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<title>黒田英雄の安輝素日記</title>
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<description>　ようこそおいでくださいました。　ここは、黒田英雄のｂｌｏｇです。現在、「塔」「短歌人」「日月」に所属して毎月短歌を書きなぐっている真っ最中です。趣味は旧作邦画ビデオの収集と競馬（現在休止中）。思ったことを日記に綴ってみたいと思います。僕の生活範囲のこと、ないしは歌壇のことなど、思いつくままに。</description>
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<title>№1502 猫のなまえ</title>
<description>　ランク１２２位。　黒白のみみ太（猫）がうちに来て、今年で五年とちょっととなる。思い起こせば６年前の１１月の寒い夜、マンションの一階付近で、ものすごい声で鳴いていた。僕は下に降りて、「ちっちっち」と猫必殺の舌打ちをしたのだが、相変わらず鳴き続けるだけで猫は出て来ない。続いて、妻が下に降りて行き、俺が部屋で待っていたら、片手で持てるぐらいの小さい小さい黒白の子猫を胸に抱いて戻って来た。こいつは、オス猫だけに、女になつくのだと直感したものだ。もちろん即座に飼うことに決めた。甘えん..</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>茶トラのみんく</dc:creator>
<dc:date>2010-02-09T00:31:40+09:00</dc:date>
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　ランク１２２位。<br /><br />　黒白のみみ太（猫）がうちに来て、今年で五年とちょっととなる。思い起こせば６年前の１１月の寒い夜、マンションの一階付近で、ものすごい声で鳴いていた。僕は下に降りて、「ちっちっち」と猫必殺の舌打ちをしたのだが、相変わらず鳴き続けるだけで猫は出て来ない。続いて、妻が下に降りて行き、俺が部屋で待っていたら、片手で持てるぐらいの小さい小さい黒白の子猫を胸に抱いて戻って来た。こいつは、オス猫だけに、女になつくのだと直感したものだ。もちろん即座に飼うことに決めた。甘えん坊のこのオス猫は、最初は、小さくて、足腰もふらふらしていて、大きくなるのだろうかと不安だったが、５年目を迎えた現在、新宿区大猫コンテストに出してもよさそうなほどの巨大猫である。しばしば、僕は彼を歌のネタにしている。名前を「みみ太」とつけたのは、この猫は前から見たらちっちゃいけど、後ろから見るとでかい。つまり、新宿生まれのせいか、ホスト系の顔なのだ。顔が異様に小さい。それゆえ、耳がでかく見える。だから僕は即座に「みみ太」と命名した。最初俺は、猫を飼うならメスに限ると思っていたのに、今や可愛くて可愛くてしょうがない。フトンにもぐりこむときだけは、妻のほうに行くが、それ以外、ヒザに乗ったり腹に乗ったりは常に俺の上だ。この猫は、清少納言が愛で、「枕草子」で「猫は黒白がいちばん」と書いた猫の直系の子孫である。しかも新宿生まれだけに小顔のホスト系である。何たって黒服なんだから。しかし、拾ったときはだいたい三ヶ月くらい、そんなんで寒い１１月に捨てられたなんてかわいそうな子だ。<br />　猫の思い出はいろいろある。以前中野坂上のアパートに住んでいたとき、同じ黒白のメスの野良猫にエサをやっていた。雨の日も雪も日も、思えば６年間くらい僕はエサをやり続けた。彼女はいつもドアの前でじっと待っていたものだ。朝はいつも決まった時間に催促の鳴き声を出していた。ちっちゃいメス猫だったので、僕は「みくろ」と名付けて可愛がった。なぜ自宅で飼えなかったかと言えば、当時、唯我独尊の女王様、茶トラのみんくを飼っていたからだ。みんくが死んだ（泣）あと、新宿に引っ越すとき、この猫も連れて行こうと僕は思っていた。ところが不思議なことに、引越し当日、いつも近寄って来る猫が逃げるのである。猫は環境が変わるのが大嫌いな動物であり、それを直感で察したのであろう。僕は今でも、みくろがその後ちゃんと生きて行けたかどうか気になって仕方がない。前のアパートに行って探してみたが、もうみくろはどこにもいなかった。可愛い猫だった。<br />　もう一匹、メスの黒猫がいた。これは、実にまた巨大な猫だった。ゆえに、名を「まくろ」とつけた。この猫はいつも、不意打ちに体をどかんとぶつけ、「元気？」と声をかけてくれた。彼女にもごはんをあげていたが、律儀な猫で、ときどきネズミの死体をお礼にプレゼントしてくれたものだ。彼女はノラだったが、途中から首輪がついた。多分、性格がよかったので誰かが飼ってくれたのだろう。それでもよく、塀の上から僕に「にゃあ」と挨拶をしてくれたものだ。妻はまずもって僕を褒めることなどない女だが、猫のネーミングに関しては天才だと賞賛してくれる。いずれにせよ、みみ太が僕の最後の飼猫だと思う。猫との別れはとても辛くて耐えられないからだ。<br />　僕には、子供のころから人間の思い出はあまりない。僕の幼少時代の思い出の大半は、三毛猫の「みけ」とテレビジョンである。不幸な男だと同情する人もいるが余計なお世話だ。テレビジョンと猫こそが、今の私を形成した重要な要素なのだ。<br /><br />　　　　　　今日の３首<br /><br />長渕が女ことばで詞を書いていた頃たくさん友達がいた　谷村はるか<br /><br />ベランダからとなり町の木きょうは近い縦に体液流れる朝を　同<br /><br />すべての夏は最後の夏だ潮水に濡れた三十歳（さんじゅう）の髪を洗うよ　同<br /><a name="more"></a>

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<title>№1501 うた詠まぬ勇気</title>
<description>　ランク１０４位。ドラマでは美少女の部活の定番のラクロスのルール知る友おらず　砺波　湊　恥ずかしながら、と言いたいがまったく恥ずかしくないのは、僕はそもそも「ラクロス」って何だ？？？？？？ としか最初思わなかったからである。「部活」だけでは、文芸部か運動部かだってわからんではないか。珍しいパズルの名前かとさえ思ってしまったぞ。つまり僕は、この地球上にラクロスなる単語が存在すること、ラクロスなるスポーツ（人に聞いてやっとスポーツだと知った）が存在することを最初っから根本的に知ら..</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>茶トラのみんく</dc:creator>
<dc:date>2010-02-08T01:07:50+09:00</dc:date>
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　ランク１０４位。<br /><br />ドラマでは美少女の部活の定番のラクロスのルール知る友おらず　砺波　湊<br /><br />　恥ずかしながら、と言いたいがまったく恥ずかしくないのは、僕はそもそも「ラクロス」って何だ？？？？？？ としか最初思わなかったからである。「部活」だけでは、文芸部か運動部かだってわからんではないか。珍しいパズルの名前かとさえ思ってしまったぞ。つまり僕は、この地球上にラクロスなる単語が存在すること、ラクロスなるスポーツ（人に聞いてやっとスポーツだと知った）が存在することを最初っから根本的に知らない状態でこの歌に臨んだのである。そして僕の灰色の脳細胞はあっという間に事情を察知した。ラクロスというスポーツ（事情は察知したがルールはいまだにわからん）には、「お嬢様学校」「可愛い制服」「テニスに比べて団体行動率が高い」「むさくるしいジャージではなくなぜかちゃんと征服に着替えて帰る美少女たち」というイメージがはりついていることを。ちなみに、ネットで検索して出たラクロスの選手は太股がぱっつぱつの短パンはいたごつい姉ちゃんだったが。テニス、スキー、ゴルフなどは嬢ちゃん坊ちゃんスポーツと思われているがとんでもない話で、そのどれもがハードで筋肉隆々、とても可愛い制服なんぞあっという間に合わなくなってしまう。その中にあって、ルールもろくに知られていないラクロスはいまだ、「いやーん制服のスカートがめくれちゃったあ～ん」なんぞとほぞく美少女たちがそうこきながら死闘を繰り広げ、なおかつ帰り道では美少女のまま、というイメージでとらえられ、無意味にドラマでフィーチュアされている。そんなスノビッシュなイメージ先行のバカどもを笑い飛ばした痛快な秀歌である。この作者らしい。<br /><br />わがひとよ年ごとに世間狭くなりうた詠まぬ勇気いまだに持てず　阿部美佳<br /><br />　僕は、短歌は玩具だと思っている。この韻律の中で、いくらでも遊べるのだ。金もいらない。紙と鉛筆さえあればいい。僕は希望をなくした人間だ。そんなとき短歌と出会えて、本当にラッキーだったと思っている。この歌の下句はヘビーである。４句めの、うた詠まぬ勇気とはどういう勇気なんだろうか。ずばり僕は、死ぬ勇気だと思う。歌を詠んでいるからかろうじて生きている、いや、歌への未練が、死ぬ勇気をくじくのである。僕自身、第一歌集、いや、啄木に倣って、第二歌集を出せたら、とっとと死んでいいと思っている。あまりこの世に未練はない。作者は、社会復帰不可能な病者である。それだけに、僕なんかよりも、この下句を詠わざるを得なかった気持ちにこの上ない痛みを感じる。「どんな生でも生きる価値はある」などとほざく連中は、多分短歌を知らないのだろう。<br /><br />南天の実がひきしまる心地せりブレーキきかぬ自転車の上　有朋さやか<br /><br />　南天とくれば、有名な歌がある。「一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております　山崎方代」。これは、僕がむちゃくちゃ好きな相聞歌である。南天の実は赤い。その強烈な赤の色の中に、方代は純粋な恋情を詠ったのだろう。過去の記憶の中にあるはかない断片である。有朋さやかの歌は、彼女特有の独特な肉体感覚の中に、南天の実を昇華させている。ブレーキがきかない自転車の上に乗って、南天の実がひきしまる心地がすると詠っているが、実になまめかしい。二句目と下句が、まさに、サドルを思いきり足ではさんで走ろうとするがブレーキのきかない坂道を行くときのあの官能を想起させて、日常の風景でありながらどこかエロチックな感じがする。彼女こそ、歌壇における土屋名美であろう。<br /><br />　ところで、僕のコメント欄に、有朋さやか氏を男だと書き込んでくる人がいるのだが、歌を詠む感性がなってない。僕も性愛歌が好きだが、僕の作る歌と彼女の歌とは全く違う。僕も有朋氏も、共に自己愛が強いと思うのだが、彼女の自己愛は完全に女性特有の物である。全然違うのである。歌を読む力をもう少々養っていただきたいものである。それにしてもこの作者は面白い。<a name="more"></a>

