母親に睡眠薬を飲ませ、眠っている母親と姉妹を殺してあまつさえ母の腹には人形をつめこんだいち少年の家宅捜査の結果、残酷シーンのある漫画が出てきたと、十年一日の報道がされているようだが、いつもながらメディアの単細胞ぶりには呆れ返る。
だいたい、人間とは、「小説や漫画に刺激されない限り残酷なことをしない」存在であろうか?もしそうだとしたら、その「残酷な表現」を生み出した作家はなんだというのか。宇宙から来たエイリアンか日本を滅ぼそうとするニャントロ星人の尖兵か(いや本気でそう言う人がいそうで怖いけど)。人間が表現したきたもの、それこそ世界最大のベストセラー聖書を始めとして、字を知らない人々でもわかる、「サルにもわかる地獄絵図」を見るがいい。あるいは古来延々と行われてきた酸鼻を極めた拷問や処刑の数々。いったいどの面さげて、現代は人心の荒廃した残虐な時代だなどと言えるのか。神や共同体が人間の倫理を支えてきたなどと最近はその手の言論がかまびすしいが、過去はおしなべて現代よりも残酷であった以上のこの論法は当たってはおるまい。
だいたい、昨今やたら見直しが叫ばれてる家族とか共同体って何だよ。俺は、「家族」という概念が大嫌いだ。あの、血縁というべたべたした馴れ合いにはうんざりする。家族は愛し合わねばとか分かりあえるはずだとかたわごとをぬかす奴で世間はあふれておるが、そういうのが多数派であるからして、このような煮詰まって家族を殺す心ある青少年が発生するのである。家族は他人、と最初からわかっておれば、わざわざ自分の人生を葬るような犯罪には走るまい。小津や成瀬はその点において前衛作家だ。家族という物に、最初から何の期待もしていない。いや、絶望しているからこそ、見事な家族映画を撮ることができたのだ。小津の「一人息子」や、成瀬の「秋立ちぬ」を見るがよろしい。俺だったら、これを見て逆に家族愛に目覚めちゃうぞ。希望を持たせようと思うのなら、はりぼての希望ではなく、絶望を徹底して描くべきだ。最近なんかのコンテストで、「子供に希望を与える言葉募集」とかなんとかいうのを知識人に対して行ったそうだが、俺だったら「寝る前に忘れず締めよう親の首」と出すところだが、あいにく盗作なのでやめておく。子供の純心でナイーブな心(笑)真に届くのは鬼畜な言葉であり、なぜなら子供は、とりつくろった嘘には極端に敏感だからである。彼らに与えてやれ、「早く絶望したほうが勝ち」だというメッセージを。
ところで、いつも思うことだが、うん百万もかけて墓を建てる人間というのがおるらしい。俺には理解できない。よろしいか。死は死であり、天国も地獄も存在しない。祖先供養うんぬんのたわごとと恫喝で食ってる細木数子以下の有象無象。死ね。俺は墓など要らぬが、ふと思うのが、ペット霊園に入るのは悪くないな、ということである。ミケやポチの写真の間に「黒田英雄ここに眠る」というのもほほえましくていいではないか。きたならしい人間どもと一緒に埋まりたくはない。それくらいだったら無縁仏となって、道ばたのたんぽぽの肥料になっていたいが日本は文明国なのでそれもかなうまい。家族の解体の危機が叫ばれておるそうだが、真に犯罪を減らしたいと思うなら、そんなものもっとどんどん解体して消滅するがよろしい。世界の肛門で愛を叫ぶとか、既存の家族の概念によりそったベタベタ映画を作る作家や監督は噴飯ものである。こいつらは、過去の映像作家の作品など見てはいないだろう。成瀬、小津、溝口、彼らの孤独感には凄愴たるものを感じる。だが、今どきの若(バカ)者たちは、孤独であることをもって悪となすらしい。キミタチに、カヌーイスト野田知佑氏の金言をプレゼントしよう。
「友達が多いなんてやつにロクなやつはいない」。
僕は、徹頭徹尾孤独であり、孤独の中で生涯をまっとうしたいと思っている。
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