この中での、「学者先生」こと斎藤達雄の台詞がたいへん面白い。田舎の山の中の温泉のめしをくそみそに言うのだ。「朝は生卵、夜は刺身で飽き飽きする」などとぬかすのである。「山の温泉に来て海のものなど食いたくない」。――当時の感覚として、これはありえないというほどべらぼうな世界である。卵だの刺身だの、昭和十六年の庶民にとってはすでに手の届かない存在であった。ただし、実際画面に卵や刺身が映るわけでない。ビールや酒を飲むシーンも実際の画面には出てこない。唯一、食べるシーンといえばスイカを食いまくるシーンだけだ。しかし、軍人野郎どもの野暮を憎む清水の気骨はこの台詞に如実に表れている。「有りがたうさん」にも俺が検閲官だったらちょん切るような台詞が頻出するが、あいにく当時の検閲官というのは俺と違って教養がないので、皮肉られていることがわからなかったのだ。「有りがたうさん」における、上原謙と、在日朝鮮人との交流シーンは、日本映画史に残るべき名シーンだ。あの時代に、感傷的切り口とは言え朝鮮人を確かに日本に存在し生きているものとして描くことがどれだけ画期的で、考えられないことであったか。
 読者諸賢よ。歌集を買うのも大事だが、ちみたち、もっと日本映画を見なさい。「有りがたうさん」と「簪」、これはぜひ見ていただきたい。

      今日の三首

『簪』にゆたけくありし下部川護岸せばめてかなしみめける 黒田英雄

田中絹代濯ぎ女(め)とせし清水組ロケの合間に川泳ぎしけむ

大戦の迫りくれども朝なさな川原に集ふラヂオ体操
ニックネーム 茶トラのみんく at 23:31| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記

2008年05月22日

1058 浅い水路〜視点〜

飛行機がけふのさびしい曇天に吊り下げられて動かぬごとし 澤村斉美

 飛行機が、曇天に吊り下げられたように見えた、という視点が面白い。飛行機というのは、みんな当たり前のように乗ったり飛んだり降りたりしてるが、僕にとってはかなり非現実性の高い物体である。実を言うとこの年まで乗ったことがないのだが。僕だってライト兄弟の偉業は知ってるし、ブッシュ大統領とかがときどき日本にいたりするからには飛行機は飛ぶんだと理屈ではわかっているが、あえて言えば、あれは人間の理性を超えた存在である。大きく、銀色に光って、無機の権化のようなものが雲の間をじっと動かぬように浮かんでいる。UFOの目撃は人類全部が持つ無意識の現われだという説があるが、飛行機には、現実に飛んでいるにもかかわらず夢のような象徴性がある。ものすごくシンプルに言えば神的ななにかか。さらに不謹慎な想像を巡らせれば、ちょっとだけ「一瞬後に墜落するのでは?」と思わせる光景でもある。そんな作者の戦慄が伝わってくる。基本的に俺は、人間は空なんか飛んではいかんと思う。飛行機が、曇天に吊り下げられているという作者の視点の勝利の歌だ。

この浅い水路に沿って流れゆくことをキャリアというのだろうか 秋葉葉子

 この歌も、上句における作者の視点が抜群にいい。浅い水路の流れ、とキャリアということを比較したセンスがいい。僕は、キャリア志向というものを「けっ」と思う人間である。これは、女性の社会進出をあざけっているのではない。なぜなら僕は、男性のキャリア志向も同様に「けっ」と思うからだ。男は社会に召集され、訓練され、個性をはぎとられ、レール(この歌で言えば、浅い水路)に乗せられ、自己決定権をものの見事に奪われて絞りとられてきた。この愚行をなにもそのまま女性がなぞることはない。社会に進出しつつ、植木等的スーダラを決めこむことが女性だって可能なはずだ。だが、精神的中身を欠いたルートにうまく、というかうっかり乗ってしまえば、世間はそれを出世と呼びキャリアと呼ぶ。キャリア、という言葉は英語の「キャリー」(運ぶ)や、「キャナル」(運河)を連想させると思うのだがどうだろうか。これも、視点の抜群にいい歌だ。

畳の上で死ぬのはみんな幸せか畳の上で刺さるるもある 荒井直子

 一読、爆笑した。確かにそうだ。坂本龍馬がどたまをかち割られた京都のうちだって、畳の上で死んだには違いないもんな。昔は、「てめえなんぞ畳の上では死ねねえぞ」という罵倒が成立したらしいが、入院費の払える者は病院ベッド、そうじゃない者は路上、どうでも畳の上で死ぬんだったら老人の孤独死、という現代社会ではすでにギャグである。もっとも畳の上でうんぬん、というのは、家族親戚一同に見守られて死ぬのが幸せ、という考えかたに基づいているのであろうが、そのことにすでにおぞ気をふるう、僕みたいな人間も今は多いだろう。まあ、病院で死ぬのも正直願い下げであるが。僕が見事孤独死を遂げたあかつきには、「フローリングの床で死ぬ」という常套句ができるであろう(できないって)。

病人と死人の短歌ばかりだな「塔」伏せ眸閉づホスピスの父 沼尻つた子

 亡くなった父を歌う連作の中の一首。実にいい歌だ。病人と死人の歌が多い、とつぶやいて、作者の父は目を閉じたという。これは決して、「塔」誌を生命力に欠けたへたれな結社と思ったのではなく、実感として迫りつつあったものを敏感に、詩的表現の中から掬い取っていたのだと思う。上句に父親の言葉を書き、下句に描写するという構造がうまい。短歌というのは、死を思ったときにいちばん心に染み入る文学だ。ホント、いやな文学だよな(笑)。作者を、ちっとも幸せにしない。僕も一ヶ月入院したとき、急に歌が詠みたくなったのだ。また、看護士たちも、私の買った歌集を読ませてくれと言ってきた。常に死に直面している彼女たちの心に訴えるものが、短歌にはあるのだろう。なぜか、短歌にふける死刑囚はいても俳句を作る死刑囚はあまりいないのではないか。短歌という文学の持つ根源的な意味を問う、シンプルで普遍的な歌である。

黒田節父がうたひて母がまふ雪見障子を空けて昔は 結城綾乃

 まず、この歌で感動的なのは、歌の内容と作者名がぴったり合うということだ。これが、「熊田よね子」なんて名前だったら歌の幻想性が80%は落ちる。綾乃という名前と、黒田節という言葉がマッチングして、この歌を崇高にしている。それにしても、父が黒田節を歌い、母が舞いを舞うというのはいったいどういう状況だ。まさにファンタジーではないか。まさに、私の好きなテーマ、「白と黒」だ。うーん、いい歌だ。

 何度も言うが、歌は視点だ。よく読めば大したことのない内容を、修辞遊びでこねくりまわした短歌が主流を占めてきたのではないか。誰のことを言っているか、読者諸賢にはもうおわかりであろう。私の名歌選を読めば、それは如実に伝わるであろう。「塔」は、選歌欄評を半年に一回交代させるが、一人くらい不動のレギュラーを置くべきだ。誰を置くかというと、それは俺だ。「栗木京子選歌欄」の評は、今後いっさい全て俺に任せていただきたい。なぜなら、俺は栗木ファンだからだ。
ニックネーム 茶トラのみんく at 00:42| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記

