駅に会ひ駅に別れし武田尾の駅は無人の風くぐる駅 友田勝美
まずこの歌は、内容うんぬん以前に読んでいて非常に気持ちがいい。「駅」のリフレインを四つ、武田尾という固有名詞が効いている。駅での別れを詠ったものだろうが、そのドラマ以前に、この歌のリズミカルな響きに酔いしれてしまう。別れのあとの結句の「無人の風くぐる駅」のさりげない表現がうまい。もちろん、無人は「駅」にかかるのだが、妙な情緒におぼれず、あっさりとした感慨を残す。何より、本当にこの歌はリズムがいい。また、武田尾というのは、どこのどんな場所か知らないが、何やら古戦場とかお姫様の伝説でもありそうなゆかしい地名ではないか。それが「風くぐる」という言葉と呼応しているのだ。
ブランコの高くなりゆくときが好き みぞおちがふわり未知にふくらむ 井上良子
これまた一読して気持ちのよい歌。上句はまったくその通り、それを受けての下句がGOOD。確かにブランコを漕いでいるとき、その最高点においてはみぞおちを突き出している。その状態を「未知にふくらむ」と書いたところに作者のセンスを感じる。あの、ブランコを漕いでいるときの気持ちよさ、まさにそれは「未知」という言葉が適しているかもしれない。刹那の未来への希望が、ブランコを漕ぐという行為に象徴されているのかもしれない。この歌も、一発で僕の愛唱歌となった。自宅のすぐまえの公園がブランコがある。それに乗るたびにこの歌を思い出すだろう。わかりやすい歌がいい、とは言わない。ただ、簡単な表現でこんな普遍的な歌が作れるのだ。現代歌人は、もう少しそのことを考えたほうがいい。
怪奇的青空のもと読みかへすニュースをすでに読み物として 澤村斉美
「怪奇的青空」という表現に、思わず注目した。矛盾した言い回しである。しかし、この歌の注目すべきはまさにこの初句と二句に渡ったこの表現にあると言っていい。怪奇とくれば普通は夜とか闇とか墓場とか棺桶とかが続くものだが作者はにくいことに青空を持ってきた。ホラー映画でも、どピーカンの天気は暗闇よりももっといやな予感をそそるものである。そんな青空のもとを走るキャンピングカーのゆくてには必ず殺人鬼が待っている。作者は、夫婦が兄弟がお互いをころころ解体しあうばらばら殺人の世界をなんとか自分の所属するものへと返すため、あえてホラーの片隅に存在することを意図的に選んでいるのではなかろうか。われわれは全員東スポ(京都方面だったら大スポか)の見出しのなかで暮らしているのだ。逃れるすべはない。現代感覚に溢れた歌だと僕は思う。
浴槽のように窪んだなかほどに言葉を落す。これも日記だ 金田光世
実に謎めいた歌。私は一瞬、女性のある部位を盃に見立てるという上品ならざる遊びを連想したが、これは却下する。風呂場での一シーンかと思ったのだが、浴槽のようだ、と言っているからには、それは浴槽そのものではない。何かの窪みが浴槽を連想させたのだ。日記帳かとも思ったが、「これも日記だ」と言っているからには日記そのものでもない。ともあれ、伝わってくるのは作者の重い疲労感である。言葉を落すという表現もそうだし、何かはわからないが、疲れを癒す場所である浴槽に見立てている点も、作者の疲れを想像させる。僕は、具体がしっかり描かれてさえいれば、抽象詠をむやみと嫌うものではない。この歌には、言葉遊びではない作者の切実な実感というものを僕は感じる。結句の、「これも日記だ」というある種丸投げしたような徒労感に満ちた言い切りも魅力的だ。実に不思議な、見逃せない歌だと思う。
最後に、今月の問題歌を一首。
こんなにも孤独が辛いものだとは不覚でしたと告げて友逝く 安川良子
上句のつぶやき「孤独が辛い」ということの意味は、おそらく友人である作者にもわからないだろう。この友人はそう告げて亡くなったという。普通に読めば、これは独身を貫いて死に瀕しても家族のひとりもいない女性の孤独だと解釈されるだろう。
しかし僕の考えはこうである。死という闇から生まれた子供は、老いるに従ってまたその闇へと近付いてゆき、家族がいようがいまいがひとしくその闇に飲み込まれていくのである。この友人は、生涯を通じて一人ではあったが孤独ではなかった。だが死を目前にして初めて孤独というものを知り、その苛酷さに呆然となっているのである。だからといって家族を持てとか思い出を残せとかいった易きにつく解釈を僕は採らない。彼女に不覚があったとすれば、一人であることと孤独の本質を見間違えて、自分は用意ができていると思ったことにある。だが、誰もがいつかは通り、闇へと還っていく道なのだ。「死ぬ方法」だのなんだの悟りすましたような本が売れているが、死は本質的に無残であり非美的なものである。家族に見守られていようが野っ原で頓死しようが、その孤独さに変わりはない。誰もがどこかで、「不覚」と呟きながら逝くのだと思う。あのゴータマ・シッダールタでさえも、おそらく。その言葉が強く印象に残る。
平易な表現で普遍性のある世界を作る。これが短歌の韻律の持つ魅力であると僕は思う。
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ただし送ってきたものが死骸・腐った食べ物・かみそり・等等の場合は私としても彼女が度を越してしまっていてかばえませんのでいまのままがよろしいかと。