定食の飯計りいるきみ見えて店の奥行き暗き電灯の下 浜田康敬
ああ、この歌も、僕の映画的イメージを喚起するのだ。「足摺岬」(昭和29年、吉村公三郎監督)のワンシーンを思い出す。昭和初期の、政治弾圧のもとで咲いた恋愛の悲劇を描いた作品だ。田宮寅彦原作の、独特のロマンチシズムに溢れた映画である。まさに、暗い谷間の青春と言えよう。ゴジラ映画で有名な伊福部昭の手になる重々しくも切ないピアノの音楽が素晴らしい。
社会主義者の学生は、木村功が演じている。ヒロインは、津島恵子である。もちろん、木村は特高警察に尾行されている「主義者」であり、貧乏学生である。赤門の付近に定食屋がある。そこで働いているのが津島である。客が手をつけなかった焼き魚を、店主の目を盗んでそっと木村に渡したりするのだ。この浜田の歌のごとく、木村が外から彼女の働く姿を眺めるワンカットがある。貧しさゆえに清らかな愛情を歌ったみごとなワンカットだ。これも偶然だろうが、浜田作品から、この映画を思い出し、胸が熱くなったものだ。
津島の弟は、新聞配達しながら学んでいる苦学生である。戦争中のことで、津島姉弟の父親は、戦地で捕虜になって殺された。そのことを周りから非国民と罵られ、肩を寄せ合うようにして生きている。弟に泥棒の嫌疑がかけられる。刑事から、「お前は非国民の父親を持つから、こんな泥棒をするんだろう」と竹刀でぶっ叩かれる。結局冤罪だったが、弟はそれを苦にし、自殺をする。津島はそれを機に、生地である高知へと帰って行く。東京での、木村と津島の別れが辛い。木村は、母親を失い、政治的にも挫折し、自殺を決意するが、その前にひと目彼女に会おうと、死に場所とも定めて足摺岬を訪れる。彼は結核だ。到着すると同時に倒れてしまう。津島の手厚い看護を受けながら、彼は津島にプロポーズをする。しかし、時すでに遅し。津島にはもう縁談が決まっていたのだ。高知での別れのシーンがもう切なさの極みである。木村が忘れていったシャツを届けようと津島はバス停に走る。しかしすでにバスは出たあとだ。木村の、生きる希望を見出そうとする顔のアップ、過ぎ去っていくバスで映画は終わりとなる。この作品は、若い人に観て欲しいなあ。日本映画と短歌というのは、切っても切れない関係だと思うが、日本映画を意識した歌人などほとんどいないなあ。1930年代から70年代までの旧作邦画を観たほうがいい。叙情というのは、まさに日本映画の中にある。最近、ぐっと来る、叙情を感じさせる歌が少ない。小器用な歌ばっかり目につく。
歌は、怒りと叙情、この二要素以外になにがあるんだろうか。あったら教えていただきたい。シンプルは最強。胸が熱くなるような相聞歌を読みたいし、詠みたいとも思っているのだが。「旅の重さ」「足摺岬」を偶然に取り上げてしまったので、MYビデオから久々にこの二本をじっくり鑑賞し直したいと思う。
ただ一度唇(くち)より唇(くち)に含(ふふ)ませし夜の水のこときみ知らぬまま 黒田英雄
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「(私の大好きな1930年代から70年代までの)日本映画と(私の好みと合致する)短歌とは、切っても切れない関係にあると思うが、(こうした旧作)日本映画を意識した(現代)歌人などほとんどいないなあ。」とされたら、いくらか意味文明になりはしませんか。
黒田氏の好きな1930年代から70年代までの日本映画と、黒田氏の好みと合致する短歌との共通項は「貧困」と「叙情」。
そう。「貧困」は「叙情」の源泉です。
それはそれとして、「短歌人」会員の矢嶋博士こそ、現代社会には稀有な、貧困をテーマとした叙情性に満ちた歌風の保持者ではなかろうか。
彼・矢嶋氏は、あの含羞に満ちた独特のポーズで以って貧困を歌う。一見、「騙(かた)り部」風な矢嶋博士の短歌は類い稀な叙情詩なのである。