「短歌新聞」2月号を読む。「歌壇時評」で、山田富士郎氏が、「歌誌現勢ベスト20」について取り上げ、高齢化と人口減が嘆かれる結社事情のなかで、「塔」は出詠者をめざましく増やしていることを指摘している。ひとり「塔」が気を吐くのもあたりまえの話だ。ちゃんと理由がある。毎月、まとまった数の入会者があることには驚く。会員の勧誘努力もあろうが、僕みたいに自発的に入ってくる人もかなりいる。結社を選ぶときに、好きな歌人がいる、というもの強い理由だが、僕は最初、「塔」誌を取り寄せて読んだとき、実はその歌風に強い違和感を覚えた。にもかかわらず入会した。魅力ある結社誌とは、ということを述べる意味でも、その理由を書きたいと思う。
@レイアウト、本作りのすばらしさ――とにかく、かっぱえびせんみたいに、「塔」誌というのは読み始めたら止まらないのである。これは、読み易い誌面作りというのに加えて、使っている紙質の良さもあずかっている。そして何より、この結社誌にただよう清潔感が、読み手を引き寄せる力を持っている。
A選歌欄の多さ――およそ出詠する者にとって、一首が取り上げられ評までいただけるなどというのは稀有なことである。あまつさえ、結社誌には少数の選者では掬いきれないほどのたくさんのいい歌が載っている。それを放置して、選者を少ないままにおいている結社誌に魅力はない。「心の花」誌などを読むと、僕にすれば取りこぼしがあまりにも多い。もっと選者そして選歌欄を増やすべきだろう。
B執筆陣にヒエラルキーが存在しない――結社誌によっては、はいって二、三年のぺえぺえに評や原稿など依頼しない、というところがあるだろうが、「塔」は違う。どんどん新人を登用する。だいたいですね、私ごときに原稿依頼が来るんだからこっちがびっくりしましたよ。結社あまたあれどもこんな蛮行、もとい英断を下すのは「塔」くらいだろう。そうした柔軟性も必要なのだ。
C自由――たとえば、西之原一貴が「短歌時評」で、永田和宏主宰への批判を書いていた。これも驚くと同時に、この結社の風通しのよさを感じた。面白いのは、「塔」は自由気ままに言いたいことを言わせつつも、肝腎かなめのところでの秩序は一本しっかり筋が通っているということだ。決して、ばらばらで好き勝手やってる寄り集まりではないのである。不思議な統一感がそこにはある。永田主宰も、柔軟性を示しつつ強烈な睨みをきかせるという二面性をうまく使い分ける戦略性を持った人物であると僕は思う。会員数が多くなっても面白い雑誌を作ろう、と永田主宰は書いている。その両立には多くが困難が伴うだろうが、いち会員として見守っていきたい。
D修羅――劇団でもそうだが、修羅場をくぐり抜けた創作集団というのはひ強い。高安体勢から永田体制に移行するときの修羅には、想像を絶するものがあったと思う。いわゆる「大手術」である。一度死の淵からよみがえったものは強い。そう簡単には壊れない結束力があるのだ。
E家族と異端――「塔」の基調は、もろに「家族愛」である。これを嫌がる人もいるだろうが、それ以上に好む人のほうが多いということだ。僕に言わせれば、「塔」はまさに松竹映画そのものである。ただし、松竹という映画会社は、松竹ヌーベルバーグを始めとして、常にその内部に異端児を抱えていた。だからこそ発展したのだ。異端児が少なくなった松竹は衰退した。「塔」は、その強固な家風を持ちつつ、常に二割か三割、そこに収まりきらない異端者を抱えている。だから面白いのである。この異端分子を排除するようなことがあれば、「塔」といえども衰退はまぬがれないだろう。
以上、うがった見方かもしれないが、「塔」という結社を取り上げて、魅力ある結社誌とは何かということを語ったつもりだ。「塔」は今後も伸び続けるだろう。僕の直感は当たる。また黒田の野郎「塔」のチョーチン記事書いてやがる、というバカもおるだろうが、無視する。この結社と結社誌がぐんぐん伸びていることを、歌壇全体がもっと重視したほうがいい。私が所属する組織というのは、伸びるのだ。じゃあ何故私が伸びないか。それは、珍獣だからである(泣)。ただ、傲慢かもしれないが経験上、私が離れた組織が衰退するというのも、また事実なのである。
「塔」ではすでに、永田主宰みずから退陣を宣言している。これも、結社活性化のための重要な布石だろう。ただし、水戸黄門的院政はあると思うけどね。後継者をめぐって春の嵐が吹き荒れるだろうと思うが、そうした試練を乗り越えて伸びていく力のある結社だと僕は思う。
来週は、冬競馬フェブラリーSである。このレースは現在5連勝中。軸馬もすでに決まっている。絶対に勝つぞ。
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