2007年12月11日

942 角川「短歌」11月号を読んで

 遅ればせながら、角川「短歌」11月号を図書館から借りてきて読む。新人賞発表号であるが、それよりも、記事のほうが面白かった。特集「旧仮名遣い・新仮名遣い」における島内景二の寄稿、「旧仮名は踊る」が出色である。俺は完全に勘違いしていた!「よう」の旧仮名遣いについてである。「ああ困った、どうしよう」の「よう」を、俺はずっと「やう」と表記していたのだ。それでわかった。結社誌に投稿していた、俺のスグレタ口語短歌がボツになり続けている理由がだ。あれを「やう」でなく「よう」と書いていさえすれば全部採用されたのに(笑)!!旧仮名は難しい。でも、なぜ俺が旧仮名にこだわるかと言えば、単刀直入にそのほうが美しいからだ。何度も言うが、「するらむ」を「するらん」と書いたら興ざめもはなはだしい。なんだかバカボンのパパのバカ田大学短歌同好会みたいになってしまう。島内氏は、旧仮名を使うことで、日常性から解き放たれ、かつまた、定型詩である以上は、日常言語で詠い通すことはむしろ不可能なのだと述べている。僕の実感から言っても、文語のほうが五七五七七のリズムには断然乗せやすい。定型うんぬんよりも、作り易さの視点から、むしろ文語のほうが短歌に似合っていると思うのだ。何度も取り上げて恐縮だが、僕の歌

淑やかにロケの河原を指し示す女将が指にかそか触れたり 黒田英雄

 これは、湯ヶ野温泉は旅館福田屋において、映画「伊豆の踊子」の撮影が行われたとき、内藤洋子が踊ったのはあの辺りであると、女将さんが指さしてくれたときの情景であり、「あそこですか?」と僕が指さしたとき、指と指がふと触れたのである。この歌はすぐできた。しかし、これを口語で作れと言ってもできないし、仮に作ったとしても実につまらんもんにしかならないと思う。「かそか」という古式ゆかしい形容詞が効いている。もし他人の歌だったら名歌選に載せるのだが自分の歌なのでできないのが残念なくらいである。短歌は、確かに刹那の日常を詠うものだが、それを詩的に高めるために文語的処理というのは不可欠である。だいたい口語短歌というのは、文語をなんか抑圧的装置だとか、既成の感動の回路を強制してるとか、果ては人間には本質や内面とかはないのだと思いたがるとか、そういう心性の連中が多く巣食っておって、結果は似たかよったかになってしまい、だいたい三つか四つも読めばつぎに何が来るかわかってしまって飽き飽きしてくる。違うと言うなら、飽きのこない口語短歌を挙げてみろこら。たとえば、村木道彦氏の有名なこの歌。

するだろうぼくをすてたるものがたりマシュマロくちにほおばりながら

 これは、すごい良い歌だ。この歌のよさは口語と文語の混ざり具合が絶妙なところである。実は僕は、村木氏の歌業をまとめて読んだことがない。ただ、時々紹介される村木氏の有名な歌はいいなと思うのである。僕は思う、口語短歌を作るのは結構だが、それは文語を使いこなしたうえで挑戦すべきことだと思う。口語現かな歌人の多くが、無知と浅はかさにあぐらをかくいいわけと手法を混同しているように僕には思える。感動というものをはなから拒否し、そんなもの信じていないかのようなポーズをとりたがるのだ。キミタチ、そうまでして感動するのが怖いかね。きっとよっぽど気が弱いのだろう。
 また、同誌連載「語る短歌史」岡井隆Fが抜群に面白かった。こんな面白い連載をやってるとは知らなんだ。これはいずれ本として上梓されるべきだろう。岡井氏に短歌空白期間があるのは有名だが、僕が笑ったのは、岡井氏自身が、当時の手紙が残っているので自分の死後、自分の評伝に載せて欲しいと書いていることだ。爆笑した。そりゃそうだ。岡井氏が亡くなったら評伝作家の名乗りを上げる連中が山ほど出てくるだろうが、変に体裁のいいものにしないためにも、岡井氏は「証拠は残っておるのだぞ」とあの世から脅しをかけようというのだ。だったら生きてるうちに自分で書きゃあいいのにとも思うのだが、それもご愛嬌である。啄木、岸上なんて、もう家族の恥づかしい事情まで丸裸にされてるものな。それが文学者というものである。ひとり文学者を出したら表を歩けない、それが文学の本来の姿なのである。それに比べて現代歌人のケツのアナの狭いことよ。ちょっとプライバシーを書かれただけでぎゃあぎゃあわめきくさって。バカどもが。覚悟が足りん覚悟が。それにしても、岡井隆というのは面白く、かつ不可解な人だ。元々左巻きでインテリのくせに、今や宮中歌会選者である。僕には、いくら読んでもこの人の歌の拠点がよくわからない。よって、深く読みこもうという気がしない。ヤボかもしれないが、僕は歌人には一途な不器用さがあってほしいのだ。
 同じく同誌連載、篠弘氏「残すべき歌論11」近藤芳美(1)も読み応えがあった。僕がわざわざ言うこともないが、篠氏は短歌評論にぬきんでた実績を持つかたである。僕はよく、短歌総合誌のことをぼろくそにこきおろすが、久々に角川「短歌」を読んでみたらたいへん面白かったのである。また買おうと思っている。
 新人賞?あー………そういえばあったねえそんなのも。受賞作は斎藤芳生さんの「桃花水を待つ」。感じのいい連作だ。以上ですが何か。小島なお級のビッグな新人はそうそう出ないということだ。それよりも言いたいことは次席の「舞台TOKYO 」。これははっきりひどいと言える。こんなもん都市詠でもなんでもない。都市のトピックスを詠っているだけで、歌人本人の「われ」の視点がまったくない。俺はそんな作歌姿勢を認めないね。誰が推した!?ああ、やっぱり万智ちゃんか。嬉しいねえ。実は、万智ちゃんと俺は、新人賞に関する限りけっこう意見が合っていて、そのたびにいやな気分になっていた。彼女の任期の最後にやっと袂を分かつことができてほっとした。小池光氏が、選考中にぼそっと呟いた言葉が正解だろう。

小池「受賞なしにしますか」。

 今年はそれが正解だったろう。毎年毎年、新人賞を出すことになんの意味があるのだ?賞の権威の低下でしかない。正直今年の受賞作はやむなく押し出されて決定されたものであり、腹は立たんけど、わざわざ新人賞を与えたりして、本人に気の毒なような気がする。でもまあ、新人賞を貰ったからってそんなにプレッシャーにはならんだろう。それだけ、新人賞の重みが軽くなっているのだ。

ニックネーム 茶トラのみんく at 22:20| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
村木道彦。
Posted by at 2007年12月12日 00:35
すんません。即直します。
Posted by ひでお at 2007年12月12日 20:41
村木道彦は、神保町の三省堂書店(←だったかな?)に国文社の文庫歌集で一冊おいてありました。
あそこは、なかなか品揃えがよかった気がします。
ほかにも神保町の書店なら一冊は見つかるでしょうし、紀伊國屋書店、ジュンク堂にもあるんじゃないでしょうか。
知ってて買わない、というだけならば、余計な情報だったでしょうけど。
Posted by 森 at 2007年12月13日 00:18
>森様
 ありがとうございます。村木さんの歌は熟読してみたいと思っていたので探してみます。
Posted by ひでお at 2007年12月16日 22:01
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