自転車というのは、今でこそ、1万円でおつりが来て駅前にあふれ返ったりする使い捨て商品しかないが、作者にしてみれば貴重な、夢の乗り物であったろう。僕も、自転車を買ってもらったとき、誇らしく思ったものだ(クラスのマドンナと同じ自転車で、私の愛機はなんと、女の子用だったのだ)。それはともかく、この、一見シュールな歌にこめられた作者の願望というものが痛いほどわかる。海にもぐり、サザエに向かってしか、自転車が欲しいことを言えない作者。おそらく、親にねだったりできない環境だったのだろう。下句が滅茶苦茶いい。鬱屈した願望というものが、見事に凝縮している。
雨の日の渡り廊下はひんやりと脚を掴まえ無口にさせる 佐藤浩子
ひんやりと脚を掴まえという表現が抜群である。学校の渡り廊下というのは考えてみれば他のどこにもない特殊な空間で、なぜかと言うと校舎を移動したいんならべつに地面を歩いてったっていいのに、わざわざ地面に廊下を作ってさらに屋根までつけている、外とも中とも廊下とも橋ともつかない奇妙な場所である。社会人になってからこんなところを歩く機会はなく、あるとしたら渋谷のパルコや新宿の高島屋の連結通路だろうがあっちは、別な短歌的興趣はあるがこの場合の抒情性と無縁であること論を待たない。学校にはいろんなお化けや伝説が発生するが、それは日常そのものでありながら、「卒業したら二度と体験できない」という非日常がどっぷりと居座っているからである。だいたい社会人の世界であれば、「こんな吹きっさらしを歩かせるつもりか」と福利厚生的に問題視されるであろう。生徒であるということへの抑圧と、学校のかもし出す怪談的雰囲気と、渡り廊下という神さびた場所が呼応しあった秀歌である。
三十分と我慢できずにメール打ち居眠り始める保護者のSは 坂崎由明
教師の立場から、父兄のバカさ加減を詠った連作5首の中の一首。親になる資格もないような親が多い。そしてこのバカどもは、バカだけに繁殖力だけは旺盛で、すぐにぽこぽこ繁殖する。避妊という技術や知識すらこのバカどもの頭にはないのであろう。マルクスの「共産党宣言」の中に、リアリティある論は次の一つだけだ。つまり、国家が子供を管理し、教育せよということ。たとえば、このバカ親どもが育児放棄した子供を国家が管理するというのは、十分ありえることである。ただこのバカどもは育児放棄すらせず、手元に置いて虐待して殺すのである。トンビが鷹を生むという言葉はすでに死語であり、貧民窟からは天才が出ない、という真の意味での絶望社会がすでに到来している。坂崎氏の5首から、ゴミな教師も多いがゴミな父兄も多いということがよくわかった。教師も大変である。一番気の毒なのは子供である。バカな両親から生まれて本のひとつも読ませてもらえず、幼児期に叩きこまれたバカのままで長い一生を、読む楽しみも見る楽しみも知る楽しみも何ひとつ知らずに生きていくのである。
「赤ちゃんはもう産まないでね」甘口のカレー食べつつ長男が言う 中村明美
これはほほえましい歌だ。甘口のカレーというのがいい。要するにこの「お兄ちゃん」は、母親の世話と愛情が、一時的に生まれたばかりの赤ちゃんに移ってしまったことに素朴に嫉妬しているのである。可愛い。この歌なんぞまさに、松竹蒲田系「塔」短歌の象徴的な歌である。子と母親の良好な関係を詠ったものが「塔」には多い。だから松竹蒲田系とこれを呼ぶ。ほほえましいが、もっと違った視点の歌も読みたい。
配給の菓子に並びし幼き日父の煙草は家族で巻きし 安川良子
向田邦子「父の詫び状」、あのドラマの世界を彷彿とさせる。お菓子でさえ、配給で貰っていたという切迫した時代、父親の煙草は、ほかの家族がせっせと巻いてやっていたのだという。現在、父親というのにまったく権威がないだけにこの光景には郷愁をおぼえる。そもそも日本の父親というのは、西洋のそれとは違って、仕事はできても銃を持って一家を守ったり経済的危機にしゃんと立ち向かう、なんてことはせず、仕事では専門家だけどそれ以外のことは子供も同然下手すると子供以下、という存在であった。妻=母親と、彼女の薫陶を受けた子供たちの思いやりの傘の下でそうと気付かずぬくぬくと生かしてもらっている、それが日本の父親の典型像である。なので企業戦士というモデルが成立したとき、本来の日本的なもろさや、妻や子供への甘えを剥奪され、日本男児はぼろぼろと壊れて行ったのではないか。僕はアメリカ的な荒野をひとり行くような男性像もかっこいいと思うが、日本人の男が妻や母や姉や妹や娘に依存しない自立的存在になったらそれはそれで気色が悪いと思う。まあ、絶対ならないのはわかっているが、女性のほうが役割を放棄しているので、現在男という男は全員難民状態である(あくまで、時代の変化であり女性に昔のポジションに戻れと言っているのではない)。この歌は、父親を知らない僕にとっては、まぶしいばかりの輝きを持った歌であり、また、終戦間近の、厳しくも幸福であった家族像というものを彷彿とさせる、まさに、向田邦子の世界である。
今日は、できるだけ多くコメントしたいと思ったが5首で疲れた。歌のコメントを書くというのは本当に疲れる。しょくん、私の採った歌を、それぞれじっくり鑑賞してください。
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ときとして女性は自分の子を分身と思い
女の子用の自転車を買い与えるということがあるかも知れませんね
あるいは、ファッションに興味が強い女性だと
男の子用はファッショナブルじゃないと思うかも…
勝手に想像してみました
あ、それはいえるかもしれません。なんせ、自転車を買ったのはうちの母親だから。最初わかんなかったけど、あとですごい恥ずかしい思いをしました。もっともその自転車を、中学高校とずっと乗り続けました。しかし、友達から「それ女用じゃねえか」とからかわれて恥ずかしい思いもしました。
コメントありがとうございます。安川さんのこの歌は、秀歌中の秀歌です。父の巻き煙草、という言葉が昭和という時代を彷彿とさせるアイテムとして最高です。この歌を誰も取り上げないなんて信じられない思いです。そのためにも、僕の名歌選はあるのです。今後ともよろしくお願いします。