2008年05月20日

1057 「塔」五月号「陽の当たらない名歌選」1

 今月の赤丸歌、栗木欄作品1、135首。真中欄作品1、131首。吉川欄、158首。池本欄、150首。計、574首。

      「塔」5月号、「陽の当たらない名歌選」その1

病人と死人の短歌ばかりだな「塔」伏せ眸閉づホスピスの父 沼尻つた子

この浅い水路に沿って流れゆくことをキャリアというのだろうか 秋葉葉子

畳の上で死ぬのはみんな幸せか畳の上で刺さるるもある 荒井直子

雨のあと乾ける道を歩むなり砂利を踏みゐし靴の音消ゆ 上崎智旦

影のない雪が次々舞い降りて私の嘘をこっそりと聴く 西村玲美

通帳が0(ゼロ)になるときわが命ちゃうどおはれるやうに諮らむ 米岡隆史

写るときリバーシブルのジャンパーを赤に返せり現地のガイド 藤木直子

飛行機がけふのさびしい曇天に吊り下げられて動かぬごとし 澤村斉美

湯にときしむぎこがし食べたくなりぬ積んだ布団にもたれてゐると 久岡貴子

衣着て法話するとき無意識にニコニコすると疲れる 貞包雅文

冬の日は藁の匂いのするようなバス待つバス停風の中にも 古林保子

家族葬が私の遺言と子に言えば口論になる死ぬるもむずかし 村田清子

影として君が残した指のあと砂糖の壺のくぼみにたまる 藤田千鶴

熱ある身もてあますとき家族来て地蔵のように冷えた手差し出す 上條節子

ベッドひとつ運び出されし病室に踊りだしたき床あらわれる 上條節子

陽の当たる床より毛糸巻き戻しさびしからざる妻とは何ぞ 朝井さとる

冷凍庫にしまい忘れしにんにくが若草いろの芽をぬっと出す 大内奈々

誰もまだ発言してない会議室に皆の意見に従ふと言ふ人 塩谷いさむ

栄養が回れば涙止まるだろう泣き止むために炒飯つくる 山内頌子

大根はフトモモ科だと騙られてつくづく白き肌(はだへ)を見たり 梶原さい子

老夜警いま去りしごとし図書館の廊下の椅子に朝の日が差す 村上和子

この人にもそう思われていたのかと蛸の煮つけをつまみつつ聞く 松村正直

呼びたれど誰も出てこぬ花屋なりきれいなバラを見るのみに帰る 黒木孝子

もし私が男だったら好きだなあ少し冷たい目をして看護士 石井久美子

ぐらっぐらり揺れる階段下りている夢にはいつも地面がなくて 吉川敬子

をちこちに屋根より落つる雪のおと手紙の前文長くなりゆく 山地あい子

かなしみを抱いたままでは歩けない泳ゲヨ涙デアフレタ海ヲ 山梨寿子

見習いの忍者みたいな小走りでバス追いかける赤ランドセル 吉岡昌俊

黒田節父がうたひて母がまふ雪見障子を空けて昔は 結城綾乃
ニックネーム 茶トラのみんく at 23:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2008年05月18日

1056 新宿区の素晴らしさ〜柴夏子退会!?〜

 おお!ニシノマナムスメよ!なんでアンタ、プラス10キロやねん!俺は、輸送減があると思い、マイナス4あたりとふんでいた。中3週で、成長分とは言えまい。いったい何食ったんや。もっと強い調教やったほうがよかったかもしれないな。意味のない馬体増の馬は直線で必ず失速する。俺の思った通りのレース展開だったが、彼女がブタになってしまっては、しょうがない。このレースを回避できなかった俺も弱いよな。ウオッカは偉い。478キロ、もうこれ以上絞れないぎりぎりの馬体。トモも痩せこけていた。が、ちゃんと2着に来る。偉い馬だ。このあとはちゃんと休ませて、秋のG1はエリザベス女王杯か、マイルCSを目標にローテーションを組むべきだ。ただ、天皇賞秋だけは使うべきではない。魔の府中2000、もし彼女が出てきたら、なんかアクシデントが起こりそうで怖い。彼女は、それだけきついローテーションを組まされているのだ。まさか、宝塚なんか使いませんよね?彼女に死ねと言っているようなもんだぜ。天国で、ライスシャワーと結婚しろとでも言うのか。ニシノマナムスメの実力はこんなもんではない。追っかけようと思う。次はどこを使ってくるか、楽しみである。ダイエットしろよ!

 競馬に負けて帰って来たというのに、うちのそばの神社はお祭の真っ最中である。朝の10時から夜の九時まで、笛と太鼓でどんちゃかどんちゃかやっている。この神社は、ちっとも知らなかったがけっこう有名らしい。永井荷風の小説にも描かれているらしいし、神社巡りや名所巡りの好きな人には必須のポイントでもあるらしい。なんせ、落語の「道灌」に出てくるという、あの、傘を貸せといったら山吹の枝を折って差し出したという女(紅皿、というとんでもない名前らしい)の墓(ホントかよ)があったりするのである。僕はこの神社が好きだ。夜なんか、帰路細い路地に入って行くと、鳥居にさがった提灯の明かりがぼおっと見える。ここが新宿かと思えるくらい、異次元の世界に入った気がして心地良いのだ。また、新宿で、ウグイスの声で目覚めるなんて諸君、考えられると思うか。バードウオッチングしようかな、とまじで思っている。カラスさんハトさんはもちろん、メジロ、ムクドリ、シジュウカラ、さまざまな鳥さんが歌っていて、とても副都心のど真ん中とは思えない。しかも、土地柄大陸系の人が多く日本語すらあまり聞こえてこない。不思議な空間のマンションである。新宿には、ちょっとガイドブックを見てみたら以外と神社仏閣が多い。ネオンきらめく中にも、ちゃんとそういう由緒がたたずんでいる街なのだ。鬼王神社など、名前も珍しいし、ちょっと変わった像なんかあったりする神社とか、ユニークなのが多い。そりゃあねえ、世田谷区みたいな物騒なとこに住むより、新宿のほうがずっといいぜ。イナカモノは、「世田谷区?ああ、リッチでハイソでセレブでステキ」とか思うかもしれないがとんでもない。実は、東京二十三区で最も犯罪率の高いのが世田谷区なのだ。その点新宿はいいぞ。俺、毎日パトカーと、おまわりさんの巡回を見るもん。それだけ治安がいい(笑)ということだ。だいたい新宿の犯罪はわかりやすい。ヤーさんが殺しあったり、青竜刀で首を切られた死体(本当にあった)が転がってたり、家出少女が売春してたりぼったくりバーで身ぐるみはがれたり、犯罪のありようが古典的で目につきやすい。閑静な住宅街のどこが危険かというと、完全無欠な家族性というものが持つ陰湿な犯罪性の温床だということである。僕はかつて、練馬区、杉並区、中野区と渡り歩いたが、新宿がいちばん肌に合う。いい区だ。新宿区はフトコロが深い。私は、この区で孤独死を遂げたいものだと思うものである。
 ところで、ちょっと驚いた情報を得た。「塔」の柴夏子氏、ここのことろ欠詠が続いていると思ったら、なんと、いつの間にか退会なされていたらしい。残念だ。僕は彼女に注目していた。いったいなんでやねん!そう言えば、お母さんの柴純子氏の作品も載っていない。柴母子の作品は、「塔」の気風に合ってると思ってたのに、いったいなにがあったのだ!? ちょっと、腑に落ちない退会である。なんか情報があったら教えてくれ。もっとも、「塔」幹部がここ読んでたって俺には教えてくれねえだろうがな(笑)。
ニックネーム 茶トラのみんく at 23:21| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記