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<title>№1500 「短歌人」２月号会員欄秀歌選その５７</title>
<description>　ランク昨日９０位、今日９１位。　　　　　　「短歌人」２月号会員欄秀歌選その５７わがひとよ年ごとに世間狭くなりうた詠まぬ勇気いまだに持てず　阿部美佳浴室の排水孔よりぬつと出づにんげんの澱（おり）に肥えた百足が　山田政代南天の実がひきしまる心地せりブレーキきかぬ自転車の上　有朋さやかドラマでは美少女の部活の定番のラクロスのルール知る友おらず　砺波　湊マフラーを一回多く巻きつけて焼きいも屋さんの声する方へ　上原康子あたたかい風呂に入ればわたくしの存在鳥肌に包まれている　椎名夕声弁..</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>茶トラのみんく</dc:creator>
<dc:date>2010-02-06T23:47:09+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　ランク昨日９０位、今日９１位。<br /><br />　　　　　　「短歌人」２月号会員欄秀歌選その５７<br /><br />わがひとよ年ごとに世間狭くなりうた詠まぬ勇気いまだに持てず　阿部美佳<br /><br />浴室の排水孔よりぬつと出づにんげんの澱（おり）に肥えた百足が　山田政代<br /><br />南天の実がひきしまる心地せりブレーキきかぬ自転車の上　有朋さやか<br /><br />ドラマでは美少女の部活の定番のラクロスのルール知る友おらず　砺波　湊<br /><br />マフラーを一回多く巻きつけて焼きいも屋さんの声する方へ　上原康子<br /><br />あたたかい風呂に入ればわたくしの存在鳥肌に包まれている　椎名夕声<br /><br />弁当のなかにどしどし大雪の降り積もるかなどしどしと食ふ　田宮ちづ子<br /><br />点滴を引きずる同士がトイレにて道ゆずりあう晩秋の夜　米山和明<br /><br />地板とふ職場の中に挺身隊の澄みし瞳のをみなを見たり　原島三郎<br /><br />妻を恋ふ鹿は高音でなくと言ふ我も聞きたし共に泣きたし　横倉勝一<br /><br />祭壇の前に置かれし叔父の棺（かん）都会の叔母は口づけをせり　瀬川千代子<br /><br />「皇室の名宝展」にゆく道に路上生活者の長き行列　山田政代<br /><br />永遠の海兵二等兵湾（うみ）荒れてドブ板酒場反吐はいている　松岡壱八<br /><br />昨晩はカーテン越しにくぐもつた嗚咽の聞こゆ検査入院　牛尾誠三<br /><br />ショートホープを短い希望と言い換えて吸い続けてもよいと思った　原　芳市<br /><br />訂正を求められたり勝ち誇る受話器の向かうの正しき読者　薄葉　茂<br /><br />歓喜とふ言葉なくして悲哀なし初ふゆの日にもみぢ目に染む　薄葉　茂<br /><br />思いきりきみに怒りをぶつけたし傘で地面を突きつつ向かう　中井守恵<br /><br />月と雲あはくはかない交合（かうがふ）を明けの電車の窓にみてゐる　三島麻亜子<br /><br />あやとり橋しやくなげ橋とふ親子吊橋おこりのごとき顫へ襲ひく　平松典子<br /><br />独り言言う癖のある私に言うたび反応する夫疎まし　犬伏峰子<br /><br />納豆のこねたる糸が箸はなれふわりふわりと鼻に着地す　渋谷和夫<br /><br />玄界灘を妹とふたり越えしとき十二の父に希望はありしか　成田さだこ<br /><br />忘れたきことひとつありありたけのフォークならべて裏までみがく　野中祥子<br /><br />帰ろうとするたび蝋燭消す風としばし語らう父母の墓前に　永田きよ子<br /><br />訊くことは誰も似ている　父の死を語る言葉がうまくなった　竹田正史<br /><br />おかあちやんうどん屋さんになつたらええでわが七歳が常いひたりしころ　矢嶋博士<br /><a name="more"></a>

