2007年06月25日

815 短歌(うた)の湿度・まず結社誌を読め

 湿気というのは鬱陶しい。日本に湿気さえなければ、夏は過ごし易いはずだ。いわゆる、からっと晴れる、というやつだ。しかし、短歌に関して言えば湿気は必要。からっと晴れた短歌では困るのだ(俵×智の、脳が天気みたいな短歌もどきとかな)。じとーっとしてなきゃね。

捕獲さるる度に誰かが引取りて四丁目にゐた「あか」といふ犬 酒井久美子

 短歌は、三十一文字に凝縮されたドラマであると僕は思う。その短い詩形のなかに、数尺を費やした映画にも匹敵するほどのストーリーを詰め込み読者のイメージのなかで再生させる。
 かつて野良犬というものが普通におり、野犬狩りというものも普通にいた。公務員の行う衛生活動であったが、なに昭和三十年代ころの喋符で言うところの「犬殺し」である。野生と管理、衛生と土着、共同体の親密さと非常さというのが渾然一体となって揺曳していた、近代化や管理化の徹底していない時代であった。動物を手厚く保護し幸福のうちに生かさねばならない、ことに犬猫は人間の友なのだから、という発想には大に同感だが、近頃の、(野良犬は言うにおよばず)一匹の不幸な猫とて作り出すな、閉じ込めて飼え、ちゃんと管理教育しろ、ペット動物には責任者がいるべき、ましてや坂東真砂子のごときは氏ね、という風潮がなんとも窮屈で息がつまる。「あか」のような犬がかつてはどの町にも一匹はいた。いちおう飼い主のいる犬でも平気でそのへんを歩いて適当に寝てたりした。ごはんはもちろんあちこちで貰うのである。健康的な生き方ではないし、事実昔の犬猫の寿命は今よりずっと短い。しかし、犬や猫が死んだときの悲しさは、それにまつわる思い出が胸をしめつけるからであり、ペット動物というのは共同体にとっての記憶装置なのだ。渋谷とくればハチ公だが、あれが鎖につながれて駅前をうろつくことができなかったら、あの街のイメージは今よりもっと貧しいものだったろう。それは人間のセンチメンタリズムだと言われればその通りだが、町の人みんなに愛され、しかも誰のものでもない「あか」のいた風景が懐かしい。三十一文字で、時代のイメージをくっきりと伝えてくれる秀歌だと思う。俺はあ、この歌は俺だけが選んだ歌だと思っていたらだなあ、百葉集で一席に盗られてもとい採られてしまった。こんなにたくさん歌があるのに、よりにもよって、なんでやねん!なんか知らんがとっても口惜しいぞ。

遺されし者らに幸を運ぶ死の確かにあるを確めたら泣け 保村たまき

 保村さんの歌には、いつもリアリティーがある。視点がいいのだ。ワンパターンなことしか詠えない歌人は彼女の歌を見習ったがいい。「老人は死んでください国のため」という川柳をよりによって福祉課の役人が詠んで大問題になったことはあるが、それを聞いた国民の大部分(よっぽどのお人好しか、逆に厭世観が突き抜けて向こう側に行ってしまった人以外)は「まったくその通りなんで問題になるかわからん」と感じたことであろう。それは言ってはならないことだと、同時に思いながら。この歌の「泣け」は死者を悼んで泣くという意味ではない。老人か病人か身障者かその全部かどうか知らないが、家族がその病の奴隷であったこと、不本意な生活を強いられてきたこと、そして、その悲しみが本当か嘘かに関係なく患者の死は双方への解放であること、その絶望そのものに誠実に浸れということである。心優しい人は病人の死を待ち望むことを自分に禁じるが、その看病と介護の日々がついに終わりを告げたとき、その人は誠実であればあるほど押し寄せてくる幸福感を拒絶できないだろう。すぐに泣いてみせるのはぺてん師である。おそらく周りが「こんなによくしてもらって、おじいちゃんも幸せよ」とかなんとか言う言葉も耳に入らず、時間が経ってから、人間という存在そのものへの絶望と愛おしさに泣くのである。「確か」という言葉をリフレインさせていることが秀逸。ありふれた綺麗事を詠うんじゃねえぞてめえら。