1055 おお!ニシノマナムスメ!〜ビクトリアマイルGT〜

 ビクトリアM、初参戦。去年は、ペーパー馬券とはいえ、万馬券を的中させびっくりした。今年も面白いレースになりそうだ。はっきり言って、ウオッカのパドック次第。これはきついローテーションだ。馬体重は、480キロは欲しい。ウオッカさえまともなパドックだったらこれは簡単なレースだが。
 軸はずばり、13番、ニシノマナムスメ。この馬は、4歳になって急激に力をつけてきた。前走のマイラーズC、スローペースから好位差しで、着差なしの2着に食い込んだ。俺はびっくりした。相手は、カンパニーだぜ。今年のマイル路線で主役を張る牡馬だ。彼女のマイルでの力を立証したいいレースだったと言える。愛知杯でも、重賞級の牝馬を前と後ろにしての2着。中山牝馬S4着は参考外。1800は合わないし、当日の馬場もちょっと渋っていた。この馬は、良馬場が絶対条件だ。だから諸君、ウオッカさえまともなローテーションを組んでこのレースに挑んだとしたら、こんな簡単な馬券はないのだ。9−13の一点勝負ということだ。明日は、スローペース必至。マナムスメとしては、絶好のレース展開となるだろう。ウオッカのパドックがよければ、買い目は絞れるが、このきついローテーションなので、ウオッカ危うしと見ての前日予想とする。穴は、大外18番レインダンス、11番トウカイオスカーあたりか。あとは順当に、上位馬に流していいと思う。
 前日予想結論。馬連、9−13、2−13、3−13、4−13、6−13、13−17。穴、11−13、13−18。
 13番、ニシノマナムスメ、連対確率75%。明日は、ウオッカがいったい何キロの馬体重で出るか注目。うーん、最低でも478キロはほしい。この馬の実力はピカイチ。この馬がまともに出てくれば、9−13でほぼ間違いないと思う。明日のレースこそ、パドックを見ずに賭けるやつは自殺行為だと僕は断言する。
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2008年05月16日

1054 手帳

 「なんでも鑑定団」ではないが、僕は、骨董趣味や、イチローのバットがほしいとかそんな嗜好はないが、歌人の遺品で、口からヨダレがたれるほどほしいものがある。歌稿?ちっちっち、そんなモンいらん。僕の大先輩である石川啄木を始め、岸上大作、浜田康敬、栗木京子ら、近代から現代にかけて歌人の持ち物で欲しいものがある。それは!「手帳」である。手帳とはつまり、毎年暮れになると本屋や文房具屋に並ぶあの革の表紙の細長いやつであって、決して短歌手帳なんかではない。そこには、予定や雑感や買い物のメモなどからにじみ出る、歌人のプライバシーが溢れ出ていることであろう。啄木や、栗木さんの手帳を見たいなあ。
 もちろん僕も手帳をつけている。僕が手帳をもし落とし、それを拾って覗いた人がいれば、ワケがわからんだろうなあ。なぜなら、私の手帳は数字で埋め尽くされているからなのだ。そして、後ろのメモ欄には、短歌がびっしり書かれている。このミスマッチには、拾った人も困るであろう。このメモ欄に書かれた歌は、「塔」「短歌人」に送ったその年の歌、全部である。採られた歌には赤丸がついている。僕はある意味、数字マニアである。たとえば、競馬を始めて17年になるが、その間の勝ち負け、収支決算、プラスマイナス、馬の名前レースの名前騎手の名前、全部記録にとってある。また、セクースした回数と日にちも全部手帳に残してある。私はある意味、数字オタクなのだ。
 啄木は、借金の額を手帳にこと細かに記録していたという。わかるなあ。啄木は、借金を返すために書いたわけではない。要するに、自分をめぐるあれそれなにこれを、数字に換算して書くのが好きだったのだろう。数字というのは、どんな曖昧な表現をも超えて、その人の実態を後世に伝えるものだからだ。有名なところでは正岡子規が、寝たきりの死にかけでありながら、その日食ったものをこと細かに書くメモ魔だったり、ちょっと昔では、「里見八犬伝」の滝沢馬琴が、夜中のトイレの回数まで書くような、ちょっと「おかしい」記録魔だったそうである。また、私は、邦画ビデオのコレクションを有しており、自分でもあきれけえっちまうが、観るたびに、これが何回目の視聴であるかいちいちメモしておるのである。ちなみに、最多鑑賞映画松山善三監督、内藤洋子・舟木一夫主演「その人は昔」である(笑)。実に、35回の鑑賞回数である。私も好きだねえ。私も好きだねえ。ルンナ♪星の話をしましょ♪しかも、音痴の洋子たんのためにエコーがきかせまくりで、これがまた楽しいのだ。洋子たんはなにがあっても僕は許す!なんせ、水久保澄子、本間千代子、内藤洋子は、僕の3大映画女優アイドルなのだからして。
 ちなみに、僕も正岡子規と同じく、食ったものを朝昼晩とまめに手帳につけている。その点では私も歌人の誉れかもしれない。まさに、子規か、啄木か、黒田英雄かである。しかし歌人で、毎日日経平均と為替とドル平均を手帳に書いてるやつもいないだろう(いたりして)。いたら、こっそり教えてね。案外、ゲバルト上がり、左翼くずれの歌人が投資家だったら大笑だったりして。僕は思えば、数字に溺れる反動で短歌をやっているのかもしれない。数字というのはシビアだ。結果のみの勝ち負けの世界。だから、短歌という曖昧で数値化できない世界に強い憧れを抱くのかもしれない。理系の人が短歌をやるという気持ちは、僕にはよくわかる。永田和宏や小池光、坂井修一、また栗木京子など、すぐれた歌人に理系がいるのも、わかる気がするのである。私は今日も、数字のシビアな世界に溺れながら、歌を作るのである。

      今日の一首

二本立て映画に二回斬られたる浪人は二度「おのれ」と言えり 藤島秀憲
ニックネーム 茶トラのみんく at 23:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2008年05月15日