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<title>№1499 大島渚の諦観</title>
<description>　ランク１２１位。　大島渚監督の劇場版デビュー作、「愛と希望の街」（昭和３４年）を久々に見返す。城戸四郎松竹所長によれば、最初この脚本は、一羽の鳩によって、貧困の少年と、ブルジョアの少女との育まれる友情を描かれたものであったらしいが、できたのは、その鳩が、少年と少女との残酷な別れを描くというものに転化されていたらしい（笑）。監督デビューするために、大島は、所長に嘘八百の脚本を見せたのであろう。６０分足らずの短編である。　ストーリーを簡単に言えばこうだ。貧困の少年が、生活のため..</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>茶トラのみんく</dc:creator>
<dc:date>2010-02-04T23:58:49+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　ランク１２１位。<br /><br />　大島渚監督の劇場版デビュー作、「愛と希望の街」（昭和３４年）を久々に見返す。城戸四郎松竹所長によれば、最初この脚本は、一羽の鳩によって、貧困の少年と、ブルジョアの少女との育まれる友情を描かれたものであったらしいが、できたのは、その鳩が、少年と少女との残酷な別れを描くというものに転化されていたらしい（笑）。監督デビューするために、大島は、所長に嘘八百の脚本を見せたのであろう。６０分足らずの短編である。<br />　ストーリーを簡単に言えばこうだ。貧困の少年が、生活のために鳩を売っていた。ブルジョアの少女が、それに同情して鳩を買う。彼女は、某大手電気会社の重役の娘だ。彼女は父親に頼み込んで、少年に就職試験を受けさせる。しかし結果は不合格。少年が、客に鳩を売りつける。しかしその鳩は伝書鳩なのでまた自分のところへ戻って来る。要するに、詐欺行為がわかったからだ。それを少年から告げられた少女は激怒する。少年の貧困を思うより、少女は、自らの友情が裏切られたという怒りからだ。少年が鳩のカゴを、涙を流してぶち壊すシーンが痛々しい。ラスト、再び少女は少年から鳩を買う。そして、狩猟が趣味の兄に頼んで、空に舞い上がった鳩を射殺してくれと頼む。鳩は空中で見事に羽根を散らして死んで行く。このラストシーンは残酷だ。大島は、甘ったるい感傷と叙情を完全に排して、どうしようもない人間の階級の壁というものをこの映画の中に叩き込んだ。今見ても、心が痛む作品である。<br />　大島は翌年、アナーキーなまでに絶望を謳った「太陽の墓場」、現実に抵抗する若者の無残な死を描いた「青春残酷物語」とを立て続けに発表する。特に後者のヒロイン、桑野みゆきの姉に久我美子をキャスティングしたことこそが残酷物語なのである。これは間違いなく、昭和２９年監督木下恵介監督「女の園」からサジェスチョンされたキャスティングだろう。女子大改革のために立ち上がった久我美子の６年後の無残な姿が、「青春残酷物語」にはこめられているのだ。学生運動に挫折し、見も知らぬ男とホテルにしけこむという久我演ずる姉の無残は、見ていて胸が痛くなる。歌人岸上大作も、当時すでに学生運動の敗北を思っていたらしい。大島は、左翼の理想を描くより、左翼の敗北を描いたほうがリアリティがあると思ったのであろう。だから、今見ても彼の映画は古くないのだ。そして、この階級的断絶という問題は、作家大島渚自身の問題だったかも知れない。何故なら彼も、上流階級出身であり、かつ左翼思想にかぶれるという、典型的な左巻きエリートだったからだ。つまり、彼は、貧困を描きながらも、自分には貧困が描けないという諦観からフィルムを回していたのではないか。実は、この諦観という感覚は大事なことだ。自分にはわからない、しかし対象に向かって熱く燃えるというのが、創作者の原点だと僕は思うからだ。だから、どうしても観念的になってしまうが、しかし、この処女作ほどの強烈なインパクトを持った作品は、他の左翼系監督には作れない世界だと僕は思うのだ。大島は、諦観に満ちた映像作家だ。だから、彼の映画は今見ても新しいテーマを抱えている。これは、戦後の左翼ブームに乗っただけのエセ左巻き監督には持てない視点である。大島渚の世界は古くて新しい。彼が今なお健常であれば、友愛という恥ずかしい言葉をさらして政治を行っている鳩山由紀夫のことを、ある種の複雑な思いをもってボロクソに言うであろう。<br /><br />　ところでみなさん、動物映画のラストには近年、「この映画では現実の動物をまったく傷つけてはいません」というキャプションが最後に入りますよね？<br /><br />　「子猫物語」「キタキツネ物語」がどうのこうのと言われたことがあるが、あんなもん幼稚園のお遊戯である。<br />左翼系監督の動物虐待ぶりと来たら、完全にキチ×イである。<br />現代っ子（死語）には信じられないかも知れないが、この映画において大島渚は実際に何羽も何羽も、鳩を撃ち殺させている。当時、あの映像を満たすトリック撮影などありえないからだ。しかも一発オッケーなんて映画にはないから、いったい何羽、何十羽の鳩が、虐殺されるために用意されたことであろうか。<br />　左翼系監督の蛮行はそれだけに止まらない。あのヒューマニズム監督（笑）熊井啓の「地の群れ」のファーストクレジットのバックに流れるのは、飢えたネズミの群れが生きたニワトリを食い殺すという、「世界全国映像大会」があったら文句なく金賞が取れるしろものである。浦山桐夫の「非行少女」における火事のシーンでは、ニワトリ小屋に本当に火を放っている。クライマックスは、炎上したニワトリが悲痛な悲鳴を上げながら逃げまどい、力つきて倒れるカットである。また、山本薩夫の「忍びの者」では、織田信長に抱かれた猫が矢に射抜かれるというシーンがある。いったい何匹の猫ちゃんが殺されたことであろうか。同じく矢といえば、今井正の「武士道残酷物語」では、キ×ガイ藩主に射抜かれるウサギのシーンがあるが、これも何匹殺したことか。普通の人にはわからないかも知れないが、映画のワンカットというのは、それはもうすさまじい執念で撮るものである。たとえば、男が煙草を吸い、煙を吐くというだけのシーンでも、何回何十回とテイクを繰り返す。それから察するに、これらの動物の死が一発オーケーであったはずがない。「動物を映画のために殺すなんて！」なんぞと思うようなかたは、あまり映画を観るのに向いていないと思う。それも、ヒューマニズムと人間の解放を謳う左翼系監督に限ってその残酷度がひどいのである。彼らの言い分はこうであろう。<br />「映画のためだ、死んでくれ」。<br /><br />　　　　　　今日の一首<br /><br />監督は生命（いのち）を賭けて映画撮る誰の生命（いのち）を？役者の生命を！　黒田英雄<br /><a name="more"></a>

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<title>№1498 一月月間ランキング～後輩の荒廃～</title>
<description>　ランク125位。　ブログ開設１８３１日目。総アクセス数、１４７３０８１。総訪問者数、２３３８１７人。　　　　　　一月月間ランキングベスト１０　１位　２２日「鳩山由紀夫とルビ」１５９４　２位　１７日「歌人の認知度」１５４２　３位　２９日「選歌欄と朝青龍」１５００　４位　　８日「たまねぎの皮」１４９７　５位　　５日「史上最低の愚策」１４１４　６位　１０日「歌は息を吹き返す」１４１２　７位　３０日「ヒカルかレインか～京都牝馬ステークスGⅢ～」１３８１　８位　２７日「刹那の奇跡」１..</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>茶トラのみんく</dc:creator>
<dc:date>2010-02-04T01:22:25+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　ランク125位。<br /><br />　ブログ開設１８３１日目。総アクセス数、１４７３０８１。総訪問者数、２３３８１７人。<br /><br />　　　　　　一月月間ランキングベスト１０<br /><br />　１位　２２日「鳩山由紀夫とルビ」１５９４<br />　２位　１７日「歌人の認知度」１５４２<br />　３位　２９日「選歌欄と朝青龍」１５００<br />　４位　　８日「たまねぎの皮」１４９７<br />　５位　　５日「史上最低の愚策」１４１４<br />　６位　１０日「歌は息を吹き返す」１４１２<br />　７位　３０日「ヒカルかレインか～京都牝馬ステークスGⅢ～」１３８１<br />　８位　２７日「刹那の奇跡」１３６７<br />　９位　１８日「『塔』一月号『陽の当たらない名歌選』１」１３６０<br />１０位　３１日「幻のカード」１３５１<br /><br />　一月のアクセス数は、３３５８１、読者数は、３１８１人でした。<br /><br />　今日テレビで、バカなストーカー男のことが報道されていて、そのあまりのバカさにげらげら笑いながら観ていた。このバカは、美しい妻がありながら、愛人を囲い、その愛人が彼を捨てて結婚しようとしたことに激怒し、相手の男にいやがらせのメールを実に１００件に渡って送りつけ、なおかつそこに彼女のエロ写真を添付し、「こんな女とお前は結婚するのか」といやがらせの限りを尽くしたのである。なんという大馬鹿であろうと爆笑しながら見ていたら、なんのつもりかその馬鹿の出身校がでかでかとテレビに紹介され、目が点になった。<br />　…………………………。<br />　おおおおおおおおおおおお、おれの出身校じゃねーか、バカヤロー！！！！！！！<br />　普段は自分の母校がどうのこうのなんてどうでもいいんだが、やはり、ここまでバカが後輩にいるかと思うとさすがに気が滅入った。この大学は以前にも香ばしい事件を起こしており、それは、男女一組になって、ニセ痴漢の美人局を演じ、電車の乗客から金をかたり取ろうとしたというものである。犯罪にもいろいろあるが、この二件は、いっそ連続殺人のほうがまだマシだと思えるほどの人間のクズであり、俺の心に絶えてひさしい「ОBの恥」という言葉が浮かんでしまった。この不況の中、この大学の学生の就職活動は厳しいものとなるであろう。僕にはもとより愛校心などなきに等しい。ただ、こんなアホボケタコカスにも劣る動物くんが自分と一緒の大学だと思ったら、情けなく、また、自分自身までもが否定されたような気になるのがつらい。俺が俺であるからもとより在校当時からそんな頭のいい学生はいなかったが、唯一のとりえは、人柄だけはよかったということだ。こんなハレンチな事件を起こすようなのは、とりあえず表に出るようなことはなかった。いかなる犯罪の中でも、おっとりしたうちの校風からすれば、ストーカーや美人局なんてもっとも似合わないと思っていただけに、ショックを受けている。レベルが落ちてるんだろうなあ。みっともねえ。<br />　僕は、立派な人間の生き方というのは、血縁を除いて、他人にできるだけ迷惑をかけず、目立たずに生き、ひっそりと死ぬことだと最近思うようになった。人に迷惑をかけないで生きるというのは、現代社会では、大変崇高で難しい生き方である。この二人のバカのことを考えて、つくづくそう思うのだ。犯罪にもいろいろあるが、この二人のそれは、下品であるという点で許しがたい。<br /><br />　　　　　　今日の一首<br /><br />わが盆地うすらの霧につつまれてＳLの汽笛かすかにきこゆ　河野てる<br /><a name="more"></a>

