僕は、歌を月10首作るくらいは、そんな難事業ではないと思う。しかし、これが20首となったらきつい。皆さんご存知だろうが、僕は二結社に所属している。順番として、「短歌人」のほうが出詠が早い。最近、「塔」への出詠が苦しい。昨日今日と、「塔」出詠のための歌を作る日と決めてひたすら黙々と詠んだ。7首はできた。しかし、あとの3首が・・・・・。
あさってまでには、なんとしてもあと3首を作ろう。しかし、こうやって苦しむのはいいことだ。僕みたいななまけものには、締め切りがあるというのが実に、尻を叩かれているようでありがたい。僕は絶対、自分の歌が載ってないような結社誌だけは読みたくない。そういう意味でも、結社に入会しているというのはいいことなのだ。歌を作り続けている人、それこそが歌人なのであり、欠詠しても平気で結社誌を読める人など、歌人としての矜持を欠いていると思う。凡歌でもいいのだ、歌を出せ。欠詠していながら平気で結社誌を読める神経を俺は疑うし、そんなものは歌人じゃない。なあ、斉×斎×よ。チミは、いったい何をやっておるのかね。
地方新聞「秋田さきがけ」9月14日号に載った、小嵐九八郎のエッセイ「遠い風、近い風/その上で、いいなあ」が面白い。なんと、小嵐氏のもとには、月に、購読誌が10誌、購読してない雑誌が50冊、小説やエッセイの本が40冊、とどめに歌集が50冊、届けられるという。計150冊が毎月届くのだ。購読しているのを除けば、これはもう暴力だろう。そして小嵐氏は、「その中でも歌集がいちばんたちが悪い」と書いている。ただ、「謹呈」とのみ書かれたつるんつるんとするビニール袋が気持ち悪く、たまに文章があれば、「私の歌集はこんなに素晴らしい」などの宣伝文で閉口するとある。小嵐氏は、歌壇出版界は、歌人志願者を甘やかし、利用し、秩序を作って儲けていると批判しているが、某短歌誌にそのことを書いたらその部分だけボツになったそうな(笑)。あのねえ、歌人の皆さん、以前にも書いたが、歌集を出すと編集者が、「この人たちに歌集を送るよーに」とリストを渡して有言無言の圧力を加えて来るというが、そんなもん信用するもんじゃない。これは、オレオレ詐欺と一緒である。あなたたちだって、分かるだろう。自分の歌を本当に呼んでくれるのは誰か。そういう歌人をチョイスする能力が必要である。そのためには、歌を読まなければいけない。歌人の特徴を知らなければならない。たとえば、俺が第一歌集を出したとして、間違っても、加藤治郎や馬場あき子には送らんぞ。贈りたい歌人なんぞほんのわずかだ。藤原龍一郎、栗木京子、河野裕子、吉川宏志、佐々木幸綱、島田修三、浜田康敬ほか、ごくごくわずか。大半の歌人は、俺の歌を読んだって、興味ないと言うであろうと判断するだけの理性を俺は持っている。歌人は、もっと歌人の作品を読まなくては駄目だ。著名な歌人だから本を送ろう、これは最低である。小嵐氏は正直である。つまらん歌集は、全部ゴミに出して捨てると言う。そういうものだ。自分が読んで欲しい、という歌人にだけ歌集を贈る。そういう選択眼を、歌集を出す歌人たちには持っていただきたい。何冊歌集が自分に来たかということで、自分は偉いなあと思っているバカ歌人も多いと思うからだ。なんでも世の中には、「なんでオレのとこに送ってこないんだ」とわざわざ著者に文句をつけるバカ手歌人もいるそうだが。てめえら、読みたかったらゼニ出して買え!
今日の一首
よなべして針金のガット張りくれし父とせしかな月の夜素振りを 中島扶美恵
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なお、角川の短歌年鑑に「今年のベスト10歌集を選ぶ…」という企画があります。馬場さん、岡井さん、高野さん、ほむらさんによる議論です。
「雨の日の回顧展」も議論されていますよ。
黒田さん、お時間があったら図書館でご覧になって下さいね。
0系はもう走らないぼくたちは夢をひとつ終えたのだろうか
学校でスキップなどを教わったみんなでスキップしようぜ今こそ