競馬敗戦の傷をフロで癒し、まだ途中だった「塔」名歌選のため最後に残しておいた「会員1」欄の三分の一をチェックし終わり、最後の楽しみとしてとってある百葉集をさてさてと開き、一読してなんか妙にひっかかるものを感じた。気のせいかなと思いつつ「塔」を脇に置いてこのブログをチェックしたところ、いきなり本田(これは仮名であろう)氏なる人からのコメントである。あわててM氏の歌のページを開いてみると101ページに5首載っている。僕は4首と5首めに赤丸チェックをし、問題の歌にはノーチェックであった。名歌選をする時の読む速度は猛スピードであるが、やはり何らかの既視感ゆえ落としたのかもしれない。「塔」掲示板、2ちゃんねるも続けて読む。なんという恐ろしいタイミングであろうか。はっきり言って、これはまさしく盗作だと思う。
「本歌取り」という作歌法もあるが、それは本歌をふまえてまったく違う世界をオマージュをこめて作るということであり、この歌はそれには当たらない。また、無意識に剽窃してしまったというにはあまりにも表現も言い回しも似すぎている。と言うより、まんまである。これは明らかに意図的に写し取ったとしか考えられない。
M氏の歌はこれ。
生れたる処が即ち死に場所と翔ぶこと知らずひと生耕す
本田氏の歌がつぎの二首。
生まれたる処がすなはち死場所にて冬は雪降り流氷が来る
耕して翔ぶを知らざるひと生なり北へと帰る白鳥仰ぐ
皆さんはどう考えるであろうか。僕は、これには弁解の余地がないと思うのである。僕は、上記した通りM氏の歌は2首赤丸チェックしている。
黒田節槍もつ娘の活きいきと妙に舞い終え拍手の止まず
霜の朝麦を蒔く掌の冷たさに藁火に暖とりし昔を思う
の2首だが、いい歌だと思う。しかしこうなると、ほかの歌だって盗作ではないかという疑惑が湧いてくるではないか。これは、放置できない問題だろう。パクる、というそのことそのものが悪いのではない。オマージュだったり本歌だったり、インスパイアされたりヒントにしたり、並べてみせてもわからんくらい変えてしまったりしたうえですぐれた歌を作るのであればそれは作者のテクニックであり、独自の視点のあるものと言える。だが、このケースは、農作業を通じての人生への感覚そのものまでも剽窃してしまっており、そのことが一番罪が深い。なんてバカなことをするのだろう。ほかの歌の信用までなくすではないか。これは、「塔」編集部が本人に問いただすべきことだ。歌人としての態度に信用がおけなくなった以上は、除名が相応の処分だと僕は思う。
なお、こうした問題については必ず選者の責任が問われるが、はっきり言って選者のほうに責任はない。茂吉や啄木のバカでも知っているような有名歌ならともかく、ゴマンとある歌のなかから類似歌をいちいち見つけるのは不可能である。ましてや、河野裕子氏には選しなければならない歌が死ぬほどあるのだ。このことをもって河野氏の責任を追及するのは的はずれである。
僕も昔、真っ青になったことがあった。自信をもっていつか発表しようと思っていた自分の歌が、島田修三氏の歌とそっくりだったからである。ともにリーバイスのGパンを試着している風景を歌いつつ、島田氏は三島由紀夫の自決を知り、僕のほうは自分のウエストとキャンディーズのスーちゃんのスカートのウエストの締まりを比較していた、という内容の違いはあるが。これだけ違えば全然別の歌であり、気にすることないという人もおろうが、シチュエーションが同一であると判断して僕はこれを封印した。今回のケースは発想とかシチュエーション以前に、表現と視点、という創作上もっともオリジナリティが問われる部分がまるっきり一緒である。弁明の余地はないだろう。
昨日、「悲しき六十才」というMYビデオを観た。その中で、坂本九の往年のヒット曲「素敵なタイミング」が流れている。まさに今日は恐ろしいくらいにグッドタイミングだった。訪問者数のわりにアクセス数が多かったので、「俺の競馬敗戦のことをみんな気にしてくれているのか」と感激したがそうではない。俺がこの盗作問題をどう取り上げるかを期待していたのだ。誰も俺の敗戦のことなんか気にしてくれやしねえ。冷たいものである。少しは同情してくれ。
皆さん、自分の歌なんぞ誰も気にしない、と思っているだろうがちゃんと読んでいる人は読んでいるのである。盗作だけはやめましょう。信用されなくなり、身を滅ぼします。
現在のところ、「塔」メーリングリストでこの問題を取り上げた人はいない。ヘタレだなあ。
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歌人という一応詩人のはしくれにいる人間は、人のことをできるだけきれいな目で見ていたいと思うものです。
これは批判精神をもたないというのとはまた違います。
上記のM氏の歌は確かに本田氏の歌に酷似しています。しかし善意に解釈すれば、悪意があったのではなく、本田氏の歌が好きで繰返し巻き返し読んでいるうちにいつのまにか自分の体に沁み込んで作歌するときに自分の言葉のように湧いてきたということは考えられないですが?げんに黒田さんご自身も島田修三氏に酷似した歌を作ったという経験をお持ちなのですから、そこら辺りのことは寛大に考えてあげることはできないでしょうか?