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<title>№1497 忍辱</title>
<description>　ランク106位。　　　　　　忍辱　　　黒田英雄十月の路上を渡る鳥ならでただ自販機のぴつと啼けり口元に二本指立て煙草をと乞ふる若者われの目を見ず閉ぢこめられし颱風の夜こそ愉しけれふたりぼつちの閑けさ満ちて寛いでゐる猫見れば飽きなくにみみ太は眠子眠孤ねむるが仕事マンションの廊下を渡り帰り来るみみ太の世界に縁側はなく君のゆく道は希望へと続く嘘フォークソングも流行歌なり散り散りて終には水漬く漁船がもとしづけき港町の桜は女学生涼しき襟元直ぐな喉影だに落ちぬその歩みかな山科の雨横ざまに..</description>
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<dc:creator>茶トラのみんく</dc:creator>
<dc:date>2010-02-03T00:12:05+09:00</dc:date>
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　ランク106位。<br /><br />　　　　　　忍辱　　　黒田英雄<br /><br />十月の路上を渡る鳥ならでただ自販機のぴつと啼けり<br /><br />口元に二本指立て煙草をと乞ふる若者われの目を見ず<br /><br />閉ぢこめられし颱風の夜こそ愉しけれふたりぼつちの閑けさ満ちて<br /><br />寛いでゐる猫見れば飽きなくにみみ太は眠子眠孤ねむるが仕事<br /><br />マンションの廊下を渡り帰り来るみみ太の世界に縁側はなく<br /><br />君のゆく道は希望へと続く嘘フォークソングも流行歌なり<br /><br />散り散りて終には水漬く漁船がもとしづけき港町の桜は<br /><br />女学生涼しき襟元直ぐな喉影だに落ちぬその歩みかな<br /><br />山科の雨横ざまに腰濡らし於りくの嗚咽と揺るる篁<br /><br />せめて優し死地なからむか凍鶴のさま首垂れて眠る男に<br /><br />白人は皆あめりか人と牛乳をコップで飲み観た『名犬ラッシー』<br /><br />ラッシーの賢き瞳愛しめど隣家のコリーはバカ犬だった<br /><br />氷雨の夜泣いてゐるのは猫なのかいや赤ん坊なり窓を閉めやう<br /><br />微笑もなくただ黙黙と俯きて牛丼食べるをみな増えしも<br /><br />コンビニの募集でさへも二次面接あるらし笑へよ忍辱ニツポン<br /><br />いづれわれ自裁するゆゑその手段選んでおかねば発泡酒も酒<br /><br />九ちゃんの「上を向いて歩こう」は旧仮名遣ひの唄法なりしや<br /><a name="more"></a>

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<title>№1496 幻の名カード</title>
<description>　ランク１０７位。　京都はレインだったが、ヒカルアマランサスが勝った。危惧していた通り、レインダンスにとっては余りにもスローペースにすぎた。このレースは惜敗続き。来年またチャレンジしたいと思う。それにしても、ヒカルアマランサスは強かった。やや重の馬場、スローペースの中で、最後方から１５頭ごぼう抜き。彼女には今後とも注目すべきだ。　ウオッカが、ドバイでラストランを迎えるという。正直、僕にとって日本馬の海外遠征なんぞどうでもいい。競馬界は、本来のお客である国内のファンのことを考え..</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>茶トラのみんく</dc:creator>
<dc:date>2010-02-01T00:36:47+09:00</dc:date>
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　ランク１０７位。<br /><br />　京都はレインだったが、ヒカルアマランサスが勝った。危惧していた通り、レインダンスにとっては余りにもスローペースにすぎた。このレースは惜敗続き。来年またチャレンジしたいと思う。それにしても、ヒカルアマランサスは強かった。やや重の馬場、スローペースの中で、最後方から１５頭ごぼう抜き。彼女には今後とも注目すべきだ。<br />　ウオッカが、ドバイでラストランを迎えるという。正直、僕にとって日本馬の海外遠征なんぞどうでもいい。競馬界は、本来のお客である国内のファンのことを考えているんだろうか。僕はいまだに、最強牝馬はダイワスカーレットだと思っている。秋天の激走、そして有馬を勝って、残酷にも、フェブラリーステークスを使おうという予定だったらしい。むごいローテーションだ。彼女は故障してターフから去ってしまった。競馬界が本当にファンのことを考えているなら、最強牝馬のレース、ウオッカＶＳブエナビスタVSダイワスカーレットのカードを組むべきだったろう。安田記念あたりがいちばんよかった。こんな夢のカードが組めないJRAは、ファンを無視しているとしか思えない。強力馬の海外遠征と聞くたびに、僕はしらけている。かつて、子馬が一流馬になるまでにどれだけの子馬が抹殺されるかを描いた「優駿の門」というドキュメンタリー映画があったが、その制作者がJRAの幹部にインタビューしたところ、その男は、「しかし日本の競馬が国際化されるためですから」と、「いったい何があかんのか」という不思議そうな顔で応対したそうである。僕は、一頭のダービー馬のために何百馬というコンビーフな馬が存在せざるを得んのは仕方ないとは思うが、「日本の競馬の国際化のため」というのは、いったいなんというたわごとだと唖然としてしまう。「日本競馬の国際化」って何なの！？いったいオレになんの得があんの！？　およそ、私立の新設大学というのは、判で押したように「国際なんとかかんとか大学」とネーミングされているものだが、これは、「偏差値低いですよ～」という記号のようなものである。前にも書いたが、凱旋門賞に勝ってはるばるおフランスからやって来たってジャパンカップでは通用せずに負けておるのである。海外で勝った、どんだけ偉い馬だろうがなんだろうが、俺たち競馬野郎どもには何の関係もない。俺たちが欲しいのは配当金であり、国内でのエキサイティングなレースを見ることである。ウオッカとブエナビスタの対決をセッティングするプロモーター的人物がJRAにいないというのは、小金を握り締めて馬券を買っている、俺たち人間のクズの最低の娯楽を奪う役人的行為である。<br />　嗚呼、俺は夢見る。ブエナビスタ、ウオッカ、ダイワスカーレットが揃い踏みする安田記念を。やろうと思えばできたはずなのに、この程度の競馬ジャンキー的な意見を入れる余地すら、JRAのお役人連中にはないのだ。もしもこのレースが実現していれば、俺はダイワスカーレットの単勝に１００万ぶちこんだだろう。ダイワスカーレットこそが最強の牝馬であり、それを実証する手段がもはやないことがめちゃくちゃに残念である。これはオーナーが悪い。めちゃくちゃなローテーションを組んだことによる人為的なトラブルであると、今でも僕は思っている。<br />　次の厳選レースは、去年万馬券を獲ったダイヤモンドステークスと、僕の大好きなＧⅠ、フェブラリーステークスである。冬場の大勝負だ。今日の負けにくじけることなく、頑張りたいと思う。<br /><a name="more"></a>

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<title>№1495 ヒカルかレインか～超難解京都牝馬ステークスＧⅢ～</title>
<description>　ランク１４２位。　昨年、ハナ差一着三着で負けたレース。今回はなんとしても仇を討ちたい。が、実に難解なレースだ。火曜日から、二頭の馬に頭を悩ませ、未だに軸馬が決まらない。ヒカルアマランサスとレインダンス、どっちかが来る。が、決め手がない。ヒカルは、三歳時の、ひ弱な体調をクリアして、成長している。前走の愛知杯は４着ながら０・１差。この馬の成長を物語るレースだったと思うし、上がりのタイムもトップである。ただ、有利だったインコースと流れが向いたんじゃないか、という、フロック的なとこ..</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>茶トラのみんく</dc:creator>
<dc:date>2010-01-31T01:20:29+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　ランク１４２位。<br /><br />　昨年、ハナ差一着三着で負けたレース。今回はなんとしても仇を討ちたい。が、実に難解なレースだ。火曜日から、二頭の馬に頭を悩ませ、未だに軸馬が決まらない。ヒカルアマランサスとレインダンス、どっちかが来る。が、決め手がない。ヒカルは、三歳時の、ひ弱な体調をクリアして、成長している。前走の愛知杯は４着ながら０・１差。この馬の成長を物語るレースだったと思うし、上がりのタイムもトップである。ただ、有利だったインコースと流れが向いたんじゃないか、という、フロック的なところも感じる。重賞実績のないところが、決め手に欠けるのだ。レインダンス、前走、京都金杯、０・１差の三着は、決してフロックではない。一瞬、私は冷や汗をかいたものだ。相当この馬も復調している。京都のマイルも合うだろう。ただ、明日は、流れが落ち着くスローペースと予想されるだけに、彼女の末脚が決まるかどうか、不安なのだ。要は、未だに軸が決まらん。よって、三連複勝負（危険だ）をするしか、現段階においての手段はない。それにしても、前日のオッズは不可解である。ヒカルアマランサスの単勝２６０円というのは、売れすぎだろう。レインダンスの１４６０円は逆に、人気がなさすぎると思う。馬連のオッズも変だ。みんな迷ってんだろうなあ。三連複でやるしか今のところ方法はない。<br />　前日予想結論。三連複本線、８－１２－１４。以下、５－８－１４、６－８－１４、８－９－１４、８－１３－１４、８－１４－１５。穴、１－８－１４、４－８－１４、８－１０－１４。そして、馬連８－１４も厚めで買う。これだけ買っても好配当、十分プラスである。ヒカルアマランサスは、馬体重の増減の激しい馬。明日、パドックで、大幅なマイナスだったら、レインダンスから馬連七点に絞って勝負する。明日は、ドキドキハラハラの難解レースである１分３０秒台の勝負だろうが、競馬に賭けているときのみ、俺は生きていると感じる。競馬をやらない人には、永遠にわからない喜びだろう。<br /><a name="more"></a>

