僕は、入院中に、啄木の「一握の砂」と出会って、短歌にのめり込んだとかつて書いた。特に、「らむ」という美しい言葉に、入院中の絶望感から救われた。だから、あの頃作った短歌では「らむ」が乱用されている。初期のころの作歌ノートを見ると赤面してしまう。全部引用できないが、「君が言ったらむ」などという無知まるだしのでたらめな歌を作り、妻に張りとばされていた。もうちょっと詳しくなってから作った歌を見てみると、意外と「らむ」の登場度は低い。
倦み離るるひとであれども母逝かば八年(やとせ)のうちに我も逝くらむ 黒田英雄
探してみたら、「らむ」と「む」をかなり混同しており、「らむ」使用であるとはっきり言明できるのはこれしかなかった。「あらむ」や「をらむ」も「らむ」かと思っていたが、違うそうである。となると、「らむ」使用で活字化されたのは、「塔」に載ったこの歌だけである。活字化された僕の歌は565首にのぼる。にも関わらず、偏愛する助動詞「らむ」を使ったものはこの一首しかないのである。「らむ」という美しい言葉に、潜在的に畏怖感を覚えている結果かもしれない。だから、あだやおろそかには使えないのだ。口語短歌を使う若手歌人よ、文語短歌を読みなさい。いや、読まなければ、いずれ行き詰まるだろう。天才歌人小島なおにもそれは言える。文語短歌歌人を、誰か一人選んで読み込まなくては、彼女も自己韜晦に陥るであろう。歌のスタイルには色々あるだろうが、やはり歌人たるもの、文語を学まざれば、いずれ自分の文体に飽きてくるであろう。などと偉そうに言っている俺自身が信じられない。だって、たったの6年前までは、短歌の「た」の字も知らなかったのだから。運命、これほどわからないものはない。一生は、計算通りには行かない。いまだに、自分が短歌をやっているのは、ロッド・サーリングの「ミステリー・ゾーン(トワイライト・ゾーン)」の世界に誘い込まれたような気分でいるのである。
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