「このたび、先生の作品を我が社出版のアンソロジーに載せていただきたく会議で決定いたしました」
「ありがとうございます!」
「当社としては、10万円でお願いしたいのですが」
「いや、そんなに戴いては申し訳ありません」
「いえ、10万円を払っていただいたうえで掲載するということなのですが」
「馬鹿野郎氏ねおととい来い」がちゃん。
これは、結構巷によくある会話ではなかろうか。ただし、「おととい来い」は少数派で、「ありがとうござります」と受話器に向かってぺこぺこ頭を下げるバカ歌人が多いのではないか。自費出版社からしてみれば、歌人なんてのは甘ちゃんのカモもいいところである。結社誌に、ノーギャラで文章を書くとか、自費出版で自主的に金を使うとか、これは仕方がない。んがしかし、上記のようなゴロ出版社から、「自分は選ばれたのだ」と思ってほいほい金を出すバカ歌人にはプライドのかけらもないのだろう。なんで自分の歌を、金払って「掲載していただく」必要があるというのだ。多少なりとも歌に自負のある歌人なら「馬鹿野郎氏ね」というのが当たり前だろう。しかし、涎を垂らして大喜びし、なけなしの10万を払って「掲載していただく」甘ちゃんが歌人には多いのだ。そういう例が多いから、自費出版のヤクザ会社の食い物にされるのだ。
朝日新聞夕刊に、実に面白い記事が載っている。「自費出版業者を著者が告訴した」とのことである。出版社側が、「全国の書店にアナタの本を拡販します」という約束をしてくれたので大枚払って本を作ったのに、その約束が反故にされたという。まず、この出版不況の時代に、自費出版の本が全国展開なんぞできるわけがねえだろがアホ。いや、それを言ってはいけない。これは原告ではなく、あくまで出版社側に非がある。はっきり書くが、これはおそらくかの悪名高い新風舎のことだろう。僕の知り合いにイラストレーターの人がいる。この人は新風舎の「コンテスト」というのに応募して落ちたが、そのすぐ後「あなたの絵本は素晴らしいので是非出版したい」「ついてはいくら出せ」と具体的な数字をつけて打診があったそうである。その人の絵本なるもの、僕は読ませてもらったが、言っちゃ悪いが自費出版レベルでもひどい代物である。さすがにそうは言えず、「夢があっていいですねえ」とだけ言っておいた。彼は、「宮崎駿を越えたい」などとのたまっている(涙)。たださすがに、その会社からの自費出版の話には僕は強く反対した。彼もしぶしぶ同意したが、あとでそうしておいてよかったと言ってくれた。歌集を出すのに自費を投じる、これはもう仕方のないことだろう。が、しかし、たかだか三十首四十首載せてもらうために金を払うというやつ、これはバカである。歌人としてのプライドがあれば、そもそもそういう話には乗らないはずだし、また、乗ってはいけない。本当にやる気のある出版社なら、赤字覚悟でも、自分の見込んだ歌人の歌集を印税保証で出してやる、というのがあるべき姿だろう。大手から出る小説のたぐいじゃあるまいし、印税保証なんて短歌の世界にあるかアホ、と言われるかもしれないが、だからいかんのだ。それを当たり前と思って、自分の歌の商業的価値を軽視するから、出版ゴロの食い物にされ、結果ろくでもない本が乱発されるのだ。どの本のことを言っているかは、賢明なる読者諸氏にはおわかりのことと思う。自歌にプライドがあるなら、たとえ一首あたり300円でもいいからギャラを取れ。自分から「掲載料」(これは普通貰うものではないのか)を払って載せていただくなんぞという事態は決然として拒否せよ。そうした矜持が、歌壇を馴れ合いの不健康さから回復させるのである。
