今日のMYビデオ
「妖刀物語〜花の吉原百人斬り」(昭和35年東映京都、内田吐夢、脚本依田義賢、音楽中本敏生)片岡千恵蔵、水谷良重、三島雅夫、沢村貞子、木村功、片岡栄二郎、花柳小菊、原健策、山東昭子
歌舞伎の「籠釣瓶花街酔醒」を元にした内田吐夢監督の力作。顔に痣のある田舎の大店の主人が、ひょんなことから吉原の花魁の手管にはまり、廓の主人の策略によって全財産を巻き上げられる。彼は初めて自分にやさしくしてくれた女である花魁に入れあげ、「太夫」とするために財産のすべてを注ぎ込む。しかし金の切れ目が縁の切れ目。商家は傾き、金がもう搾り取れないとわかったとたん、廓の主人夫婦はこう言い放つのだ。「この田舎の化け物が」。この映画はリアルだ。そもそも歌舞伎作品自体に実話のモデルがあるらしい。請求額が五十両から始まりそれが百両、二百両、三百両、五百両、千両千五百両とどんどん増えていくのだ。巻き上げる三島雅夫、沢村貞子コンビの芝居が最高。役者冥利につきる楽しさだったろう。また、女で地獄に落ちていく片岡千恵蔵の演技も絶品。そして、無機的な花魁水谷良重も同じく絶品。ラストは、男から巻き上げた金で太夫となった花魁が道中をやる。そこに、妖刀を持った片岡が怒り狂い乱入、片っ端から斬り殺していく。このシーンは何度見ても鳥肌が立つ。桜が舞い散り、三味線が乱打され、まさに様式美の世界である。片岡は、水谷を刺し殺し、叫び続ける。「遊郭の悪いやつは出て来い」。桜が容赦なくその上に舞い落ちる。凄く綺麗だ。内田吐夢の計算された演出がばっちり決まっている。この映画は、夕刊で読んだが、劇作家三谷幸喜が見たがっているそうだ。なんだかなあと思う。三谷ほどの高名な劇作家が、こうした映画を好きなだけ見られない。という日本の不幸に暗澹たる思いがする。なんで日本人が日本映画を観られないんだ。俺は、日本映画の通を自認しているが、それでも見られない名作が相当ある。ビデオで集めているが、それでも及ばない。この作品も、現代では映画化は無理だと思う。やはり、撮影所システムという力があったからこそなしえた企画だ。だいたい役者がいない。「華麗なる一族」のキムタクには失笑した。映画では仲代達矢のやった役である。雲泥の差である。
俺は、女によって破滅する男というのがうらやましいと思う。女に貢ぎ、女によって破滅する男、最高ではないか。それだけいい女を見つけ破滅するのは自業自得、まさに男冥利につきる。この映画で、片岡千恵蔵が水谷良重を刺すときの台詞、「これでお前は俺の女房だ」が泣かせるではないか。恨みを、殺すことによって自らの生の昇華としているのだ。俺の、男の死に方の理想はかの阿部定事件で高名な吉田吉蔵である。ぜひ俺も定のような女とめぐりあってお願いしたいものだ。女に殺されるって、なんかカタルシスを感じるなあ。また、この映画のように女で破滅する男、というのにもカタルシスを感じる。俺なんか、大金をなくしたが実に下らん理由だ。ちょっと片岡千恵蔵が羨ましい気がする。まあしかし、俺もいつ妻に殺されるかわかったものではないが。短歌の世界でも、男と女のどろどろした情念を描いた歌を読みたいものだ。そういう意味で、この「妖刀物語〜花の吉原百人斬り」はたいへん貴重な映画である。
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