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<title>№1494 選歌欄と朝青龍</title>
<description>　ランク116位。　「短歌人」2月号の「スピーチタイム」欄、伊波虎英氏の「『短歌人』二〇〇九年の十首」を興味深く読む。伊波氏は、編集委員各氏が選んだ「今年の十首」を取り上げて、結社外に向けて「短歌人」をアピールすべきだと書いている。要するに、彼なりの、選歌欄に対しての苛立ちを表明したものなのだろう。僕は別に、「今年の十首」なんて大袈裟なことをやる必要はないと思う。むしろ「短歌人」は、毎月の選歌欄評というコーナーをもっと充実させるべきだ。たとえば、「作品月評」欄は、平等性を期し..</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>茶トラのみんく</dc:creator>
<dc:date>2010-01-29T23:56:09+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　ランク116位。<br /><br />　「短歌人」2月号の「スピーチタイム」欄、伊波虎英氏の「『短歌人』二〇〇九年の十首」を興味深く読む。<br />伊波氏は、編集委員各氏が選んだ「今年の十首」を取り上げて、結社外に向けて「短歌人」をアピールすべきだと書いている。要するに、彼なりの、選歌欄に対しての苛立ちを表明したものなのだろう。僕は別に、「今年の十首」なんて大袈裟なことをやる必要はないと思う。むしろ「短歌人」は、毎月の選歌欄評というコーナーをもっと充実させるべきだ。たとえば、「作品月評」欄は、平等性を期して、一首も選ばれたことのない投稿者が生じないように気を使っているのであって、選ばれたほうがそれで嬉しいかどうか疑問である。また、会員の選ぶ「Selection」欄も、歌が羅列されているだけで批評がない。「塔」の選歌欄評が充実しているだけに、「短歌人」のそれに、僕は物足りなさを毎月感じている。いい歌がごろごろ転がっているのに、もっと選評欄を充実させて、面白い結社誌にすべきだ。「短歌人」は、選評欄が弱すぎる。会員にも、無理矢理にでも選評を任せるべきだ。誰もやらないと言うのなら俺がやってやってもいい。とにかく、「短歌人」は選歌欄評が弱い。<br /><br />　朝青龍の暴力事件が連日取りざたされている。僕は、朝青龍は引退すべきだと思っている。たとえば、巡業をさぼってモンゴルでサッカーに興じていたというニュースとその映像に僕は大笑いした。年六場所という過酷な重労働を力士に負わせ、しかも巡業というスケジュールもこなさなければならない相撲協会の商売主義に、僕は日頃から激怒していた。それに風穴を開けたのが、朝青龍のサッカー事件だった。そのほか、彼の巻き起こす騒動に対しても好意的に見ていたが、今回の事件はもう、絶対にダメである。力士に限らず、ボクサー、レスラー、柔道家、空手家など、格闘技のプロは、その身体自体が商売道具であり、要するに歩く凶器である。だから、絶対の絶対に、たとえ相手がヤクザでも、その殺人能力を一般人に対して使ってはならんのである。大木金太郎（古っ！）はかつて、「俺は5秒で人を殺せる」と豪語していたそうだ。それだけ、格闘家の肉体というのは特殊なものであり、その能力を一般人に対して使ったら、それはただの凶悪犯であって、格闘家失格である。酒が入っていたとしても、否、酒でその抑制が外れてしまったという時点で、朝青龍は格闘家としての資格を失った。相撲協会が朝青龍を土俵に乗せるべく、この事態をなんとか暴行罪にならぬようにおさめようとしているとしているその態度は失笑ものである。そしてそれは、国技をおとしめる、これまでさんざんかいてきた恥のうわぬりになるであろう。僕は、今回の暴力事件に、あの時津風部屋のリンチ殺人事件を思ってしまう。素人をぶん殴るという、格闘家としての礼儀にもとる朝青龍を今後、誰が応援するだろうか。強いだけでは尊敬されないのが、大相撲だけでなく、体を張って戦う者たちの宿命というものだろう。今回の事件は最低である。朝青龍は、モンゴルから出稼ぎに来て、もうさんざん稼いだであろう。大相撲界から、すみやかに引退していただきたい。それにしても、彼は、相撲界の中で幸せだったのだろうか。そう思うのは、小沢一郎と一緒で、彼の顔がどんどん悪相になっていっているからだ。男の顔というのは、その生き方が表情に出る。小沢一郎、朝青龍の悪相はその最たるものであろう。<br /><br />　　　　　　　今日の一首<br /><br />下張りといふもの無ければわが襖の芯なる薄きうすき空洞　佐々木通代<a name="more"></a>

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<title>№1493 刹那の奇跡</title>
<description>　ランク124位。　僕は、人一倍自己愛が強い。ゆえに、自分の作った歌がもう、好きで好きでたまらない。今日も、自分の歌のことを書くが、全員我慢して聞くように。　僕は以前、早朝の下北沢のプラットフォームで、顔色の悪い若者から、タバコを一本恵んでくれといわれたことがある。このときの、なんとも弛緩しきった空気の一瞬が忘れられなくて、「塔」にこういう歌を送った。朝まだき下北沢で煙草乞ふ男は指をピースと立てて　落ちた。　続いて、ちょっと変えて「短歌人」に送った。朝まだき下北沢で煙草乞ふ男..</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>茶トラのみんく</dc:creator>
<dc:date>2010-01-27T23:46:16+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　ランク124位。<br /><br />　僕は、人一倍自己愛が強い。ゆえに、自分の作った歌がもう、好きで好きでたまらない。今日も、自分の歌のことを書くが、全員我慢して聞くように。<br />　僕は以前、早朝の下北沢のプラットフォームで、顔色の悪い若者から、タバコを一本恵んでくれといわれたことがある。このときの、なんとも弛緩しきった空気の一瞬が忘れられなくて、「塔」にこういう歌を送った。<br /><br />朝まだき下北沢で煙草乞ふ男は指をピースと立てて<br /><br />　落ちた。<br />　続いて、ちょっと変えて「短歌人」に送った。<br /><br />朝まだき下北沢で煙草乞ふ男の指は裏ピースなり<br /><br />　落ちた。<br /><br />　う～～～～んと頭をひねった。僕はなんとしても、この刹那を歌い、それを活字にして人目にさらしたいと執着したのだ。それほどに、この一瞬が印象的だったのだ。よく考えてみたら、「下北沢」とか「朝まだき」なんてことは、自分がそこにいたには違いないが、読者にとっての必然性はなんもないのだ。歌を詠うときというのはどうしても、シチュエーションを重視したい気持ちが強くなって、「いつどこでだれがなにを」のごてごてした余計な物が入り込んでしまうのだ。そういうときはショット（視点）を変えればいいのだと僕は気づいた。要はシチュエーションではなく、その若者のことを描写すればよいのだ。そう思った途端に、ぱっと推敲できたね。この歌は、「塔」一月号で吉川宏志氏に採っていただけた。再々挑戦である。<br /><br />口元に二本指寄せ煙草をと乞ふる若者われの目を見ず<br /><br />　これが掲載歌だが、実はまだ決定稿があるのである。<br /><br />口元に二本指立て煙草をと乞ふる若者われの目を見ず　黒田英雄<br /><br />　指を寄せるのではなく、人差し指と中指を、彼は立てていたのだ。これが決定稿である。<br /><br />　歌が、どうもしっくりこないと思ったら、ショットを変えてみたらいい。自分が枝葉だと思っていたことのほうこそに、真実があるものだ。こういう推敲を楽しめるのも、二つの結社に入っているからだ。一結社にしか所属していなければ、推敲の余地のある歌すらも忘れ去るかもしれない。結社は二結社に入るべきだというのが、僕の考えである。<br />　僕の、「塔」「短歌人」に採られた歌の1割は、推敲のすえ敗者復活して日の目を見た歌である。いとおしい。とは言え、秀歌とは、こんなに考えて作る歌ではなく、ほんの一瞬でできてしまう歌のことを言うのだと思う。自歌の中から二首あげよう。一首目は、性愛歌と思われるかも知れないがとんでもない。純粋な恋愛歌である。休日にまどろんでいる昼にすぐに浮かび上がって、すぐに筆写した。二首目も、一瞬のことだった。疲れ切っていた夕べに突然沸いてきた言葉だ。もっともこの歌は、自分ではいいとは全然思わなかった。河野裕子氏に、百葉集の一席に採られて、初めて、自分でいい歌だと思った歌だ。正直、「塔」誌の百葉集一席で読んだとき、他人が作った歌だと思ったくらいだ。よくこんな歌が作れたものだ。<br /><br />男につく乳首の理由を教へしはかの夜の君の唇の円　黒田英雄<br /><br />無精卵の女男住む町に囲はれて寂かにしづかに滅んでゆきたい　同<br /><br />（引用歌は全てルビ省略）<br /><a name="more"></a>

