2005年03月09日

42 歌は質より量!

 歌を作り始めて今年で4年目。ああ、俺は、いったい何千首の短歌を作ったことだろう。わがノートには自作歌がぎっしり書き込まれている。ほとんどはクズだ。話にもならない。ばっさばっさと捨てていこう捨てていこうと思いつつもそうもいかないかなあとも感じている。というのは、自分が評価している歌と、他人が評価する歌の差異がはなはだしいからだ。「おお、これこそ21世紀に残す名歌だ」と自画自賛する歌はことごとく落とされ、員数歌でしょうがねえやと思う歌が採られてびっくりすることが多いのである。
 たとえば次の歌が「塔」誌で河野裕子選で「百葉集」一席でとっていただき、目ん玉が飛び上がるくらいびっくりした。

 無精卵の女男(めお)住む町に囲はれてしづかにしづかに滅んでゆきたい 黒田英雄

 この歌は、「塔」誌に出詠した連作十首のうちのひとつである。体じゅうが疲れ切って、ぼんやりと沈む夕日を見つめていたときにふっと浮かんで一気に作った歌だ。ただ、作ったあと「俺らしくない、弱気で女々しい歌だなあ」と嫌悪感を感じながらも、十首埋めなくてはいけないと思い、追加した、まさに員数歌である。「塔」誌を見て、「これは、歌全体が誤植ではないのか」と目を疑ったものだ。しかし、河野先生の短い選評があったので、「ああ、現実なのだ」と思った。そして短評を読んで、「ああ、これはいい歌なんだ」と完全に他人の作った歌を読むような感じで読みかえしたものだ。他にも、雑誌詠草で特選とかとった歌も、ほとんど自分にとっては員数歌にすぎないものが多くて、そのたびにびっくりしている。何か、俺は勘違いしているんだろうかと悩んでしまうのだ。
 よく新人賞応募作を師に見てもらい、選歌を受けたものを応募するという話を聞くが、以前は、フザケたことをするな馬鹿野郎!と思っていたが、今はなんか、その気持がわからんでもないのである。自分自身、トンデモない自選歌ミスをしてるんじゃないかと、採られる歌のことを思って考えてしまうのだ。ただ、なんのかんのといって、歌はとにかく大量生産しなければ仕方がないと思う。いい歌を生み出すエネルギーも、少ない歌しか作っていなければ生まれてこないだろう。俺の歌なんか、しょせん50首作って1首秀歌があればいいほうだろう。啄木だって、「明星」時代の歌に死ぬほどつまらない駄歌が多いもんな。
 そうは言っても、自信歌がほめられたこともあった。つぎの一首だ。

 喧嘩して仲直りして喧嘩してけふ仲直りして永遠(とは)に別れむ 黒田英雄

 これは、自分の作った歌の中でも五本の指に入る自信歌であり、思い入れのこもった歌だ。雑誌ではないがネット上で藤原龍一郎さんから「いい歌だ。歌会だったら僕は1票入れる」と言われ、自分の感覚にも自信を持ったものだ。とにかく歌は数、数、数。自分で駄歌と思っても、結社誌などに出詠してみようと思っている。皆さん、歌は質より量です。絶対この意見に間違いはないと僕は確信している。
 石川啄木「悲しき玩具」の冒頭歌、「呼吸(いき)すれば/胸の中(うち)に鳴る音あり/凩(こがらし)よりもさびしきその音!」これは、啄木が冒頭歌として選んだものではない。たまたま、土岐哀果が紙に書きなぐって捨てられていたその歌を発見して、啄木の死後、彼の判断で冒頭歌にしたそうだ。啄木自身は捨てるつもりの歌だった。このことを思っても、選歌というのは非常に大事だと思う。啄木本人の意思を無視する形となったが、この土岐の判断は正しかったと思う。俺が自分でゴミ歌と思っている歌も、人が読んだらいいと思える作品も何首かあるんだろうなあ。それが短歌の面白さなんだろうなあ。選という行為は、いろいろ不満はあっても、歌にとって大事なことだと思う。よく有名歌人の歌でも、自選歌よりも、他選歌のほうがいいと思うときがある。歌は他選のほうがいいのかもしれない。
ニックネーム 茶トラのみんく at 21:03| Comment(15) | TrackBack(2) | 日記
この記事へのコメント
喧嘩して・・
はいい歌ですね。
 背景も難しい短歌のルールもわからないけど
なかなかに沁みるものがありました。
 その後は孤独になっていくんでしょうか・・
Posted by ka(r at 2005年03月10日 05:03
短歌の世界において、短歌を自選することほど
あぶないものはない。そりゃあある程度短歌を
やっていれば水準かそうでないかはわかるので
すが、自分でダメだと思っていた歌がとんでも
ない名歌だったりその逆もある。まあその逆が
圧倒的に多いのだが。そこで結社の選というも
のが重要になってくる。結社というのは選歌と
歌会だとよく言われるが、最近しみじみと選歌
の重要性を感じる今日この頃。
Posted by 松木 秀 at 2005年03月10日 15:32
ka様、ありがとうございます。とても嬉しいです。
松木様、まさにおっしゃるとおりだと僕も最近つくづく思っています。
Posted by ひでお at 2005年03月10日 23:21
無精卵の・・・
この歌は確かにいいと思った。選者の目が確かだ。
この歌と谷口さんが選んでいた・・・猫の歌かな、これもいいと思った。歌は上達してくると殆どの歌がいい歌となる。今は数ある中で一つあるか無きかのいい歌だから成長過程といえる。成長されんことを。
Posted by 春江 at 2005年03月11日 11:40
春江様、短歌は難しいと最近つくづく思い始めております。精進します。
Posted by ひでお at 2005年03月11日 23:59
 無精卵の女男(めお)住む町に囲はれてしづかにしづかに滅んでゆきたい 黒田英雄

