2007年01月20日

683 花と短歌と日本映画

 私が「花」に興味を持ったのは、「塔」誌にやたらと花の歌が多いこともあるが、この映画の影響もある。
 「次郎長三国志/海道一の暴れん坊」(昭和29年、東宝、マキノ雅弘)。
 これは、昭和28年から29年までに制作された、「次郎長三国志シリーズ」の第8作である。ここで監督のマキノは、驚くべきことに、原作者村上元三の許可を得て、彼独自の森の石松像を作り上げた。石松の金毘羅道中を、なななななななんと、遊女夕顔と石松の悲恋物語に書き換えたのだ。これがまた、ポエジイと言っていいほど、情感豊かに描かれていて、何度見ても飽きないのだ。藤の花と夕顔の花が、白黒の映像の中で見事に際立っている。邦画はずいぶん見た、こんなにも花が綺麗に息づいていると思った映画はない。
 作中にはうたも出てくる。遊女夕顔が石松に贈る相聞歌である。

 わがなさけ知るもわれなり知るほどにきみを恋ふるもわがこころから 夕顔

 こんな相聞のラブレター、欲しいよなあ。この歌いったい、誰が作ったんだろう。脚本家か?監督か?なかなかいい歌だ。石松は、遊女朝霧のために生きようと思うが、闇討ちに遭い惨殺される。「俺ぁ死なないよぉ〜、死ねないんだよぉ〜」とつぶやきながら斬り殺されるのだ。その時の演出が凄い。石松の隻眼、そのつぶれているほうの目が突如開眼するのだ。無鉄砲な生き方という無明の闇にいた男が、死なんとしたときに初めて生への肯定を獲得する刹那を象徴させた、見事な昇華のシーンといえよう。この作品は、「スシ食いねえ」の世界を期待する人には失望を与えるだろう。シリーズ7作までは大ヒットを続けたがこれはめでたく大ゴケ。結局、次の九作目で突如打ち切られることとなった。ただ、通の邦画ファンの間では語り継がれている伝説的映画である。ビデオはとおに絶版。俺、買っててよかった。石松は森繁久弥、彼はこの映画で一挙にスターとなった。
 次郎長シリーズは、東映で鶴田浩二や中村錦之介主演で撮られたり、大映でも市川雷蔵で作っている。しかし、この東宝のシリーズが抜群である。なんせ次郎長が小堀明男という、パッとしない二枚目俳優。だからこそ、全体のアンサンブルが跳躍し、フットワークのよい作品となっている。要するにノー・スターなのだ。いや、これから伸びようとする若手俳優を集めてのシリーズだったのだ。たとえば「大脱走」や、三谷幸喜脚本の大河ドラマ「新撰組」もそのテイストである。余談だが、次郎長役小堀明男はその後落ちぶれた。個性のなさと、彼の傲慢さもあったろう。テレビ時代劇「天馬天兵」なんかに出てたもんな。ちなみに、天兵役の富士八郎は、なんとかいう宇多田ヒカルもどきの歌手の、そのまたバカ親父である。娘にたかろうとして醜態を繰り広げたこと、憶えている人もいるだろう(今思い出した倉田麻衣だ)。天馬天兵は、「変幻三日月丸」とともに、僕の子供時代の忘れられないテレビ番組だ。閑話休題。
 てな訳で、私は花に目覚めたのである。こんなやくざ映画が、そんな花の印象の強い作品だとは、やくざ丸出しのタイトルからは誰も思わないだろうな。
 日本映画と短歌といえば、有名なのはやはりハンセン氏病を描いた「小島の春」(昭和十五年豊田四郎)。この映画にも、コラボレーション風に、短歌が画面にインポーズされる。わがビデオライブラリーから、久々に引っ張り出して見直してみたいと思う。ああそうだ、ライ病歌人明石海人の歌集も読んでみたいなあ。映画のことを語ればアクセス数ががくんと減る。だから、気分のいいときに、「小島の春」のことは書きたいと思う。偉そうに言うわけではないが、歌人は日本映画を見なきゃ駄目だと、僕はつくづく思う。もちろん旧作を、である。短歌って、日本固有の文学でしょ。日本人を詠ってるんでしょ。なのに歌人たちは、映画といえば洋画のことばっかり詠うの?笑止千万である。俺、短歌やる前は、歌人とは邦画に詳しい人の集まりだとマジに思っていた。だって、短歌なんだもん。現代歌壇がつまらなく感じられるのは、この辺もあるかもしれない。かつての前衛短歌なんて外国かぶれもいいとこで、だから俺はいまいち興味がなく、影響もされないのだ。よろしいか、1930年代から70年代までの邦画のレベルの高さは世界級のものである。その斬新さは、いまだに古びていないのだ。
ニックネーム 茶トラのみんく at 23:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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