2005年09月01日

205 8月月間ランキングと「選歌を疑え」。

 再び記録を更新した。8月の総アクセス数は10388。総訪問者数は、2997人である。嬉しい悲鳴だ。ただ、アクセス数に関してはもうこれ以上望むことはないが、訪問者がいささか不満。僕としては毎月5000人は訪れて欲しいと思っている。それにしても、7月から急に伸び始めたな。これはどういうこっちゃ。夏休みということで、(厨房工房も入れて)学生たちが参入してきたのだろうか。いずれにしても有難い。とにかく読み易い、かつ中味の濃いブログにしたいと思います。毎日お待ちしてます♪
 恒例のランキングを発表します。

 ブログ開設218日目、総アクセス数59770、総訪問者数16856人。
 8月ランキングベスト10

1位 8月24日「『短歌研究新人賞』選考委員私案」 892アクセス
2位 8月 7日「念力図鑑」 699アクセス
3位 8月20日「河野裕子作品ふたたび」 568アクセス
4位 8月 1日「7月月間ランキングと『黄濁の増富』」 555アクセス
5位 8月26日「奥田亡羊『麦と砲弾』」 542アクセス
6位 8月17日「『塔』8月号・陽の当たらない名歌選パート1コメント」 536アクセス
7位 8月11日「純チャンと静香チャンと興起チャン」 531アクセス
8位 8月23日「『短歌研究新人賞』に対する危機感」 530アクセス
9位 8月22日「『短歌研究新人賞』感想と提言」 508アクセス
10位 8月 4日「『短歌人』8月号会員欄・秀歌紹介」 451アクセス

 うまい歌はうんざりするほど満ち溢れている。しかし、心に直截に響く歌は少ない。僕は、チープこそ最強だと思っている。実は、「ぼろくそ短歌選」というものをやろうと思っていた。もちろん、一流の歌人が選んだ歌を対象にしてだ。「塔」「短歌人」ほか、雑誌投稿欄などが対象になる。口汚くノノシリたい歌がいっぱいある。が、やめた。何故なら、歌人は僕が思っている以上に傷つきやすく、繊細な人たちだと実感したからだ。罵倒ぼろくそが当たり前の世界にいた僕にとって、生ぬるいなとは思ったが、確かに歌をけなすというのはそれなりに勇気がいる。何故ならば、作者の人格を全否定しかねないからだ。さすがに僕も躊躇する。歌壇では、批判というのは慎重にしたほうがいいなと思う次第である。除く俵万智。
 俵に関しては、「サラダ記念日」に歌人協会賞を与えたことは、歌壇の恥だと思う。たぶん、歌書としては有り得ないほどに売れたということに頭をたれた結果だと思う。ぢつに情けない!!たとえば、キネマ旬報作品賞や、米アカデミー賞で、大ヒットしたからといって賞を与えるだろうか。そんな馬鹿な話はない。恥を知れと言いたい。数にひれ伏しているのは歌壇だけだ。だいたい、あの歌集(もどき)が、300万部、400万部売れるということに、なぜ疑いを持たなかったのだろうか。要するに、バカに受けたというだけではないか。それを短歌が何事か成し遂げた業績のように思える神経を疑う。部数が全てと言うなら時刻表に文学賞を与えても同じことだ。
 閑話休題。
 僕が4年間短歌をやってきた実感として思うのは、前にも書いたが、「一流の歌人が一流の選者とは限らない」ということである。一流の歌人が選ぶ歌だからいいなんて鵜呑みにしないほうがいい。ひどい選歌がたくさんある。選歌というものは選者の人生観も反映するものであるから、好みは分かれて当然である。確かに、どう見ても誰が見ても箸にも棒にもかからない駄歌というのは間違いなくある。だが、その個人の人生観に照らしてあぶりだされるものを持った歌は、表現が拙かろうが文法がなってなかろうが、「いい」のである。

 豚の交尾終わるまで見て戻り来し我に成人通知来ている 浜田康敬

 これは、何度読んでも物凄い歌である。「成人通知」という連作もすばらしい。これを角川短歌新人賞に推した塚本邦雄を尊敬する。塚本は、超一流の歌人であり、超一流の選者でもあったのだ。今の選考委員にこれだけの鑑賞眼が果たしてあるだろうか?僕は不安でしょうがない。
 浜田康敬、藤原龍一郎、石田比呂志、河野裕子他々、たくさんの歌人の作品に僕は影響を受けているが、啄木の「一握の砂」「悲しき玩具」の影響から僕は逃れることはできない。僕の意識は、常に啄木短歌のもとにあるのだ。僕は、二十一世紀の啄木になる。
 なぜか、1月あたりの古〜い日記へのコメントをいくつかいただいた。ありがたいことである。ただyuminさん、あんまり言いたくないけど、僕の歌より貴方の方が下手ですよ。これは、愛情をこめて言いたいと思います。ともあれ、僕の短歌を真剣に読んでいただいたうえでのことだと思います。ありがたいと思ってます。

ニックネーム 茶トラのみんく at 22:22| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 豚の交尾終わるまで見て戻り来し我に成人通知来ている 浜田康敬
 歌人・浜田康敬に対する評価とは別に、この歌への私の評価は黒田さんとはかなり異なります。 それは、「豚の交尾終わるまで見て戻り来し我に」⇔「成人通知来ている」という上の句と下の句の図式に、私は、「予定調和」的、「作り物」的なものを感じるからなのです。それに、作中の語・「成人通知」とは成人式の招待状か何かを指すのでしょう。だとすれば、作中主体は二十歳。二十歳にもなって、「豚の交尾終わるまで見て」いる彼は、かなり晩生(おくて)で、ぼんやりした青年のように感じられてなりません。豚や馬や牛などの交尾に興味を持つ年頃は、私の常識では、小学五・六年から中学生まで。百歩譲ってもせいぜい高校一年くらいまで。それだけに、私がこの作品から受ける感動は、黒田さんよりはかなり薄いものになるのです。
 性への目覚めが他人よりずっと遅れた、うすぼんやりの青年が「豚の交尾終わるまで見て」我が家に「戻り来」てみたら、我が家には自分宛の「成人通知」が「来てい」た、では、感動も官能も感じられませんからね。  
Posted by yumin at 2005年09月04日 21:07
 8月23日の「『短歌研究新人賞』に対する危機感」及び8月22日「『短歌研究新人賞』感想と提言」へ反応して、コメントを寄せられた読者が極めて少数だったのには驚きました。
初応募の昨年、「最終選考通貨作品」に選ばれたことに気をよくして出した今年の応募作が、「佳作」に終わってしまった私は、黒田さんと全く同意見です。どうにかならないもんですかね、短歌研究新人賞の選考方法。
Posted by yumin at 2005年09月04日 21:27
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