2007年07月27日

840 最後の舞台(ステージ)と十歳歌人の登場

 佐藤様から、宇南山宏のことについてコメントをいただいた。「柔道一代」という番組に、彼は確かに若き柔道家として出演していた。昭和38、9年ごろだろうか。あの頃のテレビ映画は柔道ものがブームであり、その代表作と言えるのは倉丘伸太朗主演の「姿三四郎」(ヒロインは、佐治田恵子。おお懐かしい)であろう。僕は、そのブームの一環の番組で、さわやかな柔道家を演じた宇南山がロマンポルノに出ているのを見たとき、びっくらこいた。その宇南山は、今改めて思うに、不器用な役者であったと思う。いかにも組み立ててきた演技プランに沿った芝居に終始してしまい、演技以前の個性というものに欠けるのだ。こういう役者にはことさら演出家の駄目出しが飛んできたであろうと想像される。僕は、宇南山の自殺は、真面目なだけに、役や演技というものに追いつめられてのことではないかと思う。
 荻野洋一さんという、映画評論家のかたのブログでたまたま加藤善博の自殺を知り、ショックを受けてコメントしたところ、詳細を教えていただけた。渋谷区の公園のすべり台で首をくくって死んだのだという。痛ましい。「母娘監禁・牝」のビデオを、今日また見直した。テレクラで知り合った少女(前川麻子)に、最初ホテルマンと自己紹介しながら、実は「俺無職なんだ」とつぶやくシーンがある。加藤の表情とそれをのぞきこむ少女のカットが無言のまましばらく続く。そのとき加藤が浮かべている表情のなんともいえなさは、大人にならないことを選び続けてついには果てしのない孤独に落ちこんでしまった永遠の子供のそれだった。加藤善博という俳優、その演技には、常にわがままな子供の要素がああったが、本人も幼児性を多分に残した人ではなかったかという気がする。意志的に成熟を拒否し、自分が一番純真で正しいという王国を築き上げようとする、そして必ず破滅するタイプの人間。そんな人間が、公園の滑り台を自殺の舞台(最後のステージ)に選んだということに、俺は悲痛な象徴性を感じるのだ。ご冥福をお祈りする。

 「短歌人」8月号を読む。「会員欄」の赤丸チェックを終える。驚いたことがあった。ななななななんと、十歳の男の子が会員欄にデビューしていたのだ。この日記の読者某氏の縁者のかたらしい。なかなかセンスのいい五首である。うらやましいと思う。彼は十歳で歌を始めたのだから、これからどんどん、初恋も初体験もくだらない青春のかずかずも、そのたびにヴィヴィッドに詠うことができるのだ。47歳から短歌を始めた僕はそのことを身もだえして嫉妬羨望する。なんせ俺なんぞおっさんだから、相聞歌を作ろうとしても全部性愛歌になってしまうのだ。若い歌は若いときにしか詠めない、という通説を実感している今日このごろである。それでも、大昔を思い出し思い出しして作った相聞歌のいくつかは、歌集に収めたいと思う。ああ、十歳の彼よ。どんどん歌を作りたまえ。そして「短歌人」に載せたまえ。また結社誌を読む楽しみが増えた。贅沢を言えば、今度は十歳の少女が入ってきてくれないかな♪。

      今日の二首

すさまじきものかとかつては思ひしか独笑(ひとりわらひ)をみづからゆるす 佐藤佐太郎
悲しみをしづめゐるとき蝿のとぶ短き音も身にしみて聞く

      今日のMYビデオ
「妻たちの性体験〜夫の目の前で、今」(1980年にっかつ、小沼勝、脚本・小水一男)風祭ゆき、宇南山宏、草薙良一、錆堂連

 この映画のイメージソングに、みなみらんぼうの曲が使われている。しかし無許可だから当然クレジットには出ないのだ。ので私は、曲は知っていてもタイトルはわからないのだ。にっかつロマンポルノには、そんなふうに、画と合っているのに無許可ゆえにタイトルのわからんイメージソングがやたらとある。まるで、小劇団がBGMを使うのと同じノリである。かつて私も、ブルース・スプリングスティーンやジョン・フォガティの名曲の数々を使用させていただいた。ありがとう、ボス。
ニックネーム 茶トラのみんく at 23:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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