2007年07月14日

831 私の名歌鑑賞その2〜栗木京子〜

 僕が短歌に無知だったころ、どうして「現代短歌文庫/栗木京子」を買ったのか、その理由はさだかではない。ただこれも入院中だったが、「二十歳の譜」の中の、この一首に僕は目が点になったのだ。

蔑まれ蔑み返す目をもちて昨日の友よりアジビラを受く 栗木京子

 栗木氏と僕は同世代である。これはたぶん、1975年前後のキャンパスを詠った作品だろう。この世代は、思想と革命と夢とノンポリについて複雑な思いのある世代だ。戦争やファシズム、安保への嫌悪と、その嫌悪感の正しさを疑いはしない。だが、革命の季節を生きたと称する連中の、やってることと言ってることが大違い(連中ほど女性蔑視的でいじきたない個人攻撃ばかりやってるヘタレも珍しい)な、口ばっかの寄生虫的左翼ゴロ(いわゆるブサヨのはしり)ぶりを間近で身、到底そいつらの幻想に付き合う気などさらさら持てない。どこかにある答えを希求しながら目の前の「先輩」たちと数少ない追随者たちの純粋なる醜悪が見えてしまっている。と同時に、何もできない自分に苛立っている。反戦思想には共鳴するが、全共闘世代の偽善と内ゲバの醜悪、そして社会主義国家の失敗(当時すでにばれていた)を知ってしまったがゆえの距離感。かと言って、自民党政権が支持できるわけもない。つまり、人生でもっとも思想的な季節にあって、どこにも行けずに悶々とし、結局しらけるしかなかったのだ。フォークソングが、完全にラブソングへと移行したのが73年ごろである。それまでのフォークソングといえばプロテスト、抵抗の歌であるのが当たり前だった。しかし、その欺瞞が見えてしまった以上、僕らにできたことは、恋愛の小さな世界を守り、恋人と仲間の世界で閉塞すること、それしかないではないか。社会情勢より恋人との逢瀬が大事と歌った井上陽水の「傘がない」はその代表歌とも言えるだろう。しかしかといって、僕らが恋愛に脳天気にのめり込んでいたわけではない。僕の大学時代をひと言で言い表すなら、かったるかった。とにかくかったるかった。そして妙に寂しかった。栗木のこの歌に表現されたシチュエーションと同様の経験が、実は僕にもある。ある思想系サークルに勧誘され、行ってみたら、そいつらは真にその思想(人権的なもの)に共鳴しているというよりも、自分らはインテリの人権派なんである、みたいな陶酔とカッコつけが見え見えで、気持ちわるくて虫がすかなくて、ほうほうの体で逃げ出してしまった。真の純粋さのない思想はすぐにわかる。反対意見と客観的批判をてんから撥ねつけてマンセーな世界で褒め合いに没頭するからである。まさに、蔑まれ、蔑み返す目で、昨日の友からアジビラを受けたのである。
 キャンパス詠、というのは実は非常に少ない。60年代安保闘争の中の、岸上大作くらいではないか。その10年後の、70年代のキャンパスという世界を描いた歌は寡聞にしてまったく見当たらない。僕は、70年代がどういう時代であったかを百万言費やして説明するより、この一首を提示すれば事足りると思う、それほどのこれは名歌である。
 
観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生 栗木京子

 世評の高い相聞歌であるらしいと、歌集を入手したそのときに知った。それが、僕が歌壇をナメてかかる端緒となった。相聞歌としては非常に表現が陳腐であり、こんな内容だったら、詩や歌詞でいくらでも詠ってたよ俺たちは。観覧車?一日(ひとひ)?一生(ひとよ)?イージーである。ただ、この歌の自歌註を、栗木本人が最近雑誌に載せた。それによると、これは学生仲間数人とハイキングに行ったときの光景だという。つまり、この「君」というのは複数形であり、自分にとっては一生の思い出だが、あなた「たち」にとってはたった一日の思い出、という詩内容なのである。それを読んで、僕はあらためてこの歌を再評価した。自分以外は、今日という日を忘れ去るであろう、というその感覚は、実は全員が胸に抱いたものであるのだ。あの時代は、みんなでわいわい騒いでいてもとにかく寂しかった。「思い出づくり」という空疎な作業に若者が没頭するしかない、そんなやるせなさを共有しつつも、時代を共有することができなかった。共有できない、そのことが共通体験だったのである。栗木の第一歌集からそんな淋しさが、僕にはびんびんと伝わってくる。やはり、同世界の歌人なのだなあとつくづく思う。「蔑まれ」の一首が歌壇でとんと話題にならず、その時代の象徴性に着目する歌人もいなかったということが、歌壇というものの本質的な貧しさを示している。一度定まった評価を追随するだけが能である、そんな連中の評論などまるで信用できないのである。俺の、歌を読む目のほうが、有名歌人のそれより優れていると自負する所以である。栗木の第一歌集「水惑星」にはいい歌が多い。ただ、70年代という時代を意識して評論したものを見たことがない。栗木京子という歌人は、70年代の青春から出発した歌人なのである。今のところ、それをきちんと文章化したのは私くらいではないだろうか。でなければ、この「蔑まれ」の歌がここまで無視されてきていいわけはない。最後に、同歌集から、70年代をビビッドに表現した歌を何首か引く。

