2005年08月27日

199 奥田亡羊「麦と砲弾」

 「短歌研究新人賞」に対していろいろ言ってきたので、最後は受賞作「麦と砲弾」について語りたいと思う。作者はラジオのディレクターだというが、ラジオのニュース番組の台本を擬した体裁をとりながらそこには、限られた字数行数のうちに世界の諸相を語りつくしてしまおうという壮大な意欲を感じる。この場合の世界の諸相、壮大さというのは、単に世界を「善きもの」として捕える、日本人がよくやらかす脳天気で無批判なあれではなく、悲惨も残酷も流転の諸相の一部として肯定し、なおかつ東京の片隅のスタジオにいる自らの卑小ささえも大いなる営みのひとつとして、悲しみのうちに受容する透徹した視点に立つそれだ。以前僕が上演したサム・シェパードの傑作短編戯曲、「百四十万」にも共通する朗読劇だと思った。世界のありようにざらつきや違和感を覚えながらも、批判や批評を離れて、なおかつ情念の集積としてそれを写し取ろうという意思、あえて言えばそれこそが芸術だと思えるものがここにはある。作者近影のスキンヘッドがチャーミングだが、京都のお生まれというし、ひょっとしてお坊さんでもあるのだろうか?だとしたら、安直な日常肯定と鈍感な衆生の慰撫に堕した昨今の仏教界とは一線を画す、まさに野にあって世界を観照しようとする真の宗教者ではなかろうか。
 僕は、この作品を鑑賞しても思ったが、短歌はつきつめれば、主題が命である。どのように詠うではなく、まず、なにを詠うかが問題である。どのように詠うかは、そのあとについてくるものだ。主題を掴むというのは、決して楽なことではない。しかしそれをやらずして、歌人としての存在感はないと言えるだろう。この受賞作は、短歌にはまだまだ、表現によって開拓できる無限の沃野があることを示してみせた。冒頭の詞書、「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」を、僕は昔師事していた演出家から教えられ、引用元の写真集も見せてもらった。路上で犬に食いちらされる死体。衝撃的であると同時に晴ればれとした開放感をおぼえた。これこそ、出家だの修行だのいう観念で汚されてしまう前の、ある認識の精髄ではなかろうか。墓だの家だの親戚だの、親でも子でも配偶者でも、自分の死の管理を任すあるいは任せられると思うなんぞくだらんことだ。鳥獣のエサでなにが悪い。それを成仏できないとか供養すべきだとか言うのは無知およびいんちき霊能者(含む大概の坊主ども)に踊らされているだけである。
 すぐれた連作だが、この世界劇場の登場人物たちは、兵士と少年と老人と女だけでよかったのではないだろうか。昆虫どうしの会話として詠まれた一首がいかにも余計である。世界を描き出そうとする意図のもとに、人間以外のものも排除しがたいという気持ちはわかるが、歌としても構成としても他の部分との齟齬を感じる。僕は女16歳から96歳に至る台詞形式の歌がすごく気に入っている。また、少年と老人のダイアローグも心に沁みる。これは照明や音響を効果的に使って、舞台で表現してみたいとさえ思う。舞台化に向いた素材だとは思わないかもしれないが、音楽に吉田拓郎の「恋の歌」を流したい気がする。特に、兵士と女の会話、女たちの会話。いずれにせよ、こういうスタイルの連作が受賞するというのは画期的なことだ。新人賞というのはこうでなくてはならない。

ニックネーム 茶トラのみんく at 00:31| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
一昨日から昨日にかけて、このブログのコメント
欄にコメントをしようとするとエラーが出てどう
してもコメントできない、という現象が発生して
いました。反響がなかったのはこのことも影響
していると思われます。
Posted by 松木 秀 at 2005年08月27日 13:54
 松木様、ありがとうございます。日記を更新するときにも多少障害がありますので、コメントくださるかたは煩瑣かもしれませんがすみませんが何度か試してみたください。エラーが出ても、ちゃんと届いているということもあるので、エラーが出たのちにサイトを確認してみてください。

 それともどっかから、妨害電波が出てるのかな(笑)?
Posted by ひでお at 2005年08月27日 23:52
黒田さん、お久しぶりです。
心の花掲示板にコメントをいただきまして、ありがとうございます。また、心の花本誌の自作の父詠を取り上げていただき、温かいコメントも下さいましたこと、感激しています。

奥田亡羊さん「麦と砲弾」は、「驚き」「新鮮」があり、全部の作品を読んでみても新人賞はこれしかないだろう、と納得いく作品でした。同じ結社の人間だから言うのではありません。黒田さんの最後の二文に深く共感します。

ところで黒田さんは、

> すぐれた連作だが、この世界劇場の登場人物たちは、兵士と少年と老人と女だけでよかったのではないだろうか。昆虫どうしの会話として詠まれた一首がいかにも余計である。世界を描き出そうとする意図のもとに、人間以外のものも排除しがたいという気持ちはわかるが、歌としても構成としても他の部分との齟齬を感じる。

とのことですが、いい歌だし、構成としても舞台の隅っこにセットされた作り物の草むらにまで神経行き届いていてうまいなあ、と私は思いました。台本の中の「ここに草むら」という表記(黒田さん、こんな言い方するんでしょうか?)に相当する一首といいますか・・・人間以外のものも排除しがたいという気持ち、というのは私は感じなかったんです。

ところで岡井隆さん馬場あき子さんはこの歌に関して「ちょっといい歌だね」と仰ってましたが「ちょっと」って何だろう・・。
Posted by 寺川育世 at 2005年08月30日 00:30
>寺川様
 ええ、言われてみればそうかなとも思います。ただ、鳥獣虫魚へも目配り、という方法はいいのですがその目配りのありようが、惜しいかな従来の「優しい視点」の凡庸さに陥っているようにも思えるのです。この世界で、虫ですら無罪なことはないと僕は思うのです。とは言うものの、この連作が意表を突いた傑作であることは論を待ちません。
 最近の寺川さんのご活躍には目を見張るものがあります。結社誌への出詠はもちろん、新人賞や角川短歌への投稿も楽しみに待っています。
Posted by ひでお at 2005年08月30日 00:44
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://269g.jp/tb/743536

この記事へのトラックバック