2007年04月26日

764 ♪天国が俺を呼んでいる♪

♪霧の波止場に還って来たが
待っていたのは哀しい噂
波がさらった港の夢を 
むせぶ泣くよな岬のはずれ
霧笛が俺を呼んでいる♪
「霧笛が俺を呼んでいる」歌・赤木圭一郎

 ここ数日、私はもう疲れきっている。人生には、色々な苦しみがあると思うが、金の苦しみほど切実なものはあるまい。書類、書類、また書類。もううんざりだ。疲れきっているのに、頭だけが冴えて眠れない。金のトラブルが一挙に押し寄せてきた。私の責任ではない。52歳というのは、そろそろそういう問題を抱えて生きねばならない年齢なのかもしれない。あー、避け続けてきた故郷にも、錦を汚しに帰らなくてはならないかもしれない。こういう日常のトラブルがあるからこそ、短歌にのめりこんで行くのだろう。今、本当に歌を読んでいてやたらと心に沁みてくる。あの、俵×智の歌でさえも。しかし、資本主義というのは狂っている。1180万をあっという間に失くした俺に、銀行はどういうわけか、アメリカン・エクスプレスの会員証を送ってきくさった。「貴方は特別な人」などとのたまわっている。俺にこの上さらに金を使えというのか!?おまえらその金くれるのか!?違うだろ!?利子つけて返せってんだろ!?返さないと安岡力也がやってきて内臓商人を斡旋してくれるんだろ!?誤解してもらっては困るが、いくら金に困ったといっても、かの借金女王中村うさぎのようなケースとは違う。あくまで、俺が巻き込まれたあるアクシデントによるものなのだ。ことの顛末を歌にしたが、発表するのはやめる。生活を詠えとかねてから俺は言っているが、だからといってあまりにも生々しく詠えばいいというものではない。作るはしからゴミ箱に捨てた。
 最近俺は、赤木圭一郎の映画ばかり見ている。赤木の持つ陰りが好きだ。これは決して作ったものではなく、彼が本来抱えていた悲哀からくるものだろう。そして、素直に心に沁みるのは彼の育ちがいいからだ。育ちがいい、ということが本当によくわかる。彼が活躍したのは昭和35年1年間のみ。例の安保闘争がピークのときだ。同じ年に自殺した歌人に岸上大作がいる。ふたりは同世代。どうしても、この早熟で早世なふたりの若者の生き方を思ってしまう。ふたりとも死をもって永遠の青春の象徴である歌人となり、俳優となったのだ。赤木は昭和36年にスタジオ内の事故で死んでいる。彼の若白髪は有名だった。彼もまた、革命を夢見ていた若者の一人だった。好きで俳優になったわけではなく、ほかにやることがなかったから流されるままにヒーロー稼業を演じていたのである。彼のアクションシーンには迫力がある。その持て余したエネルギーを、映画という虚の世界で発散していたのだろう。赤木はひょっとして、またブームになるかもしれない。彼の虚無感は現代的だ。しかし、俺も赤木の映画ばかり見るということも、天国に呼ばれているのかもしれない。俺なんぞ、もちろん伝説になんぞなるわけがないが、せめて第一歌集だけは出してから死にたいものである。いずれにせよ、俺は、好むと好まざるとにかかわらず、東京のど真ん中で生きていくしかないと思う次第である。

      今日の八首

世紀の末雨降り雨に濡れる窓数限りなく嵌め殺されよ 藤原龍一郎
夢に出る機械の鳥はどの夜もキブツチンシと鳴くのだそうだ
堕落するにも才能がいる、通勤の道に桜の白茶けた花
使い捨てカメラに写す現実に酸性雨降りちょっとピンボケ
東京というドラッグに溺れたる或る精神を歌人と呼べば
「月日は流れ、私は残る」そののちの詩歌こそ余生余生こそ呪詛
同時代的悲喜として「食ふべき詩」を「喰ふべきキリンビール」を
物語、モノがカタルを肯えば携帯電話もブンガクの糧(かて)
ニックネーム 茶トラのみんく at 22:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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