1053 ギゼンに塗れた国ニッポン

 ああ、俺は煙草のみだ。もう三十年以上吸っている。いずれ苦しんで死ぬかもしれないが、二十年後の肉体的健康のために、今日の精神的健康を犠牲にはできない。人はなにかに依存しなくては生きていけない動物である。そうでないと言うやつはどうせ思想か宗教か、もっとどうしようもないものに依存しているのである。今日一日を生きるために俺は煙草を吸う。
 間もなく「たすぽ」とかいうものがないと自動販売機で煙草が買えなくなるという。俺はまだ申請してない。何さまのつもりだボケ。未成年者に吸わせないためだとお?借りて買ったらどうなんだ。老けて見える12歳(僕の同級生は13のときに三十くらいだといわれた)だったらコンビニで買えるぞ。要するにカード会社を儲けさせるために政府が猿知恵を絞ってひねり出した今年しか通用しない金策であり、これで結果的に煙草の税収が減ったら今度はなんだ?酒が買えないようにする「さけぽ」か?これが、カード会社を儲けさせるためのものだということは、経済番組で明言しておるほどの常識である。なーにが「青少年を煙草の害から守る」だ、この偽善者が。およそ、未成熟な国ほど偽善にまみれている。
 最近は、「学歴差別や年齢、性差別に通じる」というので、求人募集にそれらの制限を書かない、というのが形式化しているらしいが、ひどい話だ。本当に年齢に関係なく、人を見て雇うというなら話は別だが、もちろん、会社側ではこれこれの年齢と上限を決めているに決まっている。これでは、真に受けて面接に行く中高年がバカみたいである。日本人というのは、「緑を大切にするよーに」というお達しがあったら何を考えたか伐採した木のあとに緑のペンキを塗った(実話)というくらい、「とりあえず言ったとおりにしたからいいじゃん」というくらい実のない国民性である。「求人欄の年齢制限を撤廃するように」と言われたときに、「ああそうか誰でも年齢に関わりなく雇うべきなんだな」という本質にまったく思いをいたさず、「求人欄のレイアウト変えなくちゃいかんのかよケッ」としか思わないサルである。本音では、マクドナルドのカウンターには、薄汚い中高年のおっさんは立っていてほしくない、さーやかな青少年男女子がいてほしい(客もそう思ってる)と思ってるくせに、オカミが「年齢差別な記述はあかんよ」と言われたからとりあえず求人広告から外しただけで、本当はおっさんおばはんを雇う気なんぞハナからないのである。
 僕が子供のころ、プロレスの前座に小人プロレスというものがあった。芸人では「てなもんや三度笠」で勇名を馳せた白木みのるという人もいた。お祭の見世物小屋には足の三本ある人や舌が異常に伸びる人がいた。みんなそれぞれの特性を生かして立派に生きていた。しかるになんであるか。小人プロレスは公共の目から駆逐され、サイドショー(奇形見世物)は神社から放逐され、残ったのは、職業教育も受けられず施設に押しこめられている「ちょっと個性的」と言いかえられた人々である。どこが差別撤廃じゃこの偽善者どもがあああああ。人から仕事場奪いくさって。僕は変身ものには詳しくないが、ウルトラマンシリーズの某エピソードにおいても、被曝とケロイドの関係性が差別を助長するなどと判断されて封印されたものがあるそうである。あほぼけたこかす。被曝者は、ケロイド者である。それは事実であり、事実は常に悲惨なのである。事実から背を向けて綺麗ごとばっかり言うな。まさに、偽善と建前だけの国、ニッポンである。合理性ゼロ。日出ずるところの国ならぬ、日沈むところの国である。

畸型人(フリークス)日陰を遂はれ平等たり白木みのるの生活(たつき)立たずも 黒田英雄
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2008年05月13日

1052 レイアウト

 僕は、結社誌のレイアウトに注目している。そこに、結社の持つ特徴が表れると思うからだ。全ての結社誌に目を通したわけではないが、レイアウトのすばらしいのは「塔」と「未来」、この二誌に尽きるだろう。とにかく読みやすい。僕は、毎月名歌選をやっているが、二日もあれば「塔」の作品1、2、若葉集はすべて読み終えてしまう。すらすらすらすら、とにかく読み易いのだ。また、途中で挿入されるカットがいい。「未来」もいい。作者名が大きいのが特にいい。これは大事なことだ。この結社誌も読み易い。独自の気風を誇っているのが「短歌人」。こう言ってはなんだが、いつまでたっても同人誌っぽさが抜けない。
これは意識的なものと言うより、サークル的体質を色濃く残している結社ということなのだろう。正直、最初読んだとき、僕は馴染めなかったが、慣れるとどうってことはない。住めば都というやつである。「塔」と「未来」の基調としているのは純白。さすが、兄弟結社だけのことはある。この二結社はライバルだと僕は思っている。
 「まひる野」も、渋くて読みやすい。「心の花」は判型が小さいのが物足りない。が、これも慣れればどうってことないんだろう。問題は「コスモス」だ。ここの結社誌は、何回読んでも、どこに誰が載ってるのかさっぱりわからない。判形は「塔」などと同じだが、中味がいったいどういう基準で並んでいるのか理解できないのだ。たとえば、小島なお氏の歌を見つけようと思ったら大変だろう。あいうえお順でもなし、結社内のヒエラルキー順でもなし、幹部が先で新人は後、というわけでもなし、とにかくわからんとしか言いようがない。僕はかつて、まだ結社誌を読む前に、「コスモス」に電話して、おたくの選歌はどーゆーものであるかと、丁寧に尋ねたところ、電話口に出た横柄なおっさんが「はあ?そんなもなあー読めばわかるでしょ?」と木で鼻をくくったような応対をこきやがった。それが、結社誌を読んでくれるかもしれないとか、会員になってくれるかもしれないとか、そういう相手に取る態度ではない、という以前に、電話で話してる相手に取る態度かボケ。そのゴーマニズムとわかり辛さが、「コスモス」誌のワケわかんなさの象徴ではないか。俺は今でも、思い出すたびに激怒している。人数が多いからってエバるなよこら。なに?「かりん」?そんなもん知らん。
小島なお氏が入会した「コスモス」が羨ましい。毎月彼女の作品が読めるからだ。もっとも、そう思っている「コスモス」会員が何人いるか知らないが。僕は今でも、小島なお氏は、「塔」に入会すべきだったと思っている。
 結社誌のレイアウトというのは実に面白い。たとえば、「塔」のレイアウトには、塚本邦雄や、藤原龍一郎の短歌は絶対合わない。やはり、ふさわしいのはそれぞれの主宰し所属する結社の結社誌だろう。また、「短歌人」のレイアウトに栗木京子や花山多佳子の歌も似合わない。レイアウトの持つ意味は面白い。僕は、「塔」「短歌人」に所属しているが、やはり、頭の片隅に、そのことを考えつつ出詠している。これが面白いのだ。結社誌というのは、そういう意味で、実に味わい深いと思う。
ニックネーム 茶トラのみんく at 22:44| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2008年05月12日

