最近気色がわるいのは、「本当の私を見て」みたいな言い草が蔓延していることだ。というか、「自分がこう見てほしい以外の見方をされると激怒、失望、落胆する」連中の存在である。オマエらなー、普通他人を見るのにそいつの自己イメージで見るかよ。勝手に見とるに決まっとるではないか。短歌とか自己表現を通じてなら「本当の自分」をわかってもらえる(この場合の「本当の自分」というのは、実際よりも繊細で美しい自分である)
思ったら大間違いだ。そんな脆弱な根性で短歌をやられたらたまったもんではない。歌人なる連中、ちょっと批判したり、私生活に触れられただけでぎゃあぎゃあわめきくさる。こいつらには、創作者としての覚悟がまったくない。文学というのは、自分の繊細をアピールする道具ではない。ありのままのオノレを晒し者にして祭りにされて笑われてなんぼのもんである。誰がオマエの繊細さなんぞの神輿かつぎになるかボケ。本当に繊細さをホメられたいんだったら、そのような作品を作るがよろしい。それができないとしたら、君は繊細気取りなだけで繊細な文学者などでは、本当はないのだ。俺は常々、短歌は好きだが歌人という人種は大嫌いだと公言している。軽薄で、無根拠なナルシストが多すぎるのだ。ちょっと「この人は結社を変わったらしい」と書いただけで「余計な詮索はよしてくれ」とか言ってきたり。創作というのは、芸能活動と同じだということがわかっとらんらしい。個人的動静に口出しされたくないというなら、ものを作って発表すること自体をやめなさい。批判されたり評判になったりあらぬ噂を立てられたり、そんなのは当たり前の話ではないか。とにかく歌人というのは、俺から見て精神がひ弱すぎる。情けない限りだ。俺なんか怪文書が来ないことを嘆き、毎晩2ちゃんねるで祭りになるのを待ってるのにー。もっともっと、オマエら俺のことをボロクソのクソミソに叩け!せいぜいがとこ、バカとか機知外とか語彙の少ない罵倒をこわごわ書き込むのがせいぜいだろうがな、この根性なしどもが。
もっと、アイデンティティのしっかりした、どしょっぽねのある歌人の出現を待ちたい。アイデンティティの確かな歌人の両巨頭といえばこの二人だろう。石川啄木と、黒田英雄だ。短歌は、癒しと似非ナルシストのための文学ではない。攻撃の文学である。諸君、啄木と英雄(と書いてひでおと読む)を見習いたまえ。とにかく、歌人という人種がひ弱すぎて、いやになってくる。
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あとこのブログが2ちゃんねるで最近叩かれないのは、黒田さんのご意見が妥当なものになってきた(以前は、私でもこれはどうかというものもありましたが)ということだと私は考えています。悪く言えば「つまらない正論」になってしまったということも意味するのではないでしょうか。
そうですかねえ、僕の意見は「まとも」ですかねえ。どうもそうは思えないのですが。また、心の強い人間なんていませんよ。みんな弱いですよ。だって、心の弱さを持たない人間を人間とは呼べないでしょう。要は、短歌を知るきっかけが人間にあるかないか、という話だと僕は思います。
いや、歌壇の世界は、当たり前のことが言われてなくて綺麗事ばっかりでしょう。当たり前のことが、当たり前に言われているなら、このブログのアクセスがこんなにあるわけがありません。当たり前のことが言われておらず、歌壇はシステム論をまったく無視しており、僕はそこを衝いているわけです。
歌壇システムについては、いろんな視点から論じられるべきだと僕は思います。そういう文章は加藤治郎氏の短歌時評以外、いまだかつて読んだことがありません。これについてはまた書きましょう。