ああ、俺と同じ感想を持った人がいたんだと安心した。
僕は、岡井隆というのはC調な人だと思う。このC調というのは、決してけなして言っているのではない。かの、医者にして偉大な芸術家であった手塚治虫にしてからが、死ぬほどC調な人物だったことが知られている。僕は、ナマ岡井を一度だけ短歌マラソンで拝見した。その自意識過剰の自己演出と陶酔ぶりに、「これは役者だ」と深く感じいった。端的に言うと、ど狸である。いや諸君、すぐれた歌人ほど、ど狸の要素は必要不可欠である。ど狸というのは、奥行きが深いということである。今の若手歌人にはこういうタイプがいない。たとえば、今は亡き「短歌ヴァ―サス」を読んでいて「だめだこりゃ」と思ったのは、加藤、穂村、荻原の編集陣に戦略性が徹底して欠落しているということであった。読者に架空のヴィジョンを与えて乗せて盛り上げるようなプロデューサー的資質がなく、良きにつけ悪しきにつけ真面目なのである。でありながら、既成の歌壇に対する反骨心にすら欠けていた。岡井隆は、明らかに自分の医者というエリート性を「売り」にする興行師のふてぶてしさがある。この世代の歌人は揃いも揃ってふてぶてしい。なんせ、「第二芸術論」と戦ってきた連中である。
と狸といえば、もう一人取り上げたい歌人に永田和宏がいる。「塔」を小じんまりとした高安体制から、現在の永田体制へと無血移動させ、歌壇に冠たる一大結社へとのし上げた。「塔」が、2000人体制となり、歌壇において、隠然たる勢力を誇るのは時間の問題であろう。僕は、永田氏については忘れられない光景がある。数年前、東京で初めて「塔」全国大会が行われたとき、会場入口で永田主宰は、厳しい目で会場を見渡していた。僕はその目つきをこう解釈した。「初めて『塔』が東京進出したのに、主席者が少ないじゃないか!」という不満と、出席者が退屈しないかという不安であると。ああ、まさにこれはプロデューサーの視点であり、こういう視点を持っている主宰者だからこそ、「塔」という結社が今日の繁栄を見たのであると思う。
野心は必要だ。「塔」について言えば、吉川宏志、真中朋久、松村正直、このへんは、歌壇的野心を比較的感じる若手だ。だから、「塔」は大丈夫だと僕は思うのだ。「歌壇的野心」とは、短歌に殉ずるという覚悟を持ったスケールの大きさを言うのである。「塔」は、今後も伸びていく結社だ。
「短歌人」も非常に魅力的な結社であるが、いかんせん独裁者がおらず、過度に民主主義的で、ときにはよき独断専横を貫く人物に絶望的に欠けるという点である。だから、谷村はるかという逸材が結社賞を貰いそこねるという愚挙が生じるのである。高瀬一誌という天使的存在が天国にとっとと帰ってしまったのは痛い。僕だって、高瀬氏本人から手紙で誘われてたら、もっとアグレッシブな結社活動をしていたかもしれない。俺が「短歌人」に入ったとき、すでに高瀬氏に羽根がはえて飛んでってしまっていたのは残念至極だが、俺というのは生まれつきそういうタイミングの悪い人間なのだ。
本日の結論。岡井隆と永田和宏はど狸である(最高級の褒め言葉である)。高瀬一誌は天使である。その他、ど狸ならぬ豆狸やキツネ、子なきじじいや砂かけばばあ、単なる詐欺師やタカリ屋や植木等そこのけの無責任野郎も歌壇の大御所として君臨してるような気もするがこれ以上言うと命が危ないのでやめておく。
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