僕は、この作品を鑑賞しても思ったが、短歌はつきつめれば、主題が命である。どのように詠うではなく、まず、なにを詠うかが問題である。どのように詠うかは、そのあとについてくるものだ。主題を掴むというのは、決して楽なことではない。しかしそれをやらずして、歌人としての存在感はないと言えるだろう。この受賞作は、短歌にはまだまだ、表現によって開拓できる無限の沃野があることを示してみせた。冒頭の詞書、「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」を、僕は昔師事していた演出家から教えられ、引用元の写真集も見せてもらった。路上で犬に食いちらされる死体。衝撃的であると同時に晴ればれとした開放感をおぼえた。これこそ、出家だの修行だのいう観念で汚されてしまう前の、ある認識の精髄ではなかろうか。墓だの家だの親戚だの、親でも子でも配偶者でも、自分の死の管理を任すあるいは任せられると思うなんぞくだらんことだ。鳥獣のエサでなにが悪い。それを成仏できないとか供養すべきだとか言うのは無知およびいんちき霊能者(含む大概の坊主ども)に踊らされているだけである。
すぐれた連作だが、この世界劇場の登場人物たちは、兵士と少年と老人と女だけでよかったのではないだろうか。昆虫どうしの会話として詠まれた一首がいかにも余計である。世界を描き出そうとする意図のもとに、人間以外のものも排除しがたいという気持ちはわかるが、歌としても構成としても他の部分との齟齬を感じる。僕は女16歳から96歳に至る台詞形式の歌がすごく気に入っている。また、少年と老人のダイアローグも心に沁みる。これは照明や音響を効果的に使って、舞台で表現してみたいとさえ思う。舞台化に向いた素材だとは思わないかもしれないが、音楽に吉田拓郎の「恋の歌」を流したい気がする。特に、兵士と女の会話、女たちの会話。いずれにせよ、こういうスタイルの連作が受賞するというのは画期的なことだ。新人賞というのはこうでなくてはならない。


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欄にコメントをしようとするとエラーが出てどう
してもコメントできない、という現象が発生して
いました。反響がなかったのはこのことも影響
していると思われます。
それともどっかから、妨害電波が出てるのかな(笑)?
心の花掲示板にコメントをいただきまして、ありがとうございます。また、心の花本誌の自作の父詠を取り上げていただき、温かいコメントも下さいましたこと、感激しています。
奥田亡羊さん「麦と砲弾」は、「驚き」「新鮮」があり、全部の作品を読んでみても新人賞はこれしかないだろう、と納得いく作品でした。同じ結社の人間だから言うのではありません。黒田さんの最後の二文に深く共感します。
ところで黒田さんは、
> すぐれた連作だが、この世界劇場の登場人物たちは、兵士と少年と老人と女だけでよかったのではないだろうか。昆虫どうしの会話として詠まれた一首がいかにも余計である。世界を描き出そうとする意図のもとに、人間以外のものも排除しがたいという気持ちはわかるが、歌としても構成としても他の部分との齟齬を感じる。
とのことですが、いい歌だし、構成としても舞台の隅っこにセットされた作り物の草むらにまで神経行き届いていてうまいなあ、と私は思いました。台本の中の「ここに草むら」という表記(黒田さん、こんな言い方するんでしょうか?)に相当する一首といいますか・・・人間以外のものも排除しがたいという気持ち、というのは私は感じなかったんです。
ところで岡井隆さん馬場あき子さんはこの歌に関して「ちょっといい歌だね」と仰ってましたが「ちょっと」って何だろう・・。
ええ、言われてみればそうかなとも思います。ただ、鳥獣虫魚へも目配り、という方法はいいのですがその目配りのありようが、惜しいかな従来の「優しい視点」の凡庸さに陥っているようにも思えるのです。この世界で、虫ですら無罪なことはないと僕は思うのです。とは言うものの、この連作が意表を突いた傑作であることは論を待ちません。
最近の寺川さんのご活躍には目を見張るものがあります。結社誌への出詠はもちろん、新人賞や角川短歌への投稿も楽しみに待っています。