今の若者はシビアな状況下に置かれている。それは、クルマがあったとしても、それによって征服される「外部」がもうどこにもないからである。ただ、僕のメンタリティは、七十年代の青年より、現代の若者のそれに近いと思っている。僕はある種、現代の若者の先駆けだったのではないかと自負している。引きこもり。私は小学校二年生まで引きこもっていた。また、大学時代から、就職とか結婚とか将来の設計とかいうことにてんで興味がなく、考えたこともなかった。元祖フリーター、ニートとは、俺のことじゃないのかな。そうした生き方が生じたのは昭和30年代生まれ以降だろう。そんなことを考えていたら、短歌をやるというのも、俺の宿命だったのかもしれないと、最近は思うのである。俺は若手歌人をよく批判するが、若手歌人の歌に期待もしているのだ。
2008年07月16日
1097 70年代のアメリカン・グラフィティ〜元祖フリーター〜
最近の若者による、車の購買率や酒の消費量が減っているという。後者はともかく、前者は非常にまともなことだと思う。僕が学生だった1975年前後は、若者文化の主役と言えば車だった。田舎の友人も、大学のあった街の地元の友人も、自家用車を持っているのが当たり前だった。当時、ジョージ・ルーカスの「アメリカン・グラフィティ」がヒットしていた。これは、60年代の若者群像を描いた作品だったが、十年遅れて日本に来るんだなあ、とつくづく思ったものだ。僕自身は、父が運転中の事故で死んだという血統的恐怖から、自分では絶対運転すまいと思っている。免許を取れば親戚がくれるはずだったコスモスポーツ、友人が「千円払うから運転さしてくれ!」と言った気持ちがさっぱりわからん。どうやら、クルマ好きにとって、クルマというのは、個性や感情を兼ね備えた存在で、ひとつの生き方であり思想でもあるらしいのだが、どうでもええわ。つまり、僕の青春時代、若者文化を代表するものはクルマであったのだ。一方で若者は、「旅の重さ」とか「俺たちのなんとやら」とか、貧乏と、フォークソングみたいな旅立ちに憧れていた。ルンペン旅行なんてはやったもんな。つまり、駅のホームで新聞紙を敷いて寝るような旅である。俺もやった。マークUを運転しながらマルクスを語る友人もいたし、ナップザックひとつで南九州を一周してきた友人もいた。今考えたら、八十年代のバブルを笑えないような、高度成長期の能天気な青春像だった。
今の若者はシビアな状況下に置かれている。それは、クルマがあったとしても、それによって征服される「外部」がもうどこにもないからである。ただ、僕のメンタリティは、七十年代の青年より、現代の若者のそれに近いと思っている。僕はある種、現代の若者の先駆けだったのではないかと自負している。引きこもり。私は小学校二年生まで引きこもっていた。また、大学時代から、就職とか結婚とか将来の設計とかいうことにてんで興味がなく、考えたこともなかった。元祖フリーター、ニートとは、俺のことじゃないのかな。そうした生き方が生じたのは昭和30年代生まれ以降だろう。そんなことを考えていたら、短歌をやるというのも、俺の宿命だったのかもしれないと、最近は思うのである。俺は若手歌人をよく批判するが、若手歌人の歌に期待もしているのだ。
今の若者はシビアな状況下に置かれている。それは、クルマがあったとしても、それによって征服される「外部」がもうどこにもないからである。ただ、僕のメンタリティは、七十年代の青年より、現代の若者のそれに近いと思っている。僕はある種、現代の若者の先駆けだったのではないかと自負している。引きこもり。私は小学校二年生まで引きこもっていた。また、大学時代から、就職とか結婚とか将来の設計とかいうことにてんで興味がなく、考えたこともなかった。元祖フリーター、ニートとは、俺のことじゃないのかな。そうした生き方が生じたのは昭和30年代生まれ以降だろう。そんなことを考えていたら、短歌をやるというのも、俺の宿命だったのかもしれないと、最近は思うのである。俺は若手歌人をよく批判するが、若手歌人の歌に期待もしているのだ。
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