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<title>№1492 昭和３８年「マタンゴ」の悲劇</title>
<description>　ランク１２８位。　世田谷文学館で、昭和３８年のキネ旬のバックナンバーを読む。おお、わが「マタンゴ」の記事が出始めた。８月第３週に封切られたこの映画の同時上映は、「海の若大将」だと思っていたが、僕の記憶違いで、「ハワイの若大将」だった。うーむ、同じ、海外の海を描いた映画だ。素晴しい。この二本立てのどっちを後に見たかで、劇場を出る客の気分は変わったであろう。同じ海外の海でも、能天気な若大将と、ペシミスティックな「マタンゴ」では、互いのよさを打ち消す二本立てであり、興行では、完全..</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>茶トラのみんく</dc:creator>
<dc:date>2010-01-25T23:18:13+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　ランク１２８位。<br /><br />　世田谷文学館で、昭和３８年のキネ旬のバックナンバーを読む。おお、わが「マタンゴ」の記事が出始めた。８月第３週に封切られたこの映画の同時上映は、「海の若大将」だと思っていたが、僕の記憶違いで、「ハワイの若大将」だった。うーむ、同じ、海外の海を描いた映画だ。素晴しい。この二本立てのどっちを後に見たかで、劇場を出る客の気分は変わったであろう。同じ海外の海でも、能天気な若大将と、ペシミスティックな「マタンゴ」では、互いのよさを打ち消す二本立てであり、興行では、完全に失敗したようだ。キネ旬に、当時の「マタンゴ」の票が数行載っていた。小菅春生なるド左翼の評論がめちゃくちゃである。簡単に言えば、こんなゲテモノ映画見る価値はない。ただそれだけ。朝日新聞の夕刊でもぼろくそに書かれたみたいで、読者欄の投稿にも、久保明はマタンゴを食ってたからあんな顔になったのだ、というバカなことが書いてあった。いちおう弁護しておくと、当時の日本人というのはキノコが胞子で繁殖するということもよく知ってはいなかっただろう。弁護になっとらんが。公開当時の「マタンゴ」は、本当にひどい言われかたをしていたもんだと、悲しくなってきた。ただ、映画も、ちゃんと見る目のある観客によって、のちのち名作と語られるのだ。現代短歌も、こうあって欲しいものだが、読者不在ではなかなか難しいだろう。<br />　昭和３８年は面白い年だった。テレビ局が、６０分映画というものに始めて力を入れ始めた年だ。元祖おデブちゃんタレント丸井太郎主演の「図々しい奴」の最高視聴率はなんと４５パーセントだったらしい。僕も見ていた。また、梶山季之原作の、「赤いダイヤ」、これは野際陽子のデビュー作である。見ていた。加藤剛主演の「人間の条件」のヒットで、大映テレビ室製作のテレビ映画の創世記の作品群と言っていいだろう。これらのドラマは、今放映しても十分レベルの高い作品だと思う。まさか、ジャンクされたのではあるまいな。映画の斜陽が叫ばれていたこの時代でも、年間観客人口はなんと述べ６億人。当時の映画ジャーナリズムは、映画人口の底は、４億５千万人と予想していたらしい。そのパイを巡っての、評論家たちの対談が、その４億５千万人をどう分け合うかという内容で、今読めば面白くも悲しい。現在の映画人口は、延べにして１億５千万人前後である。ちなみに、昭和３８年のお盆興行のトップは、大映の市川雷蔵主演「続・忍びの者」、勝新の「座頭市凶状旅」の強力二本立て。写真に、男性客ばかりがずらりと列を並べる風景が載っていた。女性主体の興行が当たり前の現代においては、信じられない写真である。ほとんど男ばかりが劇場に並ぶなんて光景は、今どきアニメを除いてないだろう。<br />　それにしても、小菅春生の「マタンゴ」評には腹がたつ。力を入れて制作した特撮スタッフ、さらには、前歯を一本抜き、黒眼鏡をかけ、へんなアゴヒゲかけてまで下品なキャラクターを熱演した佐原健二は頭に来たことだろう。小菅の評は評になっていない。単に、８行か９行の罵倒文である。「天下の東宝特撮陣がこんなゲテモノを作って未来はない」、それだけである。どうしてこんな、しっかりとした物語の文法に基づいた話がわからんのか。<br />　たとえば、昭和３０年の「空の大怪獣ラドン」は左巻きからも評価されている。しかしこれは決して彼らにＳＦがわかったからではない。単に、炭坑労働者が出てくるから、それだけの話だ。その炭坑の中に生まれたラドンを殺すことに、評者は左翼的な感慨を覚えていたのだろうと僕は思う。もちろん映画はよかったが、いまどきそんな文脈で評価するやつもいないだろう。<br />　「マタンゴ」は、恐怖映画の王道とも言える文法に忠実な映画である。軽薄で享楽的な男女数名が謎の環境（山の中の吸血城とか異形の怪物ひそむ森とか）に迷いこみ、お互いのエゴをむき出しにしながらひとりまたひとりと消えてゆき、ほうほうの体で逃げ出した生存者も、異界を見てしまった者として人間の世界には戻れない。まさにハマー・フィルムなどが心血を注いで構築してきたドラマツルギーであり、それを日本人を主役にして見事に再現した、恐怖ＳＦの最高傑作である。それがなんで、当時のこととはいえ、こんなにボロクソに言われねばならんのだ。小菅春生なる評論家も、当時は一線級だったらしい。こんな程度なのだ、評論家なんて。映画の世界では、ちゃんと熱心な観客によって、後年評価されるカルト映画がたくさんある。岡本喜八の「殺人狂時代」もその最たるものだろう。ひるがえって、歌壇の世界はどうか。ない。だってこいつら、選者の選ぶ歌しか、いい作品だと思わないのだから。公開当時の「マタンゴ」は、まさに悲劇だったと僕は痛感した。<br /><a name="more"></a>

