僕は、アンギラスという怪獣に強いシンパシーを感じている。この怪獣ほど、日本怪獣映画史上無残な死を遂げたやつはいない。「ゴジラの逆襲」において、ゴジラに首筋を噛み切られ、どす黒い血を流し、いたましいほどの叫び声を上げて死ぬ。しかもゴジラは、その死体に白炎砲を吐きつけ、炎上させるのだ。後年のゴジラの変節を知る人は知らないかもしれないがこの2作めにおいてゴジラは前作同様「日本を破壊する荒ぶる神」、端的に言って悪役であり、アンギラスはその悪を強調するためのついでに誕生させられた、つまりは噛ませ犬的存在である。それにしては、インパクトが強かった。彼は清水将夫によってこう語られる。「体じゅうに無数の脳を持ち、しかも性格は凶暴、やたらと敵意を剥き出しにする」。要するに、それなりの知性はあるが、それが生活を向上させる役に立たない、自滅するタイプということだ。だから、あとさきも考えず、ゴジラという強大な敵に向かっていったのだ。まさに、この私そのものである。いや、男、という動物の意識の深いところに、こうとしか生きられないものへのシンパシーが深く眠っているはずだと断言したいところだが、残念ながら当節はそうでもないらしい。アンギラスの無数の脳味噌は、考えるための脳味噌ではなく、ひたすら暴れるための脳味噌であるらしい。それだけにいたましい。僕は、根本的に、闘う、とか自決、とかいう言葉が好きである。このふたつのキーワードが僕の人格にあるが、かといって三島由紀夫みたいなのとは全然違う。彼のように、徒党を組もうとは思わないし、226事件の皇道派の将校連中とも違う。つねに孤独に考え、行動する。だから、アンギラスを自称するのだ。
予定している歌集の第一章「禄で無し」の草稿はすでに完成した。ただ、あとの四章が、ほぼ出来てはいるがなんか弱い。もうちょっと考えよう。ところで、何度も言ってるんだが、歌人諸君は歌集を作るとき、「章立て」というものをどう考えておるのだ。十首とか三十首とかやたらちょこちょこ章立てをしているが、読んでいて邪魔である。なにも、雑誌に発表したときのままのタイトルと歌数と構成で収録するばかりが能ではあるまい。もう一回、全部をばらばらにほぐして、百首単位で構成し直し脚色してみろよ。歌集を読んでいて、無駄に章立てが多いと思うことが多すぎる。こうやっていくら俺が吠えても、こいつらは壁のように無視をする。ならば繰り返し言ってやる。俺は短歌は好きだが、歌人という人種は大嫌いである、と。
なお、本日の「今日の一首」は、歌集「安輝素」の締めくくりの歌と決めている歌である。
今日の一首
アンギラス千住の“お化け煙突”に縋り哭く見ゆ鮮血(あか)き夕暮れ 黒田英雄
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いつ出るかわからない私の第一歌集、是非とも買ってくださいませ。少なくとも読者を飽きさせない読み物としての歌集を出したいと思っています。アンギラスは、体じゅうトゲだらけの、四足の、小柄でフットワークのある怪獣で、トゲに象徴されているように、他者と交わることのない孤独なファイターなのです。