「塔」7月号、赤丸歌、総数941首。
「塔」7月号「陽の当たらない名歌選」2
長寿とは地獄の事と広辞苑第七版にきっと載る筈 大鋸甚勇気
城跡の桜に吸われてゆく列をはずれて小さなメガネ屋に入る 宇梶晶子
帰るべき故郷(くに)あらざればバス停に案山子のごとく夕焼けを見る 関野裕之
人らみな刃物秘め持つ思いして夕べ吊革に身を硬くせり 坂下幸子
抱き合った確かさだけがリアルだった。今の僕には何も残らぬ 満吉敬太
抱きしめた姪っ子から陽の匂い 私は春を抱いているんだ 鈴木 聞
轢きそうになりて叫ぶを聞き居るや春立つ風に舞う燕(つばくらめ) 山下黎子
(「燕」の読みは私が恣意的につけたもので原典にはありません)
それぞれを持ちゐるドアのノブ握るてのひら持ちて旧友(とも)ら散りゆく 室谷香奈恵
「母さんのゆめは歌集を出すことです」八歳の子の日記に見たり 龍田裕子
張りつめた空気に風を送るのか 河野裕子が扇子をひらく 龍田裕子
十字路をしずかに曲がるばんそうこうみたいな色の神奈中のバス 上澄 眠
山桜吹雪の如く散りかかるわれに触れくるものの久しき 大畑敏子
聾唖とは差別無縁の言葉なり響きの重さ心して聞け 常願路哲満
(子は漫画家)
「連載をつひに貰つた」子の電話夫にしづかに受話器を渡す 助野貴美子
団塊の夫婦の横で食事食む肩が重そう一人息子が 千種 満
死ぬことはこの花にもう会えぬこと枝垂れ桜の内に立ちつくす 畑 久美子
楽屋裏に白粉を落とすダンサーの思ひがけなく低き背の丈 本田光湖
先を行く君の頭の影を踏む 怒り鎮まるまでの時間 市 美穂
『独裁者』観つつ寝入ってしまいたる吾子は学校はどんな所か 大田 愛
娘からのプレゼントだよと言う嘘に気付きぬ夫の誕生日だと 数又みはる
俯して身構へ逝きし兵ならむ軍靴の底は空に対(むか)ひて 加藤傳治
大根をでえこんと言う祖母といた慎ましやかに朗らかな日々 吉川敬子
飛鳥山斜面に座せば花びらは箱弁当の空埋めてゆく 黒沢弘子
泥亀の首はどれほど伸びるらむ我慢我慢と首縮めゐて 進藤サダ子
帰りにもバスはここから出ますかと確かめて降りるネクタイのひと 永田 愛
東京は桜満開≠ヨ返信す猛吹雪のけふ辞令もらへりと 西内絹枝
映写機の孤光灯はぜ散っていた「文芸座」には夜明けが似合う 能登 鳶
満開の桜の土手を歩むとき女系家族の真ん中にゐる 尾崎知子
今日の二首選。
長寿とは地獄の事と広辞苑第七版にきっと載る筈 大鋸甚勇気
やっとこういう、まともなことを詠う歌が出てきたかと、大変満足である。昭和三十年代以降の、第一次テレビっ子世界が老境を迎えるときには、周りはもう老人だらけであろう。要するに私の世代だ。テレビのワイドショーでは、うめぼしばばあにマイクをつきつけ、「おいくつですか?」「ひゃふはひ(108)でふう」とか無理矢理言わせ、「んまあ長生きですねえ」と拍手したりしているが、俺が老人になる頃には、「100歳?いつまで生きるつもりだとっとと死ねボケ」というのが社会的コンセンサスとなるだろう。今だってみんなそう思っているだろうが、それが公言できる社会が来ると僕は思う。今だって、「老人は死ね」と言うに等しい政策がまかり通っているが、これがなかなか、政治家の望み通りに死なんのである。この歌の、「広辞苑第七版」というのが面白い。要するにああいう辞書というのは、編集が大変なので何年にいっぺんしか新版が出ないが、次の版が出るころにはそうしたディスとピアが到来しておるであろうと。現在のところ、まだまだ歌壇には高齢者に関して綺麗事の歌が多いが、今後はそうはいかんと思う。日本は、若者と老人が生きづらいという素晴らしい国だ。この歌は、そうした状況下に生まれるべくして生まれたシニカルな歌だと思う。
団塊の夫婦の横で食事食む肩が重そう一人息子が 千種 満
これも、上の歌に呼応した歌である。今から、この老い人たちを、嫁のき手のないあるいは嫁ぎ先もない娘たちが見ていかなくてはいけない。延命治療の費用は莫大なものがある。僕は、もう治らない病だとわかれば殺してくれと医者に頼むだろう。日本の法律でそれが許されないのならば、それこそ法を改正すべきだ。いい歌だと思う。老いの歌は単純にはいかない。この2首には、考えさせるエネルギーがある。
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