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<title>№1491 「塔」一月号「陽の当たらない名歌選」２</title>
<description>　ランク昨日１０１位、今日１１４位。　　　　　　「塔」１月号「陽の当たらない名歌選」２吾を産みし街は吾の父の死にし街　離れては戻る柏　ただいま　沼尻つた子霧はれてそれだけで笑いころげたる家族でありしよいつの登山か　増田美幸モルモット餌を投げてもきづかずにその場にじっと座りこんでる　吉澤和人丸二日外にも出ずにゲームするこんな未来が待ってたなんて　西之原正明近眼（ちかめ）なる近藤さんの奥さんが大口あけて挨拶をいふ　畠中隼人デモ消えしは屋台の消えし頃ならむビル建ちネオンあふれはじめ..</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>茶トラのみんく</dc:creator>
<dc:date>2010-01-25T01:11:02+09:00</dc:date>
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　ランク昨日１０１位、今日１１４位。<br /><br />　　　　　　「塔」１月号「陽の当たらない名歌選」２<br /><br />吾を産みし街は吾の父の死にし街　離れては戻る柏　ただいま　沼尻つた子<br /><br />霧はれてそれだけで笑いころげたる家族でありしよいつの登山か　増田美幸<br /><br />モルモット餌を投げてもきづかずにその場にじっと座りこんでる　吉澤和人<br /><br />丸二日外にも出ずにゲームするこんな未来が待ってたなんて　西之原正明<br /><br />近眼（ちかめ）なる近藤さんの奥さんが大口あけて挨拶をいふ　畠中隼人<br /><br />デモ消えしは屋台の消えし頃ならむビル建ちネオンあふれはじめき　大倉秀己<br /><br />幸福を確認したくてわざわざに泣ける映画を見にゆく人は　遠田有里子<br /><br />やられたらやりかえす時期もう過ぎて　事はそれほど単純でない　永田聖子<br /><br />指刺して秋刀魚の腹をさぐるときわが見ぬ海の深さ怖るる　徳長しのぶ<br /><br />胸薄き女を三度抱きにけり漏らす吐息の長させつなさ　池田幸生<br /><br />カーテンごしに吾がこゑを聞き大声に鳴きはじめたり手術した猫　佐野すず<br /><br />平明な言葉に詠めと諭されし私のどこに平明がある　浜口しのぶ<br /><br />おだやかな更地となりし家の跡赤きポストが陽を浴びて立つ　中村佳世<br /><br />十時って何歳なのと聞いてくる息子のありて時空に迷ふ　飯村みすず<br /><br />麻酔とは反射喪失覚（さ）める際とおく聞こえる「無事」よ妻か　歌川　功<br /><br />平家蟹平家踊りに平家茶屋敗れしつはものの名が残る町　鵜原咲子<br /><br />知らぬ名の鳥の骸に蟻集る　喉の朱きは雄の証（あかし）か　大鋸甚勇<br /><br />夜勤明けのナース帰り行くそれぞれの香りと笑い廊下に残して　澁谷義人<br /><br />子宮には体育座りの君が居たわれの二倍速ほどの鼓動で　西野明日香<br /><br />「なに言ふか、貴様！」は兵隊言葉にて闇夜に父の叫ぶを聞けり　松本多美男<br /><br />闘いに敗れた牛の目ははるか見えないものにあこがれている　三浦こうこ<br /><br />おかめ萩　器量良しに袖引かれ一鉢抱いて家に帰れり　山咲　優<br /><br />「墓守の相」と言はれし二十代こんなことだけ不思議と当たる　田中律子<br /><br />真夜こえを殺して蝉の鳴く聞けば夭折の子の呼ぶ声おもう　外輪清孝<br /><br />よじ登る馬の背岩に穿たれたあぶみのやうな足がかりあり　一宮雅子<br /><br />包丁の刃先あてれば熟れすぎの胡瓜パリリと音して裂ける　武山千鶴<br /><br />一族は同じ匂ひの根っ子もち酔ふほどに抜けがたき沼あらはるる　林　雍子<br /><br />仲秋の月に真っすぐ照らされて秋冥菊は月の色する　宮下美智子<br /><br />秋空の蒼き幻追ふ熊よ　ハンター五人の銃が火を吹く　山室淑子<br /><br />覚め際が一番あぶないカーテンのすきまの光見つつ思えり　中山惠子<br /><a name="more"></a>

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<title>№1490 鳩山由起夫とルビ</title>
<description>　ランク１２４位。　鳩山首相は、単純なとっちゃん坊やではなく、ひょっとして、とんでもない政治家かもしれない。毎月１５００万前後の「子供手当て」をお母様から受け取っていながら、「私は知らなかった」と言い通す厚顔ぶりは、まさに政治家の鑑である。「真実は一つなのです。それは、私は知らなかったということです」という台詞に私はしびれた。地球上の誰一人として信じないような台詞を、彼は平気で言い通すのである。政治資金規正法の結果いかんでは、案外と簡単に、小沢幹事長を彼は切るかもしれない。僕..</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>茶トラのみんく</dc:creator>
<dc:date>2010-01-23T00:08:54+09:00</dc:date>
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　ランク１２４位。<br /><br />　鳩山首相は、単純なとっちゃん坊やではなく、ひょっとして、とんでもない政治家かもしれない。毎月１５００万前後の「子供手当て」をお母様から受け取っていながら、「私は知らなかった」と言い通す厚顔ぶりは、まさに政治家の鑑である。「真実は一つなのです。それは、私は知らなかったということです」という台詞に私はしびれた。地球上の誰一人として信じないような台詞を、彼は平気で言い通すのである。政治資金規正法の結果いかんでは、案外と簡単に、小沢幹事長を彼は切るかもしれない。僕が思っていた以上に、鳩山首相はしたたかな政治家なのかも知れない。鳩山さんの台詞を聞いていて、かの麻原教祖を思い出した。「わーたーしはーやってなーいー♪けーっぱくだー♪」。鳩山バージョン。「わーたーしーはしってないー♪けーっぱくだー♪」。鳩山さんもたいしたタマである。ちなみにこれはホメ言葉である。<br /><br />　僕は、短歌には、できるだけルビをつけていただきたいと思っている。特に、動植物にそれが言える。僕はありていに言って、薔薇と山茶花以外の植物の名前は読めない。したがって、歌人一同様には、それがジネンジョであろうが、オクラであろうが、植物や野菜にはいちいちルビを振っていただきたいのである。また、植物を題材にした歌の９０％はつまらん。なのでよけい、調べる気が起こらないのだ。ある歌をとてもよいと思ったが、どう考えても音数が合わない。苦心惨憺して調べた結果、それが「ラッキョウ」（辣韭）であると判明したのは三日後であった。「百日紅」だって、僕は長い間「ひゃくにちこう」と読んで、蚊取り線香のことだと思っていた。作者はもう少し、「正確に読まれる」ということを意識していただきたい。つまり、自分の作品を大事に思うのだったら、難読漢字にはルビをつけるべきだということだ。ましてや、歌に興味のない素人の読者が読む場合はなおさらだ。さらに、それが造語や当て字であれば、ルビをつけるのは当たり前である。「塔」にこういう歌が載っていた。<br /><br />飾るなき音とし韻れるひとの背を梅雨の雨降る窓に思ふも　溝川清久<br /><br />　２句目の「韻れる」を、ミナサンどう読みますか！？ 漢和辞典で調べたところ、なんとこの字には音読みがないという。だとすればいったいどう読むのだ。意味は「ひびく」。しかし、送り仮名からして、「ひびける」では有り得ない。「こぼれる」。これも意味的に有り得ない。おそらく「なれる」と読んでほしいのだろうが、作者はちゃんと、どう読んでほしいのか、ルビを振っていただきたい。読み手としてはいらつくのだ。ある種、作者の傲慢さすら感じる。ちなみに、僕はこの歌が好きではない。まるで、厚化粧した中味のない女みたいな歌だ。上句が作り過ぎだ。それを受ける下句も、ただ思わせぶりなだけで、簡単に言って、「雨が降ってちょっとユーウツ？」な気持ちをごてごて装飾しただけの物に思える。こういう歌に限ってルビを打たない。だから僕ははらが立つのだ。ましてや、これは完全な当て字であろう。当て字であれば、ルビを打つのは最低の礼儀である。作者は、もっと読者というものを意識しなくてはダメだ。ちゃんと自分の歌を読んでほしいという意識が欲しい。ちなみに、この歌は、「塔」の会員の選歌欄のトップに選ばれている。このへんが、「塔」の会員と、僕の歌を選ぶ基準が大きく違っていることを如実に語っているのであろう。<br /><a name="more"></a>