1051 「歌集の変容」

 「角川」短歌5月号歌壇時評「歌集の変容」(加藤治郎)を興味深く読む。ウエブ歌集というものがあるらしい。うちの使いほうだいのダイヤルインのモバイルは字だけのサイトしか呼び出せない(しかも五分くらいかかる)という無能ぶりなので肝心の、紹介されている歌集の詳細を見ることはできないが、紙媒体ではなく、パソコンの画面で読む歌集、という解釈でたぶん間違ってないと思う。それによって作者とか、関係者とかにいくらか入るかどうか僕にはわからん。なんせうちのパソコンは「読みたかったら金を振り込め」と、出すなら出すべきページすら、さっき(「Blueberry Field」にアクセスして)から10分たつのに表示してくれんのである。なに光ファイバーにしろ?余計なお世話だ。また、オンデマンド出版というのも、今やポピュラーになりつつある。これも、歌集出版のありかたとしていい形式だと思う。松木秀氏は、この方法で出した歌集によって「現代歌人協会賞」を受賞した。これは事件だと思う。従来の、「50冊から受け付けます。あとは百冊刻み」みたいなあこぎな商法に乗せられて、知り合いにだけ配るつもりが何百冊と在庫を抱えさせられ、あまつさえ、出版社から「この先生には贈っておきなさいよ」とリストを渡されるような下らないくだらないシステムよりはよほど合理的である。
 僕が、加藤治郎のこの短歌時評に強く興味を抱いたのは、この一文が今の短歌出版界のぬるま湯的体質に一石を投じるのではないかと思ったからだ。自費出版という儲け口に、短歌出版社はあぐらをかいて殿様商売を決めこんでいるのではないか。宣伝とか営業とか、普通の会社ならやってあたりまえの企業努力を全くやってない。僕が以前、ある歌人の歌集を電話で注文したところ、「売り切れました」。以上終わり。俺はあきれたよ。そんな古い歌集ではない。オマエなー、売り切れたということは、もっと売れる可能性があるということではないのか。広告に、著名な歌人の売れない歌集ばっかり載せるんでなく、売れたのなら、「増刷出来!」とか、ハッタリでもなんでもいいから売る努力をしろ。これが小説だったら、売り切れたら増刷するし、そうでなくても売れそうだと思ったら印刷屋と紙とインクをおさえて宣伝にこれ勤めるのが普通であろう。しかるに短歌出版界に、そんないい意味でのヤマっ気のある編集者がおるか。いないと言えよう。俺の経験上、歌集を注文しようと思って電話すれば、在庫も把握しとらんようなやる気のなさそうなおばさんとかが出ればいいほうで、ひどくなってくると3日もかけて誰も出なかったりする。留守電くらい買え!俺は、頭にきて、全然関係のない角川短歌編集部に、「いったい短歌出版界はどうなっとるのだ!」と電話したことがある(すまん)。今、歌壇出版社で、かろうじてやる気を感じるのは、「青磁社」と「六花書林」くらいだろう。いい仕事をしていると思う。
 ネットで短歌を発表するということには、多くの人に読んでもらえるというメリットが確かにある。僕は、この日記で歌を発表しているが、毎月三百人〜八百人の読者が読んでくれている。歌というものは、読んでもらうことが第一義と考える僕にとっては、涙がちょちょ切れるほど嬉しい。そういう意味では、私こそが、インターネット歌人の象徴ではないか。
 加藤治郎の時評は面白かった。僕は、短歌時評というものは、歌集をホメたり、ありふれた精神論をぬかすのではなく、もっと、歌壇のシステマティックな批判が読みたいのだ。それこそが、今の歌壇の根っ子の問題だと僕は思うのだ。
ニックネーム 茶トラのみんく at 23:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2008年05月10日

1050 斉藤斎藤再登場

 5−11、4110円。準本線、見事に的中。競馬の神様は、真面目に競馬を勉強する競馬者には、ちゃんとこういう配当を下さるのだ。たとえば、10連敗で泣いていた私に、去年の一月六日、京都金杯で7020円というど本線の配当をくださった(マイネルスケルツイ、エイシンドーバー)。今回も、4タコの負けを一掃し、プラスαで結局、メイショウクオリアから、2番10番をカットして、馬連7点勝負に出た。2着、ロードアリエスは、パドックを見て準本線に抜擢した。僕は勘違いして、この馬連は2300円ぐらいだと思っていた。と、ところがである。払戻機から、予想の倍の札束がぶわあっ出てきてびっくらこいた。実際の配当は、4110円だったのだ。二重の喜びだ。京都競馬場は、本当にありがたい。いったい僕に、どれだけのMONEYをくれたことやら。よほど相性がいいんだな。ところで、勝ったメイショウクオリアは、これからどこを使うんだろうか。ダービーはやめたほうがいい。時期はずれているが、やはりこのレースの勝者は、菊花賞を目指すべきだと僕は思うのだ。勝っちゃったから、来週もやろうかな。6連闘だが。コメント欄に、競馬の予想を下さい。あなたが押す穴馬でもいい。もちろん、結果なんか問いません。競馬は外れるのが当たり前なんですから。明日は、NHKマイルC(GT)があるが、僕はやらない。ただ、3番、スプリングソングが、非常に面白いと思う。明日はペーパー馬券を気楽に楽しもう。だって、身銭を毎週切ってたら体がもたんぜ。

 五月十日付朝日新聞夕刊「土曜スタディー」で、斉藤斎藤の顔がどおんと載って紹介されている。たいへん結構なことである。僕が知る限り、新聞に取り上げられた若手歌人は斉藤、小島なお、松村正直など数名を数えるに過ぎない。マスコミに取り上げられることは短歌にとっていいことだ。斉藤の歌集「渡辺のわたし」の「渡辺」とは、母の旧姓であるらしい。ちょっとぐっと来た。ところで、記事にも書かれているが、この歌集の批評会は池袋東京芸術劇場の大会議室を満杯にしたそうである。しかも、そうそうたる著名歌人が、パネリストとして参加したという。要するに、非常に注目を集めた歌集だったということだ。にも関わらず、歌壇は、この歌集をちゃんと検証したのか。俺は今もって、この歌集に対する評論を読んだことがない。断片的な「感想」は目にするが、ただそれだけだ。注目歌集というのは、歌壇が取り上げ、徹底的に評論すべきである。この歌集に対しては消化していない。まともな評論を読ませてくれよ。批評会に、これだけの大御所が並んでんだったら。それともキミタチ、顔つなぎのために来たのかね。たとえば、短歌総合誌で特集されずとも、俺にこの歌集の批評を書かせろ、そういう歌人はいないのか。だいたい歌人という人種は、陰でこそこそこそこそ好き放題言ってるのに、表立って自分の意見を述べようという強の者は非常に少ない。また、編集者にも、注目歌集を特集しようという意欲もない。結果、「渡辺のわたし」という歌集への評価が、評判になるだけで、はっきりしない。読者にとっても不幸なことだ。この歌集に関しては批判もあっていいと思うが、それすらも出ない。
 歌集というものを、真摯に取り上げる雑誌があっていいと思う。毎月膨大に出される歌集を紹介しつつ、その中で、ピックアップされるべき本を筆者が紹介するという、そういう雑誌だ。結社の人間は、結社の出す歌集しかわからないし、また、総合誌の歌集紹介欄もすごい遅いし、一部だけだ。斉藤斎藤の記事を読みつつ、そういう苛立ちを僕は覚えてしまった。
 しかしそれにしても、朝日はなぜ今ごろ斉藤斎藤を取り上げたのだろう。歌集中でぼろくそのくそめたの、「歩くトラウマ」的な扱いを受けている暴力親父である筈の当人が満面の笑みを浮かべて一緒に映っているが、「そうかこいつか糞野郎は」と僕が思ったところを見ると、斉藤による手のこんだ復讐が背景にあったりして。だいたい、記事のタイトルが「天才の育て方」である。すまんが、僕には斉藤斎藤はある種の秀才ではあるが、天才であるとはまったく思えないのだが。また、経歴に、「大学卒業後うんぬん」とあるが、肝心の大学名が載っていないことに作為を感じる。一流大であろうと三流大であろうとZ級大学であろうと、大学出と喧伝したからには大学名も出せ。「それは記者の配慮で」と言うかもしれんがそんなことはない。大学出だというところだけ強調して、学校名を明かさないのは斉藤本人の気取りだと僕は断言する。違うと言うなら反論をお願いしたい。朝日新聞担当者本人が書き込んでくれてもいい。

