そして、今の編集者たちのやる企画というのは、「秀歌のポイント」とか、「春の歌」とか、「鑑賞のポイント」とかハウツーセックス(もとい)、ハウツー短歌ものばかり。そして、すでに盛りを過ぎた歌人の特集である。お前らもう消えろ。総合誌に存在意義があるとしたら、超党的な視点に立って、ともすれば身内意識で固まりやすい結社の体質につねに冷水と熱湯をぶっかけ、危機意識を持たせ、ありていに言えば怒らせ続け、まったりとしてんじゃねえぞこの野郎な刺激を与え続けること、それ以外にないではないか。結社による賞の持ち回りのあっせん業者じゃねえだろうやり手ばばあじゃあるまいし。
青磁社主催による「社会詠シンポジウム」は盛況だったという。小高賢、大辻隆弘、吉川宏志の鼎談であり司会は松村正直。総合誌の存在意義はアクチュアリティであるはずなのに、このことを全く取り上げることなく、相変わらず秀歌のポイントだなんだと、死体の解剖みたいな記事をメインに据えて澄ましている。どうして、このように重大な短歌上の事件が総合誌で取り上げられないのか。想像するに、ある出版社のHPをきっかけに始まった事件を特集したりしたが最後、カヤの外にいた大多数の大手の結社からあからさまにあるいはそれとなく、抗議やイヤミや批判が来るのであろう。それは誤解だというならちゃんと反論してみろこの野郎。佐々木幸綱は、歌壇の自由のためにかつて戦ったとのたまわっているが、その結果生じたのが、均質化が進み、突出を嫌い、同調圧力にひしがれた、だらしのない、はねっ返りを嫌う歌壇の状況である。佐々木先生、反論お待ちしております。とにかく、いまのような誌面であり続けるなら短歌総合誌などもはやとっくに役割を終えている。むしろ害毒であるからして、とっとと消えていただきたい。なんだったら代表的な四誌すべて廃刊になっても僕は痛くもかゆくもないし、歌壇にとってもそうだろう。いや、そのほうがいいかもしれない。新人賞がなくなるのはよくないという向きはいるだろうがそれもいらない。と言いたいが、それを一年生きるよすがにしている歌人もいるであろうから、仏心でそれだけは意義があるといちおう言っておいてやる。その他に短歌総合誌の存在意義はない。こう言われてくやしかったら、短歌雑誌編集者は、たとえば僕が有友紗也香、田中雅子をピックアップしたように、各結社誌を穴のあくほど読んで独自に新人を発掘してみさらせ。いくら挑発しても馬の耳に念仏だろうが。
当ブログ6000人読者に告ぐ。今のままなら、短歌の総合誌なんぞ読まなくてよろしい。それくらいなら、結社誌を読みなさい。実際僕は、総合誌よりも自分に送られてくる結社誌を読むほうがよほどためになるし面白いのだ。俺がいまだにいかっているのは、斉藤斎藤「渡辺のわたし」を総合誌が黙殺に近いほど完無視をしたことだ。この歌集こそ、賛否両論毀誉褒貶の雨あられの大特集を組むべきだったと思う。こういう注目歌集を黙殺する歌壇に未来はなく、若手が入ってこないのも当たり前の話である。お前ら、営業努力もせんといて嘆いてばっかりではないか。総合誌を含め、歌壇などというのは糞たれの集まりである。
![Powered by 269g[ブログ・ジー]](http://269g.jp/img/269g.gif)
すまん、読んでない。ただ、「短歌ヴァ―サス」は押しが弱い!戦略性がないのだ。よって、歌壇に影響力を持つほどの雑誌ではないと僕は思います。