「通りすがり」さんからのコメントによれば、この日記は野次馬根性で読まれているだけだとのことだ。それは正しい読みである。僕は、このブログを権威にしたいなんぞとはぜーんぜん思っていない。娯楽や、「あの狂犬が今日はまたどんなバカなことを言ってるのかな」という興味で読んでいただければ本懐である。僕は、このブログを一回読んでくれた人が何度も読みたくなるという戦略にもとづいて書いている。決してただ思いついたままをだだ漏れに書いているわけではない。だから、「通りすがり」さんみたいな人は、最高のお客様なのである。ここみたいなブログが10や20、出てくれば初めてその時、インターネット歌壇は活性化していると言えるだろう。とにかく、歌人のサイトにせよ、一般誌の文章にせよ、「読まれるために面白く書く」という努力がまったく認められない。およそ歌人の書くエッセイは、少数の例外を除いて、読み物として面白いものなど皆無にひとしい。ありていに言って、歌壇的権威をとっぱらってしまえば、極めてレベルが低い。そのままネットに載せておれほどのアクセス数の稼げる文章家などまずいないだろう。なぜ自分のサイトのアクセス数が少ないのかと嘆いている諸君は、この日記を読んでよく勉強するがよろしい。毎日読みたくなるような短歌ブログなんて、ほんとないもんな。いや、それよりなにより、こいつら滅多に更新しないで廃墟状態にしとるじゃないか。だったらもう閉鎖しなさい。このような活気のなさが、インターネット歌壇の現状なわけだが、なみの亜子氏は、「批評の状況がインターネットやブログの掲示板で大きく変わった」とのたまっている。嘘つけ。こんな大嘘が短歌時評と言えるのか。なんか言ってきてくださいよなみのさん、貴女、これ読んでるでしょう? 短歌時評というのは、時評というからにはタイムリーなもののはずで、誰ぞの歌集を持ち上げたりするためのものではないだろう。歌壇のシステムというものを撃たねば駄目だ。そしてそのシステムは腐りきっている。凡百の短歌時評より、この日記こそが真の時評だと僕は自負している。だからこそ、これだけの読者数、アクセス数があるのだ。数をバカにするな。数を稼げない歌人ばっかりのくせに。僕に言わせれば、歌人というのは甘ちゃんの集まりである。とくに若手歌人は。あ、一言言っておくが、吉川宏志の文章は優れている。それと松村正直も鋭い。またぞろ、「黒田は塔のゴマスリだ」という馬鹿が出るかもしれないが、俺は事実を言っているまでだ。そもそも「塔」のゴマスリだったらなみの亜子をこうまで批判するわけがなかろうが。
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いきなりですが、歌人の殆どが「批評するなら紙媒体や評論会(特に二次会)やシンポジウムで勝負」と思っていて、ネットなどは二の次と考えているから(所謂「ネット歌人」でさえそう思っている)インターネットにおける歌壇というものが発展しないのではないでしょうか。ブログの記事というものはいつでも書き換えられます。言葉は悪いですが改竄も可能、ということです。ですが最もいったん発した自分の言葉が取り返しがつかないのもまたネットの世界です。場合によっては十年前の記事を保存されていて「おまえはこんなことを言っていたではないか」と言われます。この「ネットにおける言葉の滞空時間の二重性」というものが(読み捨てられるがいつまでもねちねち言われる)、短歌の人をインターネットにおける言論というものに向かわせないのだと考えます。
掲載にあたって金を払うか貰うかは立場で決まります。出版社側がぜひ掲載させて欲しいと思えば著者に金が支払われるでしょうし、著者側がぜひ載せてくれとお願いする立場なら著者が金を払うことになります。一般論として、駆け出しのときは出版社が頭を下げてくることはないはずですから、自費出版でも一向に構わないと思います。また、アンソロジーのようなものはタイミングもありますし、著者として対価を払うだけの価値ありと判断できればそれに乗っかるのもありだと思います。
もちろん、出版社の中には出版することが第一義で、内容を考査しない業者もありますから、そんなのにひっかかってはいかんでしょう。
責任とらなくていい人に、責任追及されたくないかも。
歌とりあげられる人も迷惑。