 追記
  言いたいことは言ったと思ったが、なんかまだ違和感が抜けないのでつらつら考えてたら、そもそもこの朝日夕刊の記事のタイトルが「天才の育てかた」である。天才てのは、育てかたのマニュアルがあってその通りに育つものか?天才なんてもなー、一字間違えば天災である。災難であり、忘れたころにやってくるものであり、おおかたははた迷惑で自分勝手で下手をすると死ぬまで評価されなかったりするものである。一発目に斉藤斎藤を持ってきた記者は、マイナーな短歌界から始めて露払いをさせるくらいのつもりでいたのかもしれないが、ところがどっこい、天才の育てかたどころか、とんだDV親父が登場してしまったので(すまんが、短歌から伺えるお父上の人となりは、宅×守のそれとどっこいどっこいだ)、「天才を育てるにはいかれぽんちの親が必要」と書くわけにもいかない朝日記者、親父が高卒だのお袋が高卒だのヤブの誤診がもとで死んだの、全然関係ないことを書かざるを得ず、それが斉藤本人のプロフィールの不鮮明にもつながったのではないか。
 斉藤斎藤が天才かどうかはともかく(はっきり申せば僕はぜんぜん違うと思う)、天才の育てかたなんぞわかるわけがない。さらに言うなら、短歌なんて、一見おとなしげだが実は××××が跳梁跋扈する世界に手を出さず、絵とか音楽とか、もっとわかりやすくて権威のあるとこに行けばよかったのと違うか。なんとも前途多難な企画であるが、無難にまとめるよりはすべってくれるほうが面白いとも読者としては言える。
 批評会で、斉藤のことを「俵万智のように新しい時代を開く久々の天才」と、ある人が評したと言う。この「ある人」というバカモノは誰だ。だいたい俵のどこが天才だ。天才なんて言葉を簡単に使うなボケ。今現在生きている歌人に天才なんぞいねえよ。斉藤を持ち上げるのはいいが、残念ながらそれほどの歌人ではない。そこまで言うなら、ちゃんと、彼を絶賛する批評を書いてみろ。ったく、歌人というのは、陰でこそこそ言うだけで全く自分の意見を出さない、くだらん人種である。
ニックネーム 茶トラのみんく at 22:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2008年05月09日

1049 このレースのアイデンティティって何?〜京都新聞杯GU!〜

 春競馬五連闘も、4タコをくらい、いよいよ、五月はこのレースのみ。もうやけくそである。惜敗もあったが、負けは負けである。今回は落とし前をつけさせていただく。
 いやー、それにしても地味なレースだ(笑)。今年の3歳馬はレベルが低いと言われているが、なんの君たち、その通りである。そのレベルの低い3歳馬の中でも、GUとはいえ、さらに地味なメンツの組み合わせである。まるで学校で、班を作るときに、どこにも入れてもらえなかった連中がしょうがなく作った班みたいである。とはいえ、これはレースとしては非常に面白いぞ。新聞馬連予想も、当日の本当のオッズとはかなり違うと思う。それだけ混沌としているのだ。一番人気が予想される武の8番ブラストダッシュ、なんか怪しいなあ。京都2200(距離も中途半端やなあ)というのが合うとは思えないし、明日は関西は雨の予報だ。渋った馬場に向いているとはとても思えない。よって軸より外す。軸はずばり、11番岩田のメイショウクオリア。マンハッタンカフェ産駒。2000メートル以上がベストだろう。このレースは例年、差し+追い込みで決まる率が高いが、今回はスローペースが予想される。当然、行った行ったも十分考えられる。メイショウは、渋った馬場も歓迎だろう。四、五番手から好位差しを期待。上がり34秒台を使える馬だ。ラジオNIKKEI杯(GV)は、重馬場だったが、同タイム3着。しかも末脚35秒で来ている。当然、有力と考える。対抗は13番フィッツロイ。未勝利を勝ち上がるのに時間がかかったが、ここに来て、素質馬が軌道に乗ったと考える。馬場の湿りもこの馬にとってはよさそうだ。穴は、14番、ヨドノヒーロー、4番、マイネルローゼンあたりか。いずれにせよ、配当的に非常に面白いレースだ。ここは今日4タコの貸しを返してもらいたい。
 前日予想結論。馬連本線、11−13。以下、2−11、4−11、5−11、7−11、8−11、10−11、11−12、11−14。メイショウクオリア連対率、68%。パドックで、もう少し絞りたいが、まあ、明日の雨模様と馬体重でんな。地味だけど、これはなかなか面白いメンバーのレースでっせ。

 追記
 府中の明日のメイン、プリンシパルSも3歳戦。このレースはGがいっこもつかんくせに、なぜかダービートライアルである。京都新聞杯は、GUなのにトライアルではない。なにこれ!?このレースの位置づけっていったいなんなの!?摩訶不思議な3歳GU戦である。
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2008年05月08日

1048 技術より視点〜視点こそが個性〜

 僕は、短歌というのは、「なにを題材に選ぶか」という感性に尽きると思う。それが90%どう歌うかというのはあとの10%。技術よりも、視点である。

敗者ではなく被害者の顔になる福原愛は試合に負けると 西尾睦恵

 「被害者の顔」という表現が見事だ。どんなスポーツであれ芸術であれ、子供の時に才能を見出されて伸ばされるのが王道だというのは、一部の児童評論家が反対するのとは裏腹に事実であるらしい。「砂の器」の××(みんな知ってるがあえて伏字)が、十代になってから音楽勉強を始めてモノになるわけがない、と突っ込みを入れていた人がいたが、まさにその通り、本人が好きか嫌いかなんぞわからんうちから、親に愛されたい一心の子供は親にほめられるべく、天の恩恵か呪いか知らんが才能をこき使われるわけである。もちろんここには、「ガキのことを思ってるつもりの功利的な親」という悲惨なカードが必要である。確かに「愛ちゃん」の負けたときの顔は、「オマエは大丈夫言われ続けて生きてきたのに、嘘つき!」とでも言わんばかりの痛いたしさがある。見事な視点の歌だ。

声嗄らし飛ばす罵声の競輪場ここより他に行き所なし 内藤健治

 これもまた、違った意味で(笑)痛々しい歌だ。結句のストレートな表現がいい。鉄火場というのは、シビアな反面、確かに、魂の安らぐひなびた雰囲気に満ちている。それは多分、もっとも安易にゼニを賭け、ゼニを儲けようという剥き出しの欲望がかもしだす、ある種の安堵感でもあるだろう。そこには偽善というものはない。金かオケラか、中間のない、曖昧な世界のない空間は、家庭だの仕事だのの駆け引きに疲れた人間が心安らぐ雰囲気をかもし出しているのだ。これは、ギャンブルをやらない人間にはどれだけ言ってもわかるまい。ありそうでなさそうな歌。ギャンブラー歌人の輩出を待望する。実は競馬競輪競艇その他、やってるくせに詠わない歌人が多いことを僕は知っている。臆せず詠え!

