2008年06月20日

1079 啄木と英雄(ひでお)〜俺はオレだ!〜

日本における自殺者、十年連続して年間三万人。僕はむしろ、「えっ、たったそんだけ?」と思っているがそれは置いとく。自殺の原因の一位は鬱病だという。精神病の本で読んだが、日本人の鬱病というのは、自分が社会や周りにとって「役に立たない」と思うと発症するそうだ。そうしたメンタリティは本当に弱いと思う。「役立たず」?それのどこが悪いのだ。役に立たない?人間は自分のために生きてるんであって、社会や他人はそのためのバックグラウンドであって目的ではない。役に立たない、ってことのどこが悪いのだ?そんなことを自我の根底に置いたら、いったん社会情勢が変わったらあっさり死んでしまうってことではないか。人間は自分のために自分ひとりの独自の人生を生きるのであって、他人や社会の役に立つかどうかなんぞ結果論であって、ひとつも生きたり死んだりする理由にはならない。俺なんかしょっちゅう「この役立たず」と言われたもんだがそのたびに「ざま見ろ」と思ったもんだ。誰がてめえらなんぞの役に立とうと思うか。くだらんクラス、くだらん学校、くだらん組織、くだらん共同体ばかり蔓延しやがって。俺は、「役立たずな人生」というものを誇りに思っている。逆説的に言えば、この世に、「役に立たない人間」というものは一人も存在しない。組織にとってごくつぶしでも、個人として見たらそんなのは一人もいなかった。大嫌いな人間でも、俺の負の感情をかきたててくれるという巨大な価値がある。だから、俺は意識的にいつも敵を作るのだ。加藤治郎という敵がいるせいで、おれの短歌人生がどれだけ豊かになったことか。
 最近気色がわるいのは、「本当の私を見て」みたいな言い草が蔓延していることだ。というか、「自分がこう見てほしい以外の見方をされると激怒、失望、落胆する」連中の存在である。オマエらなー、普通他人を見るのにそいつの自己イメージで見るかよ。勝手に見とるに決まっとるではないか。短歌とか自己表現を通じてなら「本当の自分」をわかってもらえる(この場合の「本当の自分」というのは、実際よりも繊細で美しい自分である)
思ったら大間違いだ。そんな脆弱な根性で短歌をやられたらたまったもんではない。歌人なる連中、ちょっと批判したり、私生活に触れられただけでぎゃあぎゃあわめきくさる。こいつらには、創作者としての覚悟がまったくない。文学というのは、自分の繊細をアピールする道具ではない。ありのままのオノレを晒し者にして祭りにされて笑われてなんぼのもんである。誰がオマエの繊細さなんぞの神輿かつぎになるかボケ。本当に繊細さをホメられたいんだったら、そのような作品を作るがよろしい。それができないとしたら、君は繊細気取りなだけで繊細な文学者などでは、本当はないのだ。俺は常々、短歌は好きだが歌人という人種は大嫌いだと公言している。軽薄で、無根拠なナルシストが多すぎるのだ。ちょっと「この人は結社を変わったらしい」と書いただけで「余計な詮索はよしてくれ」とか言ってきたり。創作というのは、芸能活動と同じだということがわかっとらんらしい。個人的動静に口出しされたくないというなら、ものを作って発表すること自体をやめなさい。批判されたり評判になったりあらぬ噂を立てられたり、そんなのは当たり前の話ではないか。とにかく歌人というのは、俺から見て精神がひ弱すぎる。情けない限りだ。俺なんか怪文書が来ないことを嘆き、毎晩2ちゃんねるで祭りになるのを待ってるのにー。もっともっと、オマエら俺のことをボロクソのクソミソに叩け!せいぜいがとこ、バカとか機知外とか語彙の少ない罵倒をこわごわ書き込むのがせいぜいだろうがな、この根性なしどもが。
 もっと、アイデンティティのしっかりした、どしょっぽねのある歌人の出現を待ちたい。アイデンティティの確かな歌人の両巨頭といえばこの二人だろう。石川啄木と、黒田英雄だ。短歌は、癒しと似非ナルシストのための文学ではない。攻撃の文学である。諸君、啄木と英雄(と書いてひでおと読む)を見習いたまえ。とにかく、歌人という人種がひ弱すぎて、いやになってくる。
ニックネーム 茶トラのみんく at 00:41| Comment(7) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
思ったのですが、心の強い人間は、現代においては短歌などには注目しないのではないでしょうか。そういう人は短歌以外でも成功できますから、あえてこんな斜陽の(と言ってしまいます)文芸などに目を向けないでしょう。

あとこのブログが2ちゃんねるで最近叩かれないのは、黒田さんのご意見が妥当なものになってきた(以前は、私でもこれはどうかというものもありましたが)ということだと私は考えています。悪く言えば「つまらない正論」になってしまったということも意味するのではないでしょうか。
Posted by 川田洋二郎 at 2008年06月20日 02:43
追伸です。2ちゃんねるの短歌に関する議論は、五七五板のスレッドがあまりにも荒れたので、今は「詩文学」板の「現代短歌総合スレッド」という所に移っているようです。参考まで。
Posted by 川田洋二郎 at 2008年06月20日 03:17
>川田様
 そうですかねえ、僕の意見は「まとも」ですかねえ。どうもそうは思えないのですが。また、心の強い人間なんていませんよ。みんな弱いですよ。だって、心の弱さを持たない人間を人間とは呼べないでしょう。要は、短歌を知るきっかけが人間にあるかないか、という話だと僕は思います。
Posted by ひでお at 2008年06月20日 23:42
久しぶりに、カキコします。           黒田さんの言い分は「まとも」かどうかは別として、「なんで、こんな当たり前のこと言ってるのかな?」って思ったりします。  まぁ、当たり前のことほど大事なワケで、また、僕も変わってるのかもしれないっすけど。
Posted by 森 at 2008年06月21日 01:28
>森様
 いや、歌壇の世界は、当たり前のことが言われてなくて綺麗事ばっかりでしょう。当たり前のことが、当たり前に言われているなら、このブログのアクセスがこんなにあるわけがありません。当たり前のことが言われておらず、歌壇はシステム論をまったく無視しており、僕はそこを衝いているわけです。
Posted by ひでお at 2008年06月21日 21:25
いつも楽しく拝見しています。歌壇のシステム論、賛成です。内に閉じて外部の批判に晒されないシステムは、結局内部崩壊を招きます。内部で批判的視点をどのように持つのか、議論すべき課題と考えます。
Posted by 星田 at 2008年06月21日 23:00
>星田様
 歌壇システムについては、いろんな視点から論じられるべきだと僕は思います。そういう文章は加藤治郎氏の短歌時評以外、いまだかつて読んだことがありません。これについてはまた書きましょう。
Posted by ひでお at 2008年06月22日 23:16
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