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<title>№1489 齟齬</title>
<description>　ランク１１８位。　№１４８６に、僕は「歌人の認知度」という日記を書いた。それに対して多くのコメントをいただいた。ありがたいことだが、あいにくと、どのコメントもみんなピントが外れている。僕は、自費出版も、自費出版を安く売り込むことも、ちっとも悪いとも劣っているとも思っていない。歌人が歌集を出版するのは当然である。「お安くしときますよ」のセール、これもたいへんいいことだ。　僕が腹を立てているのは、砂子屋書房のその営業努力の中に、「編集部が歌人や歌壇に対する認識を欠いている」とし..</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>茶トラのみんく</dc:creator>
<dc:date>2010-01-22T01:17:36+09:00</dc:date>
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　ランク１１８位。<br /><br />　№１４８６に、僕は「歌人の認知度」という日記を書いた。それに対して多くのコメントをいただいた。ありがたいことだが、あいにくと、どのコメントもみんなピントが外れている。僕は、自費出版も、自費出版を安く売り込むことも、ちっとも悪いとも劣っているとも思っていない。歌人が歌集を出版するのは当然である。「お安くしときますよ」のセール、これもたいへんいいことだ。<br />　僕が腹を立てているのは、砂子屋書房のその営業努力の中に、「編集部が歌人や歌壇に対する認識を欠いている」としか思えない所業が際立っているということだ。端的に言えば、すでに何冊も歌集を出し、結社の重鎮であったり、とっくに砂子屋から自費出版でない本を出している人にまで、一律ひとしなみにかのパンフレットを送りつけるという無神経さに対してである。要は、この会社は、歌人や歌壇や短歌の歴史のことをてんで知らない連中を雇って封筒貼りをさせているとしか思えない、そのイージーさに僕はいかっているのだ。これが、短歌雑誌社が、歌壇をバカにしているという証左であろう。これに、歌人たちがどうしていからないのか、僕にはわからない。僕は、歌壇にはうといのでよくわからないのだが、砂子屋のような所業を他の出版社もやっとるのだろうか？ 著名歌人に、こんなばかげたバーゲンセール広告を送りつけるような真似を。他のところは、そこまで落ちていないと思う。たとえばながらみ書房、青磁社なんて真面目なところは、やるにしたって相手を選ぶであろう。砂子屋に関しては、一部で、「頭がおかしくなったのではないか」と囁かれている所以である。<br />　とここまで書いて、コメント諸氏に対して、ある感想を抱いた。<br />　歌人に限らず、どんな業界にも、ある程度名をなした人に対しては、その業績への好悪はおいて、敬意が払われるべきである。コメント諸氏らの意見を読むにつけ、僕が感じたのは、「この人たちにとっては、偉大な先人も木っ端ネット歌人も平等に見えてるんだなあ」ということである。人間が平等なのはあたりまえだが、芸術においてそれが適用されるとしたらそれは悪平等である。木っ端歌人のところにバーゲンの広告が送りつけられるようなことは、有名歌人に対してなされてはならない。それは、権威主義というのではなく、業績のある人への敬意として当たり前のことなのだが、あって当たり前のその区別を、誰もかれもがご意見自由のネットに慣れた層は、「５０年やってようが三日しかやってなかろうがどこが違う」と反発するかもしれない。普通だったら、どんな場においても醸成されるステータスの違いというものに鈍感であり、それはすなわち、歌を作る上での言葉の選び方にも鈍感であろうということだ。<br />　発表の場をネットに限っていたとしても、ネット歌人、というのは、名乗るにおいて軽薄なことである。真の歌人であり、かつまた、ネットにおいて発表し、いかなるネット歌人よりも多くの読者を獲得しているという点において、歌人とネット歌人の垣根を超越した存在、それは黒田英雄をおいてほかにはないであろう。ネット歌人を称する人々は、戦略を持たず、せいぜい一日二十人くらいの読者で満足しておるのだ。だから、砂子屋の愚行が愚行であることがわからんのである。<br /><a name="more"></a>

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<title>№1488 何を詠うか～孤独の豊穣～</title>
<description>　ランク９７位。　短歌は、事実をそのまま詠うことに適した韻律なのだろう。つまり、何を詠うかが大事なのであり、その刹那を見逃さず、歌にすることが歌人の才なのではないかと僕は思うのだ。六日目に爆心地入りしことを初めて語れり九十二歳の父　尾崎知子　そのままの歌だが、僕は強い衝撃を受けた。この父親は９２歳になるまで、広島か長崎かわからないが、原爆投下から六日を経た爆心地を訪れたことを告白せずに生きていたのだ。どういう状況で彼はそれを生涯初めて語ったのだろう。昭和３２年制作の今井正監督..</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>茶トラのみんく</dc:creator>
<dc:date>2010-01-20T23:18:24+09:00</dc:date>
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　ランク９７位。<br /><br />　短歌は、事実をそのまま詠うことに適した韻律なのだろう。つまり、何を詠うかが大事なのであり、その刹那を見逃さず、歌にすることが歌人の才なのではないかと僕は思うのだ。<br /><br />六日目に爆心地入りしことを初めて語れり九十二歳の父　尾崎知子<br /><br />　そのままの歌だが、僕は強い衝撃を受けた。この父親は９２歳になるまで、広島か長崎かわからないが、原爆投下から六日を経た爆心地を訪れたことを告白せずに生きていたのだ。どういう状況で彼はそれを生涯初めて語ったのだろう。昭和３２年制作の今井正監督の「純愛物語」という映画がある。少年と、二次被爆した少女との純愛を描いたものだ。当時、まだ、原爆症という病理は解明されておらず、被爆者に対する偏見に満ちた時代というのが描写されている。たとえば病院には、「原爆科」があり、患者は隠れるようにしてそこを訪れている。そして、原爆症は、一般市民の間では、「うつる病気」だと思われていたのである。少女が、鑑別所の中で、原爆症による症状に苦しむ。医者に見せても異常なしと言われ、それでも、体がだるいので、作業を休むため、みんなから「なまけ病」だと揶揄される。少女が死ぬ間際に、「ズルじゃない、ズルじゃない」とつぶやくシーンには、涙する以外にない。この歌は、被爆者に対する偏見のすさまじさというものを、父親のつぶやきによって想像させる。この父も、告白するのが怖かったのだ。家族のために、じっと我慢していたのだろう。彼は、残留被爆によって、子や孫を発病の危機に晒したのかもしれない。９２歳にして、やっと安心して言うことができたのだろう。<br /><br />家人らの音をとおくに聞きながら我は寝る　犬はこうして死んだ　小林敦子<br /><br />　ペットの死を詠っている。我が家の愛猫、先代みんくも、誰からも看取られずに死んだ。長い闘病生活で寝込んでいる中、その日はおれは外出中。妻はフロでシャワーを浴びている。何日も一言も鳴かなかったみんくが、「ひゅん、ひゅん」という声を出したので慌ててフロから出たところ、すでに事切れていたのだそうだ。何が言いたかったのだろう。別れの言葉か、感謝の言葉か。せめて、恨み言でなかったと思いたい。みんくも、飼い主の日常音を聞きながら逝ったのだ。作者は、ペットの死を語りながら、自らの死の願望を詠っているのかもしれない。つまり、いわゆる畳の上で親戚一同に取り巻かれ、朦朧とする余地すら与えられずにくたばる瞬間を大観衆に見られてしまう、そんな恥ずかしいまねは御免だと言っているのだ。僕も死ぬならひっそりと死にたい。大勢に看取られるなんぞまっぴらである。ペットのひそやかな死を通して、孤独の豊穣さを詠った作品だと思うのだ。いい歌だ。<br /><br />三匹の犬の名前は陸海空　わけてもよく鳴く犬は陸なり　林田幸子<br /><br />　上と同じくペットを詠った歌だが、一転して、一読思わず笑ってしまった。三匹の犬に陸、海、空と名付けた人物を、僕は偏見をもって、作者の軍隊上がりの父親であると断定する。この（仮想の）父親の能天気なネーミングが面白い。わけても、よく鳴く犬がよりによって「陸」であるのがおかしい。確かに、海軍や空軍に比べ、陸軍のほうが知能が低く弱虫でよく吠えそうだ。昔の日本軍がその典型ではないか。吠えるばっかりで、世界情勢などひとつも知らず、外交を理解せず、わめきちらして日本を破滅に追い込んだ。まさに、「弱い犬ほどよく吠える」の典型である。いやいや、この犬はこの犬で可愛いのだろう。だがいかんせん、海軍のようなインテリジェンスにも、空軍のような冷徹な理性にも欠ける。取り得といえば、粗食に耐え、ひたすら主人を信じて黙々と行進し、負けを認めない頑固さくらいか（笑）。<br /><br />団欒のゆふべに祖父はふと言ひぬ皆幸せで怖しかねと　村田弘子<br /><br />　これも、事実を詠ったそのままの歌だが、強烈なインパクトがある。方言の結句が凄い。家族は、何の波乱も災害も経験せずに幸せに団欒を楽しんでいる。しかし祖父は、その続く幸福を、「怖ろしかね」とつぶやいている。人は、自分が幸せと思ったとき、同時に、この幸せが、いつまで続くのかという危惧も抱くであろう。だからこそ、長く続く幸せというものに、祖父は怖さを感じているのだ。いつか、とんでもない不幸が来るのではないかと。あるいは、この祖父は近代的感性の持ち主で、幸福な家族の情景というものに根本的な虚偽と嫌悪を抱いているのかもしれない。家庭の幸福は諸悪の根源、と言った太宰治が生きていたら１００歳である。いい男のくせに何を言いやがる、と思ったであろう松本清張も同様である。どちらも、団欒の光景などは唾棄したであろう。<br /><br />　以上、事実をそのまま詠った歌に僕は衝撃を受けた。これは、虚構ではないだろう。そのことが僕にはわかる。<br /><a name="more"></a>

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