謀略を身贔屓として読みすすめば備前軍記に多きM&A 高島 藍

 M&Aという言葉が短歌に使われたことに俺は驚いた。備前とは、今でいう岡山の一部。明治維新で備中と合併して岡山県になったようだ。備後は広島に取られた(笑)。要は、時代を越えてM&Aが盛んだったということだ。昔は、戦国大名同士が殺し合いしばきあってのM&Aだったが、今だって、シビアな経済戦争の中で、M&Aは日常茶飯事である。確かに、どう理屈をつけようと、時代を越えてM&Aなのだ。これまた作者の視点がすばらしい歌だ。俺は笑っちゃったよ。

バレンタインチョコ チョコ色をあげるのは生理の色だからだ なんてね 丸井まき

 この作者は、単純な言葉で、膨大に広がるイメージを表現する人である。この場合、イメージは妄想と言い換えてもいい。まず、チョコレートの色を、生理の色と詠った歌を寡聞にして知らない。思いついても露骨すぎて詠えなかったのだろうし、例えば、学園のアイドルとか、好きなタレントとかに送るチョコに生理の血をまぜこむ女性が実際にいるというのは女性にとって常識らしく、変態ファンと同一視されてはたまらんと、あえて詠まずに来たのであろう。しかし僕は、そういう女性の心理は、どきどきしちゃって好きである。情念というものを感じ、まさに成瀬巳喜男の世界である。バレンタインというのは、あまりにも軽いイベントになってしまったが、男にチョコを贈るというのは、「ベッドをご一緒します」くらいの覚悟でやるべきだと故中島らもも言っている。義理チョコというのは、お菓子メーカーの戦略にすぎない。また、男がお返しをするホワイトデーというものもあるらしい。これは精液のイメージであると、突然フロイト的に発狂して言ってみる。僕の大発見だ。「生理の色だからだ」で一時空けた「なんてね」が意味深である。これも視点の面白い秀歌だ。

十九と三十九と四十九いまさらながらわがepoch−making 宮脇はるか

 九のつく年が、作者にとっていつもエポックメイキングだったという。九というのは、苦しむという意味もあるが、作者にとって、それぞれ忘れられない歴史的意義のある年だったのだろう。男にとっては、四十七歳というのが転換期である。7というのは、ラッキーセブンでハッピーな意味があるがとんでもない。俺は、四十七歳で吐血し一ヶ月入院、寺山修司は四十七歳で死亡、夏目漱石も四十七歳で死亡。7というのはハッピーにとられらえがちだが、そういう危ない要素もはらんでいるのだ。作者の詠う九と、僕の七との対比が個人的に面白い。これも、単純だが興味深い歌だ。

贈られし冷凍鮎を焼く煙曇る窓にも友情の見ゆ 本間甚太郎

 結句の「友情の見ゆ」という表現がすばらしい。「友情」というのは、ただ単に、観念的に相手を思うという意味ではない。明治の文人が言っている。「親友の条件」のひとつは、「物くるる人」だと。冷凍鮎、というのがいいね。その鮎が焼ける匂いに、友達の気遣いを感じているのだ。その、なんとも言えない唯物的な発想がいいね。だいいち、自分がうまいと思ったら友達にも分けてあげたいと思うのが友情だろう。口先だけの慰めだけ言って、モノ的援助をなーんもしない、そんなもん友情でもなんでもない。たとえば、歌壇で言えば、友達だと思うなら、友達の出した歌集はゼニを出して買うべきである。「なんでオレに寄贈しないんだ」と言うのがたまにいるらしいが、論外なので論外とする。僕は、好きな歌人のかたほど、謹呈されると戸惑ってしまう。なぜなら、金を出して買おうと思っているからだ。そういうかたには、僕が第一歌集を出したあかつきには謹呈しようと思っている。諸君、歌集というのは、ゼニを出して買ってこそ真剣に読めるものなのだ。

 毎度、繰り返しになるようだが、コメントしたい秀歌はいっぱいある。が、コメントというのは疲れる。本当に疲れる。そもそも、結社誌に載った歌に対して、これだけ濃厚で誠意のこもったコメントをしてるやつあいねえと自負する次第である。おめえら(不特定多数)、ブログをやるんだったら今日はなにくったとかどこ行ったとかくだらねえことを書かずに(おまいはスターか)、自分なりの名歌選をやれと言いたい。だいたいが、てめえの歌をアップしてるサイトばかりで、人の歌を全然取り上げないではないか。おまいら、本当に短歌が好きなのか?自分の魂を救済したく、短歌ブログをやってる人が多いと思うが、ちみたちに言いたい。救われたかったら、他人の歌を読め。とことん、他者であることと、他者のかなしみに触れろ。孤独があたりまえだと思えるはずだ。俺は、他人の歌を読まないやつは一流歌人にはなれないし、そんなもんならなくていいと思い、自己救済のためにだけ詠んでいるというのなら、すまんが消えてくれ。俺はいわゆるネット歌人どものブログやHPの自己閉塞的つまらなさにへどが出そうである。
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2008年05月06日

1047 「短歌人」5月号会員欄秀歌選その35

 同人2欄から、津波なつの名が消えた。淋しい。ぽっかり穴が開いたみたいだ。いや、同人2欄は、「短歌人」のみならず、歌壇のホープの集まった注目すべき欄で、毎月愛読している。谷村はるか、大橋麻衣子、下村由美子、ふゆのゆふ、ほかほか、注目すべき歌人多。ただ僕は、津波さんのファンだった。彼女が、歌集を編まずに逝ったことが残念だ。歌集を出すことは大事なことだということが、彼女の死によって僕にはわかった。また、今号の小池光作品には驚いた。小池氏は、このテーマで歌を作ることはないと僕は思っていた。韻律の神秘かもしれない。
 今月の赤丸歌、会員1欄パート1、149首。同パート2、105首。会員2欄パート1、122首。同パート2、112首。計、488首。

      「短歌人」五月号、会員欄秀歌選その35

敗者ではなく被害者の顔になる福原愛は試合に負けると 西尾睦恵

声嗄らし飛ばす罵声の競輪場ここより他に行き所なし 内藤健治

謀略を身贔屓として読みすすめば備前軍記に多きM&A 高島 藍

浪浪と賭場さすらへばおのづから思い無常へ流れこむとする 内藤健治

五十年打ちて飽かぬ我が父は病み伏してなほ博打を語る 内藤健治

如月の人体模型の骨盤の蝶にあふるる性欲のあり 安斎未紀

わが両手ふいに払ひて息たへぬ癌病む夫は吹雪く夕べに 菊池尚子

作品のみの触れ合ひ十六年トラブルもなく別れゆくなり 上杉諒子

部屋ぬちをゆきて戻りて黒猫は遺影の主の前に寝そべる 青木ルリ子

〈寂草〉という名をつけてみん吾のこころの修羅をみながら 阿部美佳

来し方は振り返らない「きのうには何も無いから」少年の声 川口かよ子

感情の贅肉削がれてうつくしい老女を風の斎場に見ぬ 御厨節子

生きてゐてうごく長寿のお守りと神の森光子をろがむひとら 花鳥 佰

甲高い声で電話する男おり「オレの頭は傷ついている!」 間 ルリ

道すがらにチャーシュウ麺を食べしかな今にしおもう退院の日よ 越田慶子

贈られし冷凍鮎を焼く煙曇る窓にも友情の見ゆ 本間甚太郎

湯の宿の窓辺にをとこ五人をり海に溶けゆく夕陽に無言 田村よしてる

たましいを傷つけあいし時もありガラス戸みがく内と外から 会田美奈子

彷徨える羊なるかも「禁煙」の太字に追われさみしい君は 佐山みはる

バレンタインチョコ チョコ色をあげるのは生理の色だからだ なんてね 丸井まき

のりこえるものがまだある春までに吹雪の夜はじっとしており 北島裕子

吐く息の真白き朝はしみじみと生かされている生きむと思う 直井美代子

キレイになるSEX」特集 その昔奴女郎とう刑罰 砺波 湊

点滴に繋がる父はメモ帳にうどん食べたい一行記す 田所 勉

春蘭の花はいづれもうつむいて空の高さを知らぬ仕合はせ 田中曄子

ぐだぐだの今日がおわつてぐだぐだの明日がはじまるまで 真裸で 弘井文子

陸橋より覗ける明るきデニーズに入(はい)れば窓の全面が陸橋 野上佳図子

十九と三十九と四十九いまさらながらわがepoch−making 宮脇はるか

冬日さす店のたな奥に西瓜見ゆふと思ひけり日本は貧の国 田上起一郎

二匹の犬にアランとドロンの名をつけた幼なじみの葬列に居る 山本照子
ニックネーム 茶トラのみんく at 23:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2008年05月04日

1046 サラブレッドたちに口座を!

