2007年04月23日

761 色気と存在感

 ふゆのゆふさんからコメントをいただいた。汐路章を題材にした僕の連作についてだ。実は今日は、もう疲れているので日記を休もうと思ったのだが、せっかくなのでちょっと書いてみる。この連作は、日活撮影所でのアフレコに汐路さんがいらっしゃって、そのときのことを見たまま詠ったものである。汐路章といっても、若い人にはピンとこないであろう。主に東映映画で活躍した脇役俳優であり、とくに加藤泰作品では絶品のバイプレイヤーぶりを見せている。「文学賞殺人事件」における老人ボケの大作家役でも出ており、爆笑ものの演技である。汐路さんをひと目見て、その迫力に驚いた。長く役者をやっている人は、黙っていてもすごい存在感がある。そして彼は、美男では絶対にないが、すごい色気を漂わせていた。立っているだけで「オレが汐路だ文句があるか!」というオーラをびんびんに放っているのだ。とても腰がひくく、それでいて気さくなかただが、やはりその、一種近寄りがたい迫力は凄かった。また、マイクをなめるような言い回しにはびっくりこいた。僕は、汐路さんと一緒のシーンがなく、それが今でも残念である。何か話しかけたかったが、こっちは三下役者、とうてい近寄りがたく、無理であった。
 僕は、歌人にもある種役者的素養が必要だと常々思っている。なぜなら、歌人は韻律でドラマを紡ぎだすパフォーマーだと思うからだ。僕が見た歌人で、強烈な印象を残す人が二人いる。岡井隆と河野裕子だ。短歌マラソンで見た岡井の朗読にもすごい迫力があった。また、河野裕子も、僕ははっきり断言するが、女優をやっても相当な線までいける人だと思う。とにかく、その存在をあれだけ大きく見せる人は、歌人には珍しいのではないか。僕はやはり、歌人はふだん会うときでも、普通のそこらへんの人ではいけないと思う。何らかのオーラやカリスマをその存在に漂わせているべきだといのは、ないものねだりだろうか。ポーズをつけ、自己演出に腐心してもなにも批判される筋合いはない。基本的に役者なんだから。俺の場合は、人前に出て喋らず、寡黙を貫くというのが美学である。そのぶん日記で喋り倒しているのだ。最後に、せっかくだからふゆの様が取り上げた連作をここにアップする。歌集に入れるつもりはないので、皆さん味わって読むように。これが僕が見て感じたままの歌である。

汐路章スタジオ入れば皆みなが最敬礼せり名脇役に 黒田英雄

微笑湛へおだやかなひとされどその腰の低さに凄味を感ず

無口なれど凡優なわれつひにまた汐路章と語らざるまま

頭より肉体(カラダ)と勘を研ぎ澄まし幾度の地獄を見しや汐路よ

耕さず順はぬ民の面影(かげ)やどしあれ役者よと人が呟く

見つめらるるをなりはひとせし俳優(わざをぎ)は美醜を問はず色気醸せり
ニックネーム 茶トラのみんく at 20:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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