2008年07月05日

1089 C調の持つ偉大さ〜岡井隆の魅力〜

 最近、短歌総合誌の連載が面白い。角川「短歌」の「語る短歌誌」も面白いが、「歌壇」の三枝昂之「あたらしい啄木」がめちゃくちゃいい。僕は、総合誌の熱心の読者とは言えないが、本阿弥書店はぜひこれを単行本化してほしい。少々高くても買う。あ、そうだ、同誌、河野裕子の「私の出会ったひとびと」も面白い。これもぜひ本にしちただきたい。作品論もいいが、歌人一人一人の私的個性が浮かび上がってくるような評伝がもっともっとたくさん著されるべきだと思うのである。なんのかんのと言っても、短歌の魅力を支えるのは、作者の私性なのである。テキスト主義なんぞクソ喰らえ。と僕が言うまでもなく、近頃そんなもの有り難がっているのはほんのひと握りの往生際の悪い連中であり、おおかたは、結局短歌という詩形の詩的悲劇性に回帰したいのは明らかである。
「語る短歌史」なんてもう、岡井隆のC調ぶり(純然たるホメ言葉である)が最高である。歌壇の植木等、と言って過言ではないだろう。植木はあれで、僧侶の息子でくそ真面目な人物で、キャラクターと自分との葛藤に悩んだらしいが、岡井は天然のC調(しつこく言うがホメ言葉である)であり、それが才能の才能たるゆえんだろう。天才、という言葉をあえて使わないのは、彼が、本人の感じ方はどうあれ、幸せ者だと思うからである。天才というのは宿命的に幸福ではありえない。だってよー、医者で、ゲバルトでたたきのめされもせず、前衛短歌の旗手で、おまけに(本人は災いだと思ってるかもしれんがふざけんな)女にモテモテで、逃避行した先でも、個人医院を開くか病院に勤めるかと苦悩し(その能天気さに俺は大爆笑した)、さらに、中央歌壇から戻ってこい戻ってこいと呼ばれ続け………どどどどど、どこが苦労じゃ(爆)。しかも、左巻き歌人で売ったくせにしれっとして宮中歌会の選者に就任する。諸君、これをC調を言わずになんと表現するのだ。三度めになるがこれはホメ言葉である。宮中歌会に関しては批判した歌人も多かったそうだが、俺は、「面白い人だなあ」と思った。数年前のフランス内閣には、アナーキストで知られた文学者がいて、しれっとして大臣をやっていた。しかも自分の主張は変えずにである。そういう偉大なるC調さこそが、創作者の図太さというものだろう。岡井という人は、精神が根本的に強いのだ。妹さんの自殺を題材に多く詠まれているが、その作品からは、ただ傷ついた肉親の感傷ではなく、それをネタとして消化し昇華してしまう歌人のふてぶてしさを感じた。
 短歌マラソンで舞台上の岡井氏を見たとき、僕は「ああこの人は100%役者だ」と思った。この人は、芝居の道に進んでも成功したと思う。いい男であり、声がめちゃくちゃいい。新劇俳優の高橋昌也を連想した。ちなみに高橋氏は、性に悶える若尾文子の夫役として「悶え」(映画です)に出演した人であり、奇遇なことに、医大中退である。今の軟弱な若手歌人は、岡井隆のふてぶてしさを見習うべきである。首尾一貫にこだわるような奴はすぐに、風の中のコーモリ傘みたいに折れてしまうのである。偉大なるC調歌人、それが岡井隆の本質である。
ニックネーム 茶トラのみんく at 00:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのTrackBack URL
http://269g.jp/tb/13040270