 アドマイヤジュピタ、マイナス8キロで出てきた。やる気まんまんだったのだろう。結局僕は、アサクサキングスから馬連3点勝負でぶち込んだ。もちろん、13−14はド本線。一瞬、「勝った」と思ったぜ。はああ。13と14の間に、俺が前日予想でも、俺が取捨に迷って、「やる気なし」と判断したメイショウサムソンが割り込んできやがった。あいつ、厩舎にパソコン持ち込んで、俺の日記を読んだな!実は、パドックで、サムソンがいちばんよかった。ただ、前二走の凡走が目に焼きついて、「見栄えだけだな」と判断したのだ。これで、天皇賞春は二年連続1着3着。アドマイヤジュピタは、俺がずっと注目していた馬だがどうも馬券とからまない。縁が薄いのかなあ。あああ、くそ!アサクサとアドマイヤで間違いないと思ったのに。「荒れない」という予想だけが当たった。急に腰が痛くなった。春の地獄五連闘はあともう一週。そのあと2週休んで、分からんダービーへ行く予定。ああ、ゴール前は夢を見たなあ。13−14のド本線。札束の夢が眼前いっぱいに広がり、次の瞬間砕け去った。

 ところで、ゼニといえば、日経平均がこのところ、7週連続上昇している。為替も、円高ブラフが散々言われたわりには、104円前後で安定している。アメリカのサブプライム問題の対処は、日本の不良債権隠しと違ってきわめてす早い。バーナンキ議長は偉い。もの凄く知的かつ非情な顔をしており、バーナンキにかかれば、ハゲがすごくかっこよく見えるほどである。ただし諸君、僕は予言するが、7月下旬、あるいは8月上旬あたりに、もう一回株の大暴落と円高があるだろう。真夏の狂態というやつだ。この頃にはもう、金融機関の損失がすべて明るみに出ているであろう。アメリカのリセッションが、実体経済にリアルに浸透して、GDPを押し下げ、信用収縮の波が襲いかかるだろう。ただし、これもひと時のこと。よく、米帝国の崩壊とか、ドルの凋落とか、そういうブラフ本が出回っておるが、これはユダヤ陰謀論とか、宇宙人陰謀論とかと一緒で昔からよくあるトンデモ本である。こんなもの本気にする奴はバカである。アメリカが世界経済の中心であるのは、誰が見ても自明のことではないか。ドルの価値が落ちれば、欧州はもちろん、新興国中国だってただではすまない。当然、FOMCは、ある時点まで行けば利上げを連発するだろう。日本が、円高になるなんてまずありえないね。日本のトレンドは円安である。今、ドルが弱いから円が高くなっている、それだけの話である。だって、これからどんどん人口が減少していき、資源もなく、攘夷的姿勢を相も変わらず続けている円に、なんの魅力があるものか。為替は、106円から、116円の間を行ったり来たりするだけの話である。また、4年に1回訪れる経済恐慌でびっつらして、小物どもが慌てふためく、そんな歴史を繰り返すだけ。
 人間の考えることなんて分かり易いや。数の多少の違いはあるが、僕の経済予想は当たっている。よって僕は、負けてはいない(詳しくは言わない)。それに比べて馬は難しい。馬にも銀行口座を持たせて、休日は銀行員が訪れてファンドを勧めるべきだ。だって、サラブレッドって、経済動物だから、自分の収入を自分で動かす権利はあるよなあ(笑)。サラブレッドにそうした意識があれば、「てめえこら馬主、オレの稼いだ一億はどこ行った!余生のために貯金させろ!」といかることであろう。だが今この瞬間も、アドマイヤジュピタは、馬主や厩舎や騎手のどんちゃん騒ぎをよそに、静かにまぐさを食って眠っているのである。結論。人間が一番悪い。
 ただし、誠実な厩務員は、どんちゃん騒ぎを抜け出して、厩舎に行って馬と語り合いながら酒を飲むそうである。ええ話や。
ニックネーム 茶トラのみんく at 21:42| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記

1045 このレースは荒れない〜天皇賞春全力予想〜

 最近、競馬が荒れているが、僕は大いに不満だ。競馬は、宝くじではない。強い馬が、ちゃんと勝ってこその競馬。このレースも、荒れると思ってる連中が多いだろうが、僕はそうは思っていない。競馬の真髄を見させていただきたいものだ。僕はずばり、4頭の勝負だと思っている。
 10番、ポップロック。GTを獲れないのがおかしい。京都3200はベスト。JCで、アドマイヤムーンとのアタマ差2着は光る。強い馬と戦っているのは、この馬のみだ。今回は、ラストチャンスと見る。13番、アサクサキングス、ダービーは2着には来たが、明らかに、秋口から力をつけてきた馬。大阪杯は距離不足。3着は立派だ。ポップと一緒で、この馬も典型的なステイヤーだと僕は思う。ただ、成長分はあるとはいえ、当日は馬体重を減らして出てきていただきたい。14番、アドマイヤジュピタ、アルゼンチン共和国杯でその強さに驚き、日経新春杯で、プラス10のブタになっても信じて勝って負けた。前走阪神大賞典ではしっかりマイナス10キロに絞って楽勝。プラスマイナス10を繰り返してきたら、明日またプラス10とか言って出てきたら、ちょっと軽く見ざるを得ない。7番、ドリームパスポート、この馬もGTを獲れないのがおかしい。だって、3冠馬、メイショウサムソンに勝ち越してるんだぜ。有力馬に先行勢が多いだけに、この馬が生きる可能性大。
 3番、アンカツのアドマイヤモナークが、そこそこの人気になっているが僕は切る。だって、ローテがきついよ。十二月一日から五戦連続、2400以上のGレースに使われ、すべて善戦。これじゃあ、馬は疲れるよ。少なくとも、日経賞で使う必要はなかった。ダイヤモンドSからの直行のほうがよかったと思う。4番、ホクトスルタン、明らかに距離が長すぎる。取捨の難しいのは8番メイショウサムソン。前2走の凡走は僕には不可解。もう彼自身から、闘争心が消えうせてしまっているように感じた。そう言わざるを得ないほどやる気がなかった。今の状態だったら、ジュピタやキングスのほうが上のような気がする。あとははっきり言っていらない、と僕は断言する。いずれにせよ、明日のパドックと馬体重が大事。メイショウは迷うなあ。
 前日予想結論、本線馬連10−13(1850円)。準本線7−10(4400円)、10−14(3340円)、13−14(940円)、7−13(1350円)。いずれにせよ、明日の馬体重は要注意。当然、パドック次第ではメイショウサムソンも考える。アサクサキングスとアドマイヤジュピタは馬体重は馬体減が絶対条件。
 ポップロック連対率、50%。アサクサキングス連対率、40%
ニックネーム 茶トラのみんく at 00:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2008年05月02日

1044 4月月間ランキング〜嗚呼!本間千代子〜

 ブログ開設1190日目。総アクセス数、890403、総訪問者数、159305人。

      4月月間アクセスランキングベスト10

 1位 20日「代償〜サラブレッドへの敬意〜」1586
 2位 13