今月の赤丸歌。栗木欄、143首。花山欄、210首。池本欄作品1、145首。吉川欄作品1、125首。計623首。「塔」6月号赤丸歌総数、1064首。
「塔」6月号、「陽の当たらない名歌選」その2
乱れ髪うなじに束(つか)ね明けがたに母(かあ)はいつでも竈吹いてた 能登 鳶
野焼きの煙に墨絵のごとき遠き村夕刊配りにわが急ぐ村 石川 啓
身長をシャクトリムシに計られた僕はもうすぐ死ぬのでしょうか 山上秋恵
傍にいて大き溜息つく人の溜息をうつかり吸つてしまひぬ 浜崎純江
叱られるのが下手な子どもを叱るのが下手な教師が叱りていたり 杜野 泉
真向かへば追ひつめてしまふ母われに 電話を切りしのちの底冷え 澄田広枝
使われぬモノ悪からずアパートの給湯器より雀出てくる 荒津憲夫
「出る釘はもつとのばさむ」と新しき部長の朝の訓示心地よし 大木恵理子
同じ歌同じところを間違えて毎日歌う夫の退屈 数又みはる
杖をつきバスによじ乗り銀行へ安きドル買いに老父は行くも 斎藤賢悦
ノックする前の右手は考える扉の硬さ、音の大きさ 永田 愛
誰が読んでいた歌集なのか図書館の本を開けば煙草の匂いす 石井久美子
幼子に茹でしニンジン握らせるふたたび来たる母性怪しみ 尾崎知子
七十年前に苛めを受けしこと今日会ひし友ぼそぼそと言ふ 加藤好男
骨太のおじさんのいる花屋なりぎりぎりの無愛想も心地いい 潮見克子
入浴の介護を受けて母は言ふ「里芋のように洗ってもらった」 南條暁美
港町の喫茶シーガル カフェオレは砂にまみれし鴎の色よ 山上秋恵
子育ての六月の風おもいだす畳のうえの素足のかんじ 古池泰子
風邪の子が学校休みひっそりと布団のなかで読む怪談の本 山西直子
廊下とは冬日あまねく射すところ父は切りたる爪を片せり 黒沢弘子
昭和二十六年院内短歌誌会費十五円寄付芳名欄に五円が並ぶ 小川康男
雪まじりの風に全身あふられて電線にゐる鴉の握力 尾崎加代子
自分からはけっして笑うことのない事務長はシベリア帰りだった 谷口純子
〈駆られる〉とう題詠のあり早口の徹子の前髪上げたき衝動 福生ますみ
映像の「認知症とたたかう人」画面の一人と視線の合いぬ 山内貞子
水を打つ老い人の手にぶらさがる馬穴の日暮れ心細かり なみの亜子
我らふたり猫を枕として会話を続けていたこと今更に気づく 池田幸子
酔い潰れままにならない夫の足みぎよ、ひだりよ手と声にひく 中島扶美恵
にぎり飯作りゆく時掌と飯の響(な)り合う音の囁きのよう 山下昭榮
おもつてもみない力で吹きし風髪にかなしき跡が残りぬ 澤村斉美
一首評
身長をシャクトリムシに計られた僕はもうすぐ死ぬのでしょうか 山上秋恵
なんとも、不思議な感覚の歌だが。シャクトリムシなど図鑑や映像でしか見たことがない、あるいは全く存在すら知らない、虫のことなど考えたくもない、という人もいるだろうが、僕は田舎者なのでたびたび見た。要するに細身の緑色のいもむしであり、普通の感覚だったら、体にくっつかれたりしたが、悪いがぎゃあと叫んではたき落としたくなるような外見をしている。それが、自らの身長を計り終えるまで作中主体はじっとしていたというのである。古来、虫を死の国のお使いとして見る神話は多いが、これはまるでいもむしが「ちょっと計らせてください」と言って、作者のカンオケのサイズを計りに来たことのようで、死というフレーズがありながらユーモラスな歌である。およそ関係のないもの同士を結びつけてしまうのは一般に「電波系」などと呼ばれてしまうが、これはその電波がいいように作用した例であろう。面白い作者だ。









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