二人子が帰り来たりてこの家は重くなりたり廊下が軋む 鵜原咲子

 この歌も視点がいい。普通、実家に子供が帰ってくるとなると、嬉しいだ懐かしいだ可愛いだ、陳腐な言葉のオンパレードでうんざりするのだが、この歌のリアリズムは、それらの凡歌に冷水をぶっかけるものであう。たいていの人は、長く実家を離れていた子供たちがたまに帰ってきた、不在の間鳴らなかった廊下が子供がどたどた歩くせいできしんでいる、ああ、たまの一家勢揃いはいいものだ。そういう歌だと思うであろう。だが僕の解釈は全く逆である。この結句の重々しさからは、子供の帰郷に相好を崩している親馬鹿のイメージは浮んでこない。「二人子」とは、ひょっとして仲の悪い同士の兄弟姉妹かもしれない。子が自立し、やっと自分の生活ペースを取り戻した親のところに、どたどた歩く子供がたちが傍若無人にやってくる。その心の重さを詠ったものだと僕は解釈する。でなければ、下句の「重くなりたり廊下が軋む」というホラーな表現の意味がないではないか。僕の読みは間違っているかもしれないが、「子供たちが帰ってきてひさしぶりに家がうるさくてうれしい」というのが作歌意図だとしたらあまりにも凡歌である。その解釈に僕は反発する。

作りたる吾が稲荷ずし幼らは百個食べたきと言ひてくれたり 水口秋桜

 作者が作った稲荷ずしを、子供が「百個食べたいくらいおいしい」と言ってくれた、そういう単純な歌である。しかし、僕は一読して目頭が熱くなった。母親が作ってくれた料理を懐かしがる歌は多い。が、ここでは母親が、子供が自分の料理を喜んでくれたという記憶にすがっている。それが哀しいのだ。稲荷ずし、という品目がいい。そこから導きだされるのは運動会のイメージだ。運動会で稲荷ずしは、のり巻きと並ぶスーパースターである。子供時代の懐かしさが蘇る。百個という具体的かつ不可能な数字が、子供の無邪気さと幼さを表わしていて胸をうつ。作者のリアルがどうであるかは知るべくもないが、何らかの事情で子供と引き離された女性がたまさかに見せる悲しい母性のようなものを感じ、胸が熱くなるのだ。稲荷ずしという言葉がいい。これこそが、母と子のはかない絆なのである。子供の「百個食べたい」といった気持ちも痛いほどわかる。母親に気を遣って言っているのである。一見単純な歌だが、とても深い悲しみを感じる。短歌とは、こうでなくてはいけないと僕は思う。

 ところで、「塔」のみなさん。みなさんはリアル歌会やeメール歌会などにご熱心であられますが、自結社の他歌人の歌のなかから秀歌を発掘し、ネット上で批評するという行為にはまことに消極的であるように見受けられますが、いかがなもんでごぜえやしょうか?そんなに歌評がしたければ、結社誌を読めば秀歌がごろごろしてるではありませんか。「塔」にはブログやHPを持っている人もけっこういるが、かんじんの結社誌から秀歌をピックアップし評をするという行為にははなはだ不熱心なようである。歌会は歌会で楽しそうではあるが、そんな暇があるならどうしてと、結社誌出詠歌に対しての無感覚さに苛立ちを抑えかねている僕なのである。なぜなら、俺一人ではとうていこの短歌の山を処理しきれないからだ。伊波虎英氏は、ブログで「短歌人」の一首選をやっている。こういう行為の積み重ねが大事なのだ。
ニックネーム 茶トラのみんく at 23:12| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
田舎にあかって犬がいましたよ、私が子供のころだから昭和五十年くらいで、子供たちはのぼちんといっていました。なんでのぼちんかはわかりませんが。納屋のわらでよく寝ていました。

うちで飼った犬がのらって名前で、というかこの呼び名以外に反応しないのでそう名づけるしかなかったのですが、首輪抜けてどこかへ逃げていくというか遊びに行ってしまうんですね。

近所の犬を従えて走っていたこともあります、再三。めすなんですが。女王様?

のらは結局十八歳ぐらいまで生きました。
Posted by ふゆのゆふ at 2007年06月26日 18:15
>ふゆの様
 昔のペットの名前は、たとえば猫なら、ミケとかトラとか単純でしたね。ちなみにうちにいたかわいい三毛猫の名前もミケでした。この歌は本当に、時代の風景を韻律に凝縮させた秀歌だと僕は思います。
Posted by ひでお at 2007年06月26日 23:22
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