上記のM氏の作が剽窃であるかどうかは、塔の掲示板で編集部が応えているように、本人にそのことを糾してから判断したほうがいいと思います。
このごろは凶悪事件の犯人も裁判で裁かれるまでは犯人とは言わず容疑者と呼びますね。
われわれ第三者は本人の正直な釈明を聞いた上で初めて剽窃か否かという言葉が使えるのだと思います。それまでは怪しいと思ってもそれは言ってはならないことだと思います。
上記のコメントで、あなたは、「われわれ第三者は本人の正直な釈明を聞いた上で初めて剽窃か否かという言葉が使えるのだと思います。それまでは怪しいと思ってもそれは言ってはならないことだと思います」と仰せられておられますが、この件(くだり)の指示語「それ」は、明らかに「怪しい(と思ったこと)」を指すものと読み取れます。
だとすれば、あなたの主張内容は、「われわれ第三者(甲氏でも乙氏でもない者)は、『甲氏作として発表された短歌が、乙氏作の短歌に酷似している。だから、この短歌を創るに際して、甲氏は乙氏の作品を剽窃した疑いがある。かなり怪しい』といったことを言ってはならない」ということになりましょう。
あなたは黒田氏に、「ある短歌作品が剽窃作品である、との疑いが生じた場合、それを告発したり、問題提起をしたりする権利は、剽窃された(と思われる)作品の作者にしかない」と仰りたいのですか。
私がかねがね「当代きっての短歌の読み手」として尊敬申し上げている横山美子氏らしからぬ、奇抜なご意見として読ませていただきました。
昨日、連絡板で見た方の歌、101ペ−ジを見たばかりでしたので、記憶に残っていたのですが
物忘れしまい忘れのくり返し忘れ上手になりて老いゆく
この歌があったのです。
2〇〇六年8月23日放送
NHK短歌 山埜井喜美枝 選
物忘れしまい忘れのくり返し忘れ上手になりて老いゆく
津島市在住の別人の歌です。
横山さんのように善意に解釈したいのですが、このようなことがあれば故意ととらざるをえません。
ちょっと怖い偶然でした。
そちらの情報についても塔の執行部に確実にお伝え下さいませ。
こうなるとひょっとしたら、黒田さんの赤丸歌もやばいですね。
こういう方が人知れず他にも何人もいらっしゃるものかも知れませんし、執行部は盗作に対して、徹底的な予防策を講じる必要がありそうですね。
まぁ、そうでございましたか!(絶句)
偶然と簡単に片づけられない様相を呈してまいりましたね。
でも、そのMさんにしろ誰にしろ、剽窃をする方は気の毒な方だと思います。そもそも誰のために歌を作っているのでしょうね。自分のためですよね。剽窃して何が残るというのでしょう?剽窃したことで一番傷つくのは、剽窃した本人だと思います。だれしも自分に嘘はつけないですからね。剽窃した歌が選歌されたとて何の喜びが残るというのでしょう?本当に気の毒な方だと思います。
立川秀児さま
過分の誉め言葉を頂戴いたしまして恐縮でございます。(*^_^*)
お問い合わせの「それ」でございますが、私の指しておりました「それ」は、秀児さまの「それ」とは異なりまして、「剽窃か否か」を指していたのでございます。
ですから「それ」という代名詞の部分に上記のフレーズを挿入いたしますと「それまでは怪しいと思っても<剽窃か否か>は言ってはならないことだと思います。」になります。(*^_^*)
これでお許しいただけますでしょうか?(^_^)
結社は歌の発表の場として、こういうことにもっと神経質にならないと、2chの管理人と同じように責任を問われる可能性があります。
結社誌を盗作歌の発表の場として利用させ、多くの歌人の方々に多大なる迷惑(損害?)を被らせている訳ですから。
規約の中に、故意の盗作を投稿した場合、結社が損ねた信用や盗作された方への慰謝料等の名目で、損害賠償を請求する旨きちんと規定すべきでしょう。
僕も同意見です。許しがたいことです。民事で争ってもいいと思います。結社内にそうした委員会を常設すべきかもしれませんね。私が委員長になってもいい。