雑踏にて他人(ひと)と歩みの揃ふとき胸痛きまで我が孤独なる 栗木京子
実験が終ればいつも集ひ来ぬキャラバンといふ寂しき名の店
未来より思ひ出欲しと言ひし頃わづかに君は冷酷となる
力でも知でもあり得ぬ我ら酔ひ細き未来をうべなはむとす
学友よ、と連呼する声構内(キャンパス)の午後の寡黙にひくく響けり
春浅き大堰(おほゐ)の水に漕ぎ出だし三人称にて未来を語る
ニックネーム 茶トラのみんく at 22:32| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
 レ 栗木の第一歌集『水惑星』にはいい歌が多い。ただ、70年代という時代を意識して評論したものを見たことがない。栗木京子という歌人は、70年代の青春から出発した歌人なのである。今のところ、それをきちんと文章化したのは私くらいではないだろうか。でなければ、この「蔑まれ」の歌がここまで無視されてきていいわけはない

 本日の記事、とりわけて、この文脈の中で黒田氏の主張したいことは、凡そ次のようなことではないだろうか。

 「『水惑星』は名歌集である」とする世評に異論を唱えるつもりはない。
 だが、これについての、有名歌人を中心とした世の評者たちの評価は、これの「恋愛歌集」といった側面ばかりに注目し、それを論じるだけで、これが、70年代のキャンパスの中から生まれ、その中での青春を歌い、その雰囲気を最もよく表した名歌集であることを忘れている。
 そうでなければ、集中の「観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生」だけが注目され褒められ彼女の代表作とされ、「蔑まれ蔑み返す目をもちて昨日の友よりアジビラを受く」が一顧だにされないわけがない。

 もしそうならば、引用文中の「今のところ、それをきちんと文章化したのは私くらいではないだろうか」という件(くだり)は余分であろう。これ在るが故に、筆者の品性が下賎とされ、優れた主張を含んだこの記事が戯文とされるのである。
 引用文中の接続語「そうでなければ」も座りが悪い。
 筆者の黒田氏としては、ここのあたりを、一種の「読者サービス」、「アクセス数を増やすための私なりの一工夫」と心得て居られるのかも知れませんが、心ある読者の評価はむしろ逆です。
 そろそろ「悪餓鬼の戯け遊び」の位置から脱却し、本格的な短歌評論を書かれたらいかがですか。
Posted by 柴田悟朗 at 2007年07月15日 06:07
70年代に学生生活を送った人と、80年代も終わろうかというころに送った私とは、断絶がありますねえ。アジビラなんて(死語だけどさ)はなかみにもならん。

でもやっぱり群れてても孤独というのは変わらないねえ…
Posted by ふゆのゆふ at 2007年07月15日 08:35
女子寮なるゆゑかも知れず本立ての隣に吸いがらいれ置かるるは 冬野由布(S62.8短歌人より)

ダンボールひっくり返してこんな歌出してみました。寮に住んでたんで一種の学生生活のうたではありますな。当時の私は短歌というのは「捕り憑く物」であったらしいです。試験期間中のトイレで捕り憑かれたりして肩凝ったといってます。

二十代特集を見ても『サラダ記念日』に影響された歌はあまりないようですね。
Posted by ふゆのゆふ at 2007年07月15日 09:57
当時短歌人にはごろごろ十代二十代がいたにもかかわらず、『サラダ記念日』的なものへ許容することがなかったのです。許容するもしないも、若手がいなければお話になりませんがたくさん若者がたむろしているのにブームに乗っからなかったのは賢明だったと思います。だってサラダ亜流の歌って見苦しいだけだもの。
Posted by ふゆのゆふ at 2007年07月15日 10:17
ごめんなさいね何度も。
自歌の引用を間違え、出典も間違え情けない限り。
女子寮なるゆゑかもしれず本の陰に吸いがらいれ置かるるは(短歌人昭和六十一年(1986)8)
Posted by ふゆのゆふ at 2007年07月15日 11:48
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