結句がとくにこころに沁みます。もっともとくに<ゆきたい>の口語に。

黒田さん、わたし、題詠マラソン2005を走っていて、絶望です。とんでもない腐れ、ばかりがをります。こいつら、いったいほかになんかせーよ!と。
空しさのみのこのまらそん、なまじっかかじるやつらと、どーせいッちゅーねん?!と。

こいつらと、いっしょに、というのん、たえられません。マラソン、途中棄権、しようか、とおもってをります。腐れ外道と、これ以上、走る価値あるでしょうか?


Posted by 矢嶋博士 at 2005年03月12日 21:38
いま、2005をお気に入りから削除しました。
ばはは〜い、マラソン、死ました。
自分で歌いますわ。短歌人だけに、します。
Posted by 矢嶋博士 at 2005年03月12日 21:50
 矢嶋さん、棄権されたのは残念なことだと思います。これは、お祭りだと思います。ある程度の量は絶対必要だと思いますので、そんなに短気をおこされなくてもよかったのではないかなどと愚考します。締め切りは10月ですし、まだ走り出してない人たちがたくさんいるて、これからいい歌も出てくるでしょうに。
 「無精卵」の歌に関して、ほめてくださるかたもたくさんいてうれしいのですが、あれはもともと作ったはいいが捨てようかと思っていた歌なので、複雑な思いがしますが、今は現金なもので、大事にしようと思っています。
Posted by ひでお at 2005年03月12日 23:45
矢嶋さん、棄権なんて卑怯ですよ。まだまらそんが初めての人たちばかりじゃありませんか?

初めてだからワクワクの人たちが先行して走っているのです。それらを見ただけで止あめた!なんて男の行為ではありません。

それに、今年の御題は大人しい題が多いので、手垂れの人たちもどうしても大人しく踏み出さざるを得ないのです。

棄権宣言しちゃつたのですか?取り消して、563人の中で矢嶋さんの歌は最高と、いわしむるものを見せなきゃいけません。
Posted by 女鳥 at 2005年03月13日 23:11
黒田さんはじめまして。「塔」の白玉だんごです。
ここに論陣を張るには未熟ものゆえROMに徹しておりますが
いつも興味深く拝読させていただいております。

矢嶋さんのマラソン復帰を待望するひとりとして
僭越ながらその件について一本書き、
トラックバックさせていただきました。
黒田さんの主張に対してのコメントでなくて恐縮ですが
よろしくお願いいたします。
Posted by 白玉だんご at 2005年03月16日 18:17
 白玉だんご様、貴ブログを拝読させていただきました。まったく同感です。これはあくまでマラソンですから、ある意味で自分との勝負。完走することが大事だと思います。また、以前にも書きましたが、お祭には多くの参加が必要だと思います。たとえばこれがレベルの低い結社誌がいやで結社をやめるというのならわかりますが、題詠マラソンはマラソンですものね。多くの人がチャレンジしていいと思います。人は人、棄権というのは残念な決断だと思います。
Posted by ひでお at 2005年03月16日 20:20
コメントに一通り目を通しましたが、結局は
一人芝居がしたいだけじゃないのか。
まったく視野の狭い人はこれだから嫌ですね。
他人を貶すだけ貶して、勝手に絶望している。
井の中の蛙、したけりゃどうぞ。
あ、もうしてるか。
Posted by マラソン見学者 at 2005年03月18日 21:05
ついでに。
そんな奴にはもう戻って来なくていいから。
短歌人とやらいう狭い世界で思う存分詠ってくれたまえ。
Posted by マラソン見学者 at 2005年03月18日 21:07
まってました、名無しの

マラソン見学者

くんー。

わたくし、マラソンに、

ただいま、復帰しました。
しかし、きみのカンジ、どこかで、見たようなデジャヴー。ありふれた、匿名の文体、好きやわ~。
Posted by 矢嶋博士 at 2005年03月18日 21:51
どろどろのこの世の底ひに ボロボロの鞄かかへて 靴といへば踵45度 磨り減るはまともに歩けぬ 身の危険感じるままよ なぜならばあたらしき靴 購ふ金のなければ

  嫁はんのをんなもののでもわが足にあふものを履きわがけふをあるき来ぬ

ご静聴ありがとうございました、ななしのごんべのまらそんけんがくしやくーん。ちょと、じあまりやけど、そのへんのあじはい、は、チミ、わかるかな?。

黒田さん、この45度の靴はあなたの、絵の、背景のエキストラのためにいまだにわが、役のために捨てずに保管してをるものでございます。あの変態のカメラ好きの刑事役のためでございますよ。
Posted by 矢嶋博士 at